2021年06月26日

都会と地方の格差、広域グロ−バル化は分断社会 (東京の寿司が三万円ーひろゆきの体験談から)


都会と地方の格差、広域グロ−バル化は分断社会

(東京の寿司が三万円ーひろゆきの体験談から)


1人〇万円の超高級寿司!「銀座 すきやばし次郎」を語るひろゆき 

日本のここが凄い!日本のある技術についてひろゆきがべた褒め

なぜひろゆきが人気があるのかわかる、まず海外で生活して働いていたのと幅広い経験をしていることである
もちろん最先端のIT技術者でもあり2ちゃんねるの創設者だったことである
ただなぜこれほどの広範囲な知識がそれも実体験からの知識があり経験を語れる
本読んだ知識とは違うのである
何かを語れる人物はたいがい外国に実際に仕事したとか暮らしたとか経験している人なのである
それが加治将一チャンネルとかもそうである、武田邦彦氏でもそうである
そこで現実に外国人と渡り合い仕事している
そうすると日本がどういう国か日本人がとういう国か見えて来る

ただそれでもやはり見方は相当に違ったものにもなっている
明治時代になるとやはり新し時代を築いたのは外国留学派とかである、たいがい外国で学んで大学で創始者になったりしているからだ
だから海外の留学経験がのちのち大きな遺産となる
ただ海外旅行だと表面的なことしかわからない、それでも地理を知るだけでもそのスケールの大きさを知るからいいのである

何か壁職人のような人が外国にはいないというときもそうなのかとその相違の説明に感心する、外国では壁塗りにこだわらない、コンクリートだとただ平面にするということだけであり日本の様な土壁のような丁寧な作り方はしないという
自分の家は古く土壁だった、その土壁にしたのも自分の家で最後だった
そしてその後は土壁職人いなくなったのである
土壁となると手間暇がかかるしめんどうになるからだ
だからこれを見て土壁とは壁塗り職人とは日本文化なのだとわかった

それはなぜわかったのか?つまり外国と比較してわかったのである
第一コンクリートの技術は相当に古い、ローマではコンクリートの技術があったから建築でも壮大なものが作れたし道も作れたしインフラを整備できたともなるからだ
ただコンクリートだとでこぼこになっても気にしないとか何か日本の壁とはまるで違った感覚になっていたのである、ペンキを塗るというのにはこだわるが壁を平面にするとか日本のように丁寧に壁を作るということにこだわらないのである
それがまさに文化の相違だったとわかった
いづれにしろこういう相違は身近でも外国で生活してみないとわからない、そこで外国で生活した者としないものの差が生まれているのである
それはささいなことでも日本との差に気づきそれで日本に住んでいる人より日本を外国と比較して知ることになる、だから外国での生活経験はあとで活きてくるのである

それから1人3万円の超高級寿司のことを聞いて驚いた
この人は相当な金持ちであり貴族なのだと見た
まず田舎で私自身は貧乏症であり千円でも料理は高いと思っている
だから千円以上のものを注文することができないのである
また田舎ではそんな3万の寿司など食べる人はいない、またフランス料理店などもない
たいがい千円くらいである、需要がないからだ
そこで気づいたのは東京と田舎の差だった
寿司の味はその素材で決まる、素材が良くなければいくら料理がうまくても基本的にうまい寿司は作れない、素材の差をごまかすことはできない、マグロでもいろいろあり安いマグロではうまい寿司は作れないというのわかる

でもここで考えたのはこの東京と田舎の格差である
田舎で地方で苦労してとった魚のいいものは東京の金持ちが食べているのである
そこでは輸送費もかかる、新鮮なものは飛行機で送るからである
寿司は新鮮でないとうまくない、魚自体がそうである
それで松川浦の漁師が私は二三日過ぎた魚は食べないと言っていた
それが魚をじかにとるものの贅沢だったのである
でもここで考えたのはこれはまさにグロ−バル化経済の格差を産みだしているのと同じだと思った

そこには百倍の差がとんでもない格差がある!

地元の人が漁師が苦労してとった魚は東京の金持ちが食べる、地元の人の漁師くらいは食べても地元の貧乏人は食べられないのである
それはタイとかで海老の養殖をしている人はその海老を食べられないとか放送されたこともある、何かそうして食べ物でも格差がある
そういう経済は実際は歪んでいるのである、そのことは前々ら指摘してきた
新鮮な魚をとったものは地元の人に回っていたのである
ただ地元でもまた金持ちの人がその魚を買っていた

松川浦でとれた魚を売りに来る人がいた、石鰈はこの辺で美味であった、でも高かったのである、ただ高いと言っても寿司を三万で食べるのとはせいぜい二倍くらい高いとなる
東京だと十倍以上にもなっていたのである
それは運送費がかかるのも加わったそれだけ高くなっていたのである
もともと江戸前寿司というのは江戸の海でとれた新鮮なものを食べるということでた始まったのである、その活きのいい魚が今は地方から田舎から運ばれるようになったのである
ともかくこういう広域経済とかグロ−バル経済というのは何か歪みをもたらしていたのである
地元の人は地元でとれる魚を満足に食べられずにいいものは東京の金持ちが食べている
それだけ価格差があれば当然漁師でも高い方に売ることが第一となるからだ

地方の地元の貧乏人など相手にしても金にならない!

こうした経済の歪みが実は原発事故の原因ともなっていたのである
近くの人は東京の金持ち相手にログハウスとか別荘とかを提供する事業を始めて失敗した
それはこれと同じだったのである、田舎の貧乏人を相手にしては金にならないということなのでる
漁業組合とかは船主とか漁業権を東電に売り渡して原発御殿を事故前にも建てていたのである、それで地元の回りの人たちはうらやましがっていたのである
私は知らないから漁師は危険な海で魚とるのが大変だなとか漁師で暮らすのは大変だなと見ていたのである
でも実際は全然違っていたのである、船主は悠々として金には困らない、事故後も立派な家をいち早く建てた、その補償金が他とは違って大きいものだったからである

なぜそういう矛盾が生まれたのか?

経済が広域化してグロ−バル化したからである、遠くから運ぶことができるようになったからである、どんなことしたって寿司の魚を江戸時代なら新鮮なものを運ぶことは不可能だからである、だから江戸前の魚になっていたのである
それがまた逆に経済の歪みを作り出していたのである

地元の貧乏人を相手しては金にならない!

その差は3万の寿司で十倍にもなっていたからである、これはグロ−バル経済となり同じようなことが世界で起きているのだ
数パーセントの人に世界の金が集められその人たちは贅沢し放題となっている
その人たち3万どころではない、10万でもそういうものを食べるのである
そこに具体的に現代のグロ−バル経済の歪みが見えて来る
ただ東京でその格差が大きいのである、コロナウィルスで物乞いも増えたというのもそうである
それは今までありえないことだったとしているが表面化しのである
だから東京でもみんな三万の寿司を食べていないのである、その格差も大きいのである

ただ私自身の価値観そもそも都会は性にあわない、ごみごみした密集した所に住みたくないからである、だから別に食べなどどうでもいい、腹を満たせばいいとしかない
だからうらやましいとも思わないのである、車も欲しいとも思わない
それは私はそもそもずぼらであり運転に向いていない、都会に住むのも向いていないからである
でもこのことを聞いて何か現代の経済の矛盾を感じたのである

つまり簡単に言えばこうである

漁師さんたちは東京の金持ちの方が優先で地元の貧乏人は相手にしないのですね

すべて金持ち優先であり地元の貧乏人のことなど関知しないとなっていたのである
結果的にとうなったのか?
今度は東京から東電が来て原発を建てるとなると多額の補償金をもらいるから漁業権を売りわたしたのである、そして大事故になった
それで今度はトリチウムを海に流すなというけどそもそも漁業権を売りわたしたのだから反対も本当はできないのである、金は具体的な責任でありカルマとなっていたからである
なぜそういうことになったのか?

それはまず地元の地域の経済で共同体をベースにした経済ではなくなっていたからであるそこに地域の繋がりとか絆というのはなくなっていた
地元のことをまず考慮することはない経済である、まずは金だ、金だ、すべてが決まってしまうのである
漁業が苦しいという時も金だ、東京の金持ちに魚を売れ、原発も金になるからいい
補償金ががっぼり入るからいい、それも金が第一だからそうなったのである
金が大事にしてもすべて金を求める時何か歪んでしまうのである
何か本来あるべきものが金によって無視され歪められるのである

それは今の資本主義とかグロ−バル経済で起きていることでありその矛盾が限界に達している、そこは道徳無き経済とかなって世界中が環境でも破壊されたり矛盾が現れて崩壊するともなる
そもそも世界的公平な市場などありえないのである、貿易とか商業とかが必要でもそれが度を越えたものとなり社会自体を歪めてしまったのである
その結果として地元に人が住めなくなって町や村が消滅してしまったのである
深く原因を考察すればそうなる

ともかく日本に住んでいても日本のことはわからない、また田舎に住んでいると都会のことはわからない、都会にすんでいるとまた田舎のことはわからないのである
そういう矛盾が広域経済とかグロ−バル化経済で矛盾が現れて是正する時が来たのであるコロナウィルスでもそうである、これもそうした世界の人々が自由に往き来するとか
モノ、ヒトが行き来するというのにも歯止めがかかったからである

本来人間がどうあるべきか、どういう生活をするべきなのか?

それが問われたのである、それでコロナがうつるから東京の人は来るなとなった
前は放射能がうつるから福島の人は来るなと言われた
この原発は東京の人にも大きな責任があったのにそういうことを言ったのである
だから今度は東京の人は来るなとなった、カルマとなったのである

結局広域経済とかグロ−バル経済とかが一見いいように見えても様々な分断を世界でもたらしたというのは本当である、移民が流入すれば人種差別となりまた金持ちと貧乏人の格差で分断が起きて都会と田舎の分断が起きたのである
だから今はその反省の時期となり社会の在り方を見直す時期になったともみる



posted by 老鶯 at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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