2021年07月07日

あらゆることで意味と意義が問われる時代 (哲学が不可欠になった時代ーオリッピックでもそうだった)


 あらゆることで意味と意義が問われる時代

 (哲学が不可欠になった時代ーオリッピックでもそうだった)

高度成長時代は戦後の焼け野原の何もない時代から始まったからなんのためにするのかとか考えないで良かった、今腹減っていればただ腹を充たしたいとしかならない
ここに橋がなければ橋をかける、それをいちいち考える必要はなかったのである
だからそもそもこれが必要かなど考えなくても良かった
道がなければ道を作る、それはみんなが望んでいたことでありそれに反対する人はいないのである

でも最近つくづく何のためにするのか?

何の目的でするのか?

それがあらゆるところで問われている、それが本当に必要なのかも問われている
オリッピックが必要なのか?なんのためにするのか?それも問われた
結局必要だったのはぼったくり会長と言われたIOCにとって利権になるものにとって必要だったわかった、それで急にオリッピック熱が冷めたのである
何か白けたのでありオリッピックに熱中することもなくなったのである
アスリートは一部のオリッピックの利権者の駒に過ぎなかった、見世物の道具だったとなる

だからそもそも何のためにオリッピックをするのか?

その目的と意味と意義が問われたのである、前の東京オリッピックは日本が戦後の焼け野原から復興したことを世界に示すためとして意義があった
今回は津波とか原発事故からの東北の復興を示すためだとしたがそれはなかった
全然原発事故から避難区域となれば復興していないからである
さらにその意味とか意義が問われたのはなぜコロナウィルスの感染を広げるのにあえてやるのか、それが厳しく問われた、国民の命まで危険にしてやるのかとなり国民の大半は反対しているのにやる、そんなに国民すら無視してやるのは何なのだろうとなる
そこで今の政権に不信が高まり今年中に行われる選挙で自公政権は負けると不安になる
都議選でその傾向が現れたからである

とにかく今起きていることはなんのためにするのか、なんの目的がありするのか何の意味があって意義があってするのか、そういうことがいろいろな場所で問われる
食べ物がない物がない時代はまず腹を充たすことが先決でありそういうことは問わないからだ、でも様々な分野で何のためにするのかその意味とか意義が問われるから哲学の時代だとなる

例えば銀行なども窮地に追い込まれている、それで投資信託とか売り証券会社なのかともなる、でも地銀なら証券会社とは違う、その会社の目的は地域の経済にかかわり地域を発展させるために集めた金を回すことが本来の仕事である
それはこれまではそれが成立ったいた、会社でも金を貸してくれと銀行に頼みにきたからである、そして会社も成長したら利子ももらえてそれが預金者に回っていったのである
つまり銀行は何もしなくても金を貸してくれという会社が来てそれに金を貸せばいいとなる、あとは預金を集めればいい仕事だったのである

でも金を貸してくれという会社が地元でも少なくなり預金者には利子もつけられないとなると一体銀行は地銀はなんのためにあるのか
地域にある理由は何なのか、意味は意義は何なのかと問われる
それで地銀はいらないとかにもなる、だからそもそも地銀の存在意味は何なのかとか問われているのである、信用組合はその存在意義が地元と密着して果たしているという側面がある、地銀はもう証券会社の支店なのかともなっている、つまり役割りが喪失しているのである

こういうことはあらゆる所で起きている、もともと何のためのなのかということは追求されて来た、それが学問になった、学ぶはまねるだけど問うということから始まっているからである、だからあらゆる学問の基は哲学であり宗教もその代わりをしてきた
科学でもやはり哲学を基にしている、ただそれが時代的には食べるものもないとかなると食べ物を確保することが優先される、だから高度成長時代にはそういう疑問はあまりなかったのである、ただ人間は考える芦であり我思う、故に我ありというのは変わらなかったただそれが全体的風潮として様々な分野で会社でも問われるというのはやはり時代が変化したためだと見る

なんでこんな時にオリッピックやるのか?狂気の沙汰ではないか?

それまでにする意味と意義があるのか?ならばその意味と意義を問い正したいとなる
菅首相に聞きたいとなる、でも何か意味とか意義をIOCでも言わない、結局その意味とか意義より金だ利権のためだとなりそんならやる必要はないと世界の人でも見ているのである、つまりやる意義がなくなっている、世界平和に貢献するということでもない
もともとオリッピックが世界に貢献することなどなかったのである
ただ政治に利用されたり利権であったり金のためになされてきた、それが今回は露骨に可視化されたのである

それこはオリッピックだけではない、例えば原発でも電気は必要なことはわかる
でも本当に原発が必要なのか、原発無しでもやっていけるとかなる
電気はいらないとは言わないが原発なくてもやっていけるとはなる
リニアは自然破壊してまで危険を犯してまで作るべきなのかともなる
新幹線は必要だったとがリニアは必要なのか、そんなに早くすることが必要なのかと問われる
また宇宙まで火星まで莫大な金をかけて行く必要があるのかともなる

何かあらゆることでその必要性とか何のためにするのかとか問われる時代になった
科学技術でもあらゆることが研究でも必要なのかと問われる
それは科学の問題の前に哲学的問題となっているのである
だから今は哲学、宗教、芸術とかの時代に移行する、科学技術でもあらゆるものが本当に必要なのかと問われる、そこに危険があり原発事故になり故郷に住めなくなったからである
爆発した時吉田所長が東北に人が住めなくなるというのは原発のことを知っていたから言われた言葉なのである、それだけ危険なものが原発だったのである
そんな危険なものを地震とか津浪とかが襲う日本に必要なのとなる
電気がなくてもいいといのではなく、そんなに危険なものが近くにあり安心して生活できるのかとなる

哲学というと一般人と関係ないとかわからないともならない
この辺で原発事故で漁業関係者は事故前も手厚い補償金をもらっていたのである
だから別に魚かとれなくても良かったのである
補償金で暮らせたからである、でもそこで事故後は魚をとることもなく海を見てぶらぶらしていた、そこでなぜ自分は魚もとらないでここにいるのだろうと自問していたのであるつまり哲学的になったのである、魚を獲ることが仕事なのにそれもしない
すると確かに金は入ってきても何でいるのだろうと自ら棟うになったからである

何か今はあらゆることでこうして存在意義が問われている、その目的とか意義が問われる宗教でもカルト教団になるとなんのために社会に存在しているのか?
内訳はただ一票獲得のために祈って選挙活動しているだけである
すると目的は選挙に勝つことである、そして権力を得ることだとなっている
それが宗教なのかとなる、そんなことが社会にとって許されるのかとなる
その存在意義は何なのかとなるからだ

他にもマスコミの存在意義は何なのかとか様々なことで意味と意義が問われている
これまでは腹が減ったら充たせばいいしかなかった
宗教までがカルトだとそうなっていた、腹を充たすための宗教である
御利益宗教である、それは資本主義社会であれ社会主義であれ金をもうけるのが共同して金をもうけるのが利益を追求するのが会社だとなればそうである
でも今はその利益を上げるいうことだけで社会から容認されない
社会のためにその会社がどういう働きをするのか意味と意義が問われている
「SDGs」とか持続可能社会が言われるのもそのためなのである
ただ利益あげて社員に株主により多くの金を分配すればいいとはならなくなったのであるそれは世界的兆候としてある、中国でも若者から寝そべり族が生まれた時、なんでこんなに働くのか、働かせるのかわからなくなったとしてそうなったと見る
つまり哲学的になったのである


posted by 老鶯 at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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