2021年05月28日

福島県の奥の細道の俳句(自作)―芭蕉の跡をたどる

                    
福島県の奥の細道の俳句(自作)―芭蕉の跡をたどる

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(白河の関所跡)

みちのくの細道たどる草の花

関所跡昔行き交ふ虫の声

いわれ聞くしのぶもちずり木槿かな

幻やいづこに咲くや花かつみ

(医王寺)

医王寺に着物の女人落椿

医王寺の白壁に春の日影かな

夕月に藤の花かな鐘なりぬ  

(飯坂)

飯坂の夕ぐれあわれ花に雨

雨しとと桜に橋や湯の煙  

飯坂へ電車通うや菖蒲かな

国見町弁慶松や秋の暮  

春日さす下紐の石ここに暮る

甲冑堂忠臣の嫁菖蒲かな



場所の記憶として俳句を作った、これも錯綜した記憶となった、草の花というとき秋である、その時は八溝山を自転車でぬけて白河の関所に来た
ともかくその行路の記憶も定かでなくなった
ただ延々と草の花が野菊の花が咲き続いていたのである
そうして白河の関所跡に来たのである
多少は「 卯の花をかざしに関の晴着かな 曾良. 」みちのくというときまだ拓けていない地としてありそれで野の花をかざしてみちのくに入ったというのがそうである

奥の細道といっても何か記憶に残ったのは白河の関所と白河の小峰城である
ただ前にも書いたがどうしてか芭蕉は城のことを書いていないし俳句にしていないのが不思議なのである、城というと一番目立つからである
二本松でも城のことは書いていないのである、だから忍者説がでてくる
城は隠密のように探るところであり風流の場所でなかったからだとなる
そもそも芭蕉の俳句に城の俳句がないことが謎だからである

 等窮が宅を出て五里計*、檜皮の宿*を離れてあさか山*有。路より近し。此あたり沼多し。かつみ*刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、「かつみかつみ」と尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ。二本松*より右にきれて、黒塚の岩屋*一見し、福島に宿る。
 あくれば、しのぶもぢ摺りの石*を尋て、忍ぶのさと*に行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり*。里の童部の来りて教ける、「昔は此山の上に侍しを、往来の人の麦草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せば、石の面下ざまにふしたり」と云。さもあるべき事にや*。

芭蕉が求めた花かつみはヒメシャガのことだという、シャガの花の紋様があるからその名がある、何か神秘的な花となりそれを求めたとなる、みちのくだとそういう花があってふさわしいともその頃見ていた   

とかくして越行まゝに*、あぶくま川*を渡る。左に会津根*高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山つらなる*。かげ沼*と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず。すか川*の駅に等窮*といふものを尋て、四、五日とヾめらる*。先「白河の関いかにこえつるや」と問。「長途のくるしみ、身心つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず*。

 風流の初やおくの田植うた 

 此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有*。橡ひろふ太山もかくやと閧ノ覚られて*、ものに書付侍る。其詞、
栗といふ文字は西の木と書て、
西方 浄土に便ありと*、行基菩薩*の一生
杖にも柱にも此木を用給ふとかや 。

 世の人の見付ぬ花や軒の栗 

 
 栗の花が花と言えるのか?
何か花かつみはヒメシャガであり卯の花とかまた私の俳句では草の花とかそして栗の花とか何か変わっているとはなる
あまりばっとした花でないからみちのくにふさわしいのかとなる

しのぶもちずり石は有名である、私が訪ねたときは秋であり回りの村の家に木槿が咲いていた、それも似合わっていた、この辺は福島の市街からかなり離れているから家が点々としかないから今でも往時を偲べる

医王寺というと場所が寄ったのは五月であり

月の輪の渡しを越えて、瀬の上という宿に出る。佐藤庄司の旧跡は、左の山際一里半ばかりにある。飯塚の里鯖野と聞いて、尋ねたづね行くのに、丸山というのに尋ねあたる。これが庄司の旧館である。麓に大手門の跡など、人が教えてくれるのにまかせて、涙を落とす。
 またかたわらの古寺に一家の石碑を残す。中にも、ふたりの嫁の墓標が、まずあわれである。女なのにかいがいしい名の世に聞こえたものであるわと、袂をぬらした。堕涙の石碑とさほど差はない。
 寺に入って茶を乞うと、ここに義経の太刀・弁慶の笈をとどめて寺宝としている。

笈も太刀も五月に飾れ紙幟
   (おいもたちも さつきにかざれ かみのぼり)
   
この佐藤氏は相馬藩の前に磯部中心にして支配していた館もあった佐藤氏である
磯部館から後で相馬の道の駅の鬼越館に移動したのである
高潮で被害にあったからだという、それは慶長津波の前なのである
でもその鬼越館のかなり前まで津波が来たのには驚いたのである
佐藤氏は塩手山の下に二軒ほど佐藤氏の家があった、そこはやはり福島市の方から来た佐藤氏が祖先なのだろう、ただ佐藤氏はとにかく普通にあり多いからまぎらわしくなる
佐藤氏は福島市から医王寺の義経の家来でありその子孫が相馬の方に移り磯部館に住んだとなる
佐藤庄司というとき相馬藩内に庄司建設がありそれが由来となる、姓からたどるとそうなる  

佐藤庄司と義経伝説

治承の昔(1178年)信夫の荘司、或いは湯の荘司といわれた佐藤基治公が当地の大鳥城を居城とし、奥州南部の広域を収めていました。
 源義経公が旗揚げをした折、基治公はその子継信公・忠信公を側臣として遣わしましたが、兄継信公は屋島の合戦において義経公の盾となって能登守教経の矢を受け亡くなり、弟忠信公は頼朝公に追われた義経公を京都堀川の館から脱出させるため、義経公の身代わりとなって討ち死にしました。
 その後奥州に入った義経公一行は醫王寺に参籠し遺髪を埋めて二人の法要を営みました。また、兄弟の奥方「若桜」「楓」の二人は、息子二人を失い悲しみに暮れる老婆「乙和御前」を慰めるため、甲冑を身につけ兄弟の凱旋の勇姿を装い姑の心を癒したといいます

 嫁の墓標とはこのことである、医王寺はそれだけ古く謂れある古寺とはなる
何か白壁がありそこに着物を着た女人が静々と歩むのが絵になっていた
それから藤の花が咲いていたとき行ったと思う

そして飯坂に行った時、雨しととぬれていた、飯館からさらに山の方に道がつづいていたただそこから街道の方に回った、その道は今の道路になっている
下紐の石があったからそこは古い道である
飯坂には電車が通じている、それはいかにローカルのローカル線になっている

「湯に入りて宿かるに土座に筵(むしろ)を敷てあやしき貧家也」(温泉に入った後、宿を探したものの粗末な家しかなかった)
どうやら散々な滞在となったようですが、それには理由がありました。当時の飯坂には「農業や商業に関係のない旅人に宿を貸してはならない」とのお触れがあったのです。一介の旅人にすぎない芭蕉らに土間を貸し、筵を敷いてやったのは、飯坂の人の精一杯のおもてなしだったのかもしれません。

このことは自分は何度も経験している、自転車旅行だと嫌われる、汚いこともある
何か遊び人だとも見られる、だから嫌われるのである
待遇されるのは保養に来る金持ちである、そして今は旅人はいないである
それで江戸時代でも仕事でない人は断れたというのわかる
江戸時代はそういうことは今より相当に厳しいからである
何かただ旅する人は理解できない人だったかもしれない、でも僧になると恰好をしているとそういうふうには見れないことはあった
芭蕉自体有名な僧に習っているからである

飯坂に着いたのは桜が咲いている時だった、その時雨がしととふり濡れていた、
そこに湯の煙があった、いかにも飯坂らしいとなる
国見町には弁慶松があった、この弁慶とか義経にまつわるものは多すぎる
北海道まで義経伝説化ありモンゴルに渡ってジンギスカンになったとか言われる
福島県内での芭蕉の寄った先はこのくらいである
ただ須賀川とかのことは良くわからない、奥の細道といっても今は車の道でありなかなか往時を偲べないからである                               
それなりに春とか秋に行っているから記憶をたどり俳句を作ったのである

この下紐の石は用明天皇の皇妃玉世姫がこの石の上でお産の紐を解かれたという伝説が、乳神様と共に伝わっている。

立ち返り 又やへだてん 今宵さえ 心も解けぬ 下紐の関橘 為仲

元文3年(1738年)4月、山崎北華は『奥の細道』の足跡をたどり、甲冑堂を訪れている。

ここから先に甲冑堂がある、それは「佐藤次信忠信が二人の妻の姿なりとて。各甲冑を帶したり」である、ここから白石にいたる

鐙坂。鎧碎(よろひこわし)。鐙摺。の石は。さい川の入口なり。道細く右は山にして。左に大石あり。一騎打の難所。實に鐙も摺る程なり。此所右の方に一宇有り。よりて見れば。佐藤次信忠信が二人の妻の姿なりとて。各甲冑を帶したり。如何なる故に此所に在るにや。殊に女の甲冑を帶したる姿。いと珍らし。古き像にて。彩色の剥げて。下地なる胡粉の白く見えたるは。 

甲冑堂忠臣の嫁菖蒲かな

この先は白石城下となる、結局こうして旅をたどるとき記憶の旅になるが旅は車とか電車だと何か連続性もなくなる、歩いてでもじっくりと昔の道の行程を歩む
そうすると脳にも記憶が残るのである
そこで私は自転車の旅をつづけたのである
その記憶はかなり年月がたっても残ることがある
それゆえにこうして記憶をたどる旅をして俳句を作ったりしているのである

医王寺の写真

福島県の奥の細道 (芭蕉は城をさけていた-忍者説の由来)

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