2021年06月04日

歴史時代劇「ポロス〜古代インド英雄伝」を見て (人間にとって共通のテーマを追求している)


歴史時代劇「ポロス〜古代インド英雄伝」を見て

(人間にとって共通のテーマを追求している)

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河をめぐっての攻防である、川に誓うということはありえない
山に誓うということはありうるが河に誓うということが理解できないのである


アレクサンドロスはすぐには川を渡りませんでした。川の反対側にはポロス率いる大軍が待ち構えているからです。アレクサンドロスは毎晩、少しずつ兵を送ってポロス軍を撹乱します。ポロス軍が疲れてきたころ。アレクサンドロスは嵐の夜に一部の精鋭部隊を率いて上流に迂回して川を渡りました。マケドニア軍が川を渡ったことに気がついたポロスは息子の部隊を送りますが、返り討ちにあってしまいます。息子は戦死しました。
https://rekishi.sseikatsu.net/poros/

雄牛 oxen 浅瀬(あさせ、英: ford)

オックスフォード大学はここからきている、牛が浅瀬を渡る意味である
イギリスは島国でも河が大きい、また深いから川を渡ることが容易ではない
それで浅瀬を探す、アレキサンダーも河を渡ることで浅瀬を探していた
また川を盾にして守るボロスが言う、いかに河が天然の防御となっていたかわかる
riverはまさにライバルである、両雄が河を挟んで対峙して攻防があった
それがこのドラマで演じられる、それは河が大きいかから河を障害となるからである
日本でも大井川などがあり橋をかけなかったとか橋を作れなかったとかあり防御としての河があった、でも外国のように大きな深い河がないから違っていたのである
とにかく河のことがわからないと大陸のことはわからない
ガンジス河がインドを象徴しているようにナイル河でもそうである、中国の黄河でも揚子江でもそうである、ドイツのライン河でもその河が理解できないということが日本人が外国を理解できないものにしている        

このドラマは何かインドとかの歴史を知るのにはいいと思った
インドの歴史などなじみがないからである、このドラマはスペクトルであり美しい映像で繰り広げられる、80億円もかかったというから一場面を作るのに一億とか軽く使っているそして興味深いのはドラマの内容でも何か人間の普遍的な問題を提示している

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ダスユに育てられたプルがパウラヴァ国王となり義理の兄(スメル)に命をねらわれる、それを母の王妃が殺される寸前にとめて殺してしまう
それでプルの王妃となったダスユの娘のラチが兄は謀反者ではない、ダスユの人たちも猛反対する、それで殺したプルの母親を責めて罰することを願う
その裁定はプルにまかせられた、プルにしても裁くのは母親でありラチにしても兄の無実を証明したい、これはまさに骨肉の争いになる
でもプル王はラチに母親の裁定をまかせた、そしたら7日間猶予を与えて証拠を示したら罰するとなった

ここの裁判で何か問題だったのか?それは骨肉を離れて真実を示すことである
そうしなければ双方が納得しない、公平にならない、もしそのままにして公平な裁判が行われなければ国は分断してしまうのである、分裂してしまうのである
またアレキサンダーの外敵に一眼となって向かうためにインドが統一しないと強大な敵に立ち向かうことができない、そこで家族を越えた国家への忠誠と愛国心が説かれる
それは一人の傑出した僧がそれを言って実行する、これは創作でありまたプルの物語も実際は不明である、ただこの物語は人間の普遍的な課題を追求している

つまりどうしたら国をまとめることができるのか?

それをまとめるのが王である、王とはただ力だけでは治められない、公平な裁定が必要なのである、一方的になると必ず不満が残り分裂する
そのために法律が生まれたのである、法の起源は宗教的なものから発している
モーゼの十戒でもそうである、つまり人間集団をまとめるには何が大事なのかである

ただ力で治められるのか?

そういうことが常にある、今起きているマンミャ―の軍事政権に反発するのは力だけで治めようとするからである、そういうところから民主主義が生まれてきたことは確かであるまた法律の起源をそういうことにある

何をもって人民を治めるのか?

暴力なのか?

それではできない

すると何なのか、公平になるにはどうするのか、それが問題なのである
どんなに軍事力があって強くても力だけでは人間社会は治めることができない
それは覇権国になったアメリカでもそうである、何か力があるからその力に任せて何でもできるかとなるとできない、王様は何でもできるものではない、何か理にのっとてっいるとか公平でありそれで信頼さられる
だからここでは一族とか血縁とかを考慮すると大きな国を治めることはできない
その大きな国を治めるのは公平が必要であり法律も必要になる
人間の社会は血縁だけではまとめられない、血縁を脱したもので共同することで団結して国が生まれる、その国をまとめるのは力ではなく公平さでありそこに法律が生まれた
文明というのはcibilizationというとき血縁共同体ではなく市民共同体の意味だからである、それも血縁を越えた大きな共同体になるからだ
そしてアレキサンダーという強大な外敵に対抗するには挙国一致が必要になる
何かそれは明治維新とも似ているのである
天皇には姓がないのは氏族が力をもっていたらその氏族をまとめることがでない、それで平家と源氏が争う、もし天皇がどちらかの姓に氏族に属していたらまとめるとができなから姓がないである

とにかくグロ−バル化するときただ力だけで治められのか?

アメリカは力でなんでも押し通すことができるのか?

中国は力で世界を治めることができるのか?

何かそういうことがグロ−バル化で起きている、グロ−バル経済というときそれは経済の原理だけでありそこに欠けているものがある
つまりモラルがないとかの問題がある、モラルなき経済でありその経済だけでは集団をまとめられないのである、経済の原理だけでは治められないのである
人間が求めるのは常に公平なことである、そこに不平等があると必ず反発があり分断され分裂してしまうのである
そうなるとアレキサンダーのような外敵に大敵に立ち向かうことはできないのである

家族愛があり一族への愛がありでも国家への愛が愛国心がありそこに公平さが問われ
ドラマが展開する、だからこれは普遍的な人間の物語でありどこでも同じことが起きる
ただ地理的に外国の河が理解できないことは違っているが人間の物語はヒストリーは共通したものがある
でもインドとなる理解しにくいしなじみがないのである
中国の歴史だとなじみがありわかりやすい、権力争奪のあからさまな争いであるからだ
それが三国志になったのである、インドは謎が多すぎるのである
ヒンズー教などもわかりにくい、仏教の基になっていたとしてもわかりにくいのである
それは結局河のことがわからないことにも通じているのである


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