2021年05月20日

アレキサンダーとインド(ポロス古代インド英雄伝) (韓国の河―河が運命を決める)


アレキサンダーとインド(ポロス古代インド英雄伝)

(韓国の河―河が運命を決める)

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エウローパ(ヨーロッパ)、アシアー(西アジア)、リュビアー(北アフリカ)の
三大陸が中心に存在し、その果てにはオーケアノス(海)がぐるりと取り囲んでいたとされる。


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河はriverはライバルである、まさに河をはさんでポロスとアレキサンダーが
対峙する

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河に祝福されるとかは日本ではありえない

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ガンジス河

ブッダガヤであり日本の河とはまるで違ったスケールなのである
対岸までが相当に距離がある、ただこの時水は流れていない時期だった


大陸の歴史をみるとき川が大きな役割を果たしている、その長大な河のことが日本人には理解できない、だから大陸の歴史を基本的に理解できないとなる
四大文明そのものが大河の側で生まれたからである
川が海の親なのである、ライン川でも父なる河となり川が境界となり世界史を作ってきた経過がある
インドのヒンズー教にしても母なるガンジス河から生まれている、川で沐浴して穢れ浄めるというのもそうである
とにかくその川のスケールが日本に住んでいるとイメージすらできないのである
それは中国でも同じである、黄河とか揚子江とかが理解できない、すると歴史を理解できないとなる

このインドの英雄のポロスとアレキサンダーの戦いでも川が境界としてそこで川が守ってくれるとなっているのは川が大きくなかなかわたることができないからである
その時代には橋がないからだ、だからライン川でもローマ軍が侵入してくることをさえぎりゲルマン民族のドイツの境界となった
とにかく河のスケールが違うし日本ではイメージもできないものである
大陸の河は長大であり交通路となり地域を結ぶ役割りを果たした
ナイル河がなくしてエジプト文明がありえない、エデンの園にも四つの河が流れていたということはやはり現実の世界の川がありそこからイメージされたともなる
ローマのカエサルもルビコン川を渡ったということは一大決断であった、川が小さくても境界でありそこを渡ることは禁止されていたからである、川を渡ることが運命を決めるともなっていた

川というとき何か韓国だと国が小さいから大きな河がないと見るが武寧王陵に行った時
それは大河の脇にあった、その河も大きいのである
また

朝鮮半島からもたらされた鉄の見返りに、日本から何が運ばれたのか。古代史最大級の謎に、新たな仮説が登場した。
木材だ。韓国南部の古墳で昨年、朝鮮半島では自生しないクスノキの棺が発見されたからだ。中国を含む東アジアに特定 の樹木を貴ぶ文化があったという新しい歴史像も浮上している。

 「百済の武寧王は、筑紫の各羅(かから)島で生まれたので島君(せまきし)と言う。」
という記事があり、武烈紀にも同様の記事があり、「武寧王の諱(いみな)は斯麻王と言う。」とある。「三国史記」にも
武寧王の名は斯摩となっている。島で生まれたから、斯麻王という名前が付けられたという

武寧王は日本との関係が深い、ただ地理的には百済でも伽耶国のあった場所とは離れている公州である

そこに春に行った時、大きな河があった、でも水が満たして流れていなかった
河は広々として芽吹く木などが見えた、韓国でも河は大きいのである
その河の側に武寧王陵があった

春の風大河にそよぎ武寧王ここに眠るや日本よりたずぬ

広々と河に芽吹ける木のありや武寧王陵を我はたずねぬ

やはりここも河がありその岸辺に王陵があったから河がかかわっていたのである
クスノキの棺が発見されたのは南部であり伽耶の国の近辺だとなる
照葉樹林帯に入っていたのは韓国の釜山とか伽耶国のあった所である
この辺が日本と文化の共通性がある

洛東江は525キロある、相馬から東京まで300キロだから長い
一帯はその後伽耶、次いで新羅に支配され、洛東江は海を介して日本とも結ばれる重要な水上交通路として利用された。

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広々と春の光りに洛東江海にい出なむ日本へ通じぬ

ここで川は海に通じている、伽耶と日本は一体だったからである

ともかくしきりにポロスのことを見ていると河のことが言われる
河が神のように守ってくれるとかなる、河が守護神のようにも言う
それだけ川と人間が一体化しているのが大陸である
ガンジス河を知らずしてインドを知ることは不可能でありライン河を知らずしてドイツもわからない、黄河や揚子江を知らずして中国もわからないのである
だから歴史は地理であり地理を知らずして理解できない、ただ地理は空間軸であり時間軸で知らなければならないのが歴史であり地歴となったのである


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