2021年05月14日

コンクリートとの格闘で木を植える (コンクリートがローマ帝国を作った)

コンクリートとの格闘で木を植える

(コンクリートがローマ帝国を作った)

イタリアでは、現在もローマ街道にアスファルト舗装を行って国道として使用しています
ローマ街道は2千年の使用に耐える構造だったのです。

その名の通り、古代ローマ時代につくられたコンクリートです。
これらの多くは2000年ほど前の古代につくられたものですが、さまざまな遺跡や神殿、道路や水道橋などのインフラに「ローマン・コンクリート」という建設材料が使われました。
一言でいうと、ローマ人が発明したコンクリート技術です  

今回コンクリートを壊してそこに木を植えるのに苦労した
上だけ壊したらいいとみたが壊してみたら中にもコンクリートがあったのだ
それで時間がかかった、何かこういうことが工事にはある
思わぬ障害物があり工事がさまだげられる、それは掘ってみたり壊してみないとわからないからだ

リニアでもそうである、トンネルを掘ったら大量の水が山からでてきたとかとなる
その影響がどうなるのかわからないとしている、だからそんな大工事に反対する人たちもいる、そもそもリニア新幹線でも原発と同じように技術的に確立したものではないからだただそういう危険性を言わずになにがいいことばかりを言う
それは科学技術ではそこに期待があり希望があり是認される
でもそこに危険性があることを指摘されないのである
すべて科学技術はバラ色の未来を約束させるものとしている

今回コンクリートを壊すことで失敗したのは中が見えなかったことである
中にもまたコンクリートがあると思わなかったことである
でも事前にそれを知ることはできなかった、だから掘って見なければわからないものだったのである、でもコンクリートを壊して掘ること自体が苦労だったのである

コンクリートの歴史は古い、ローマ時代に確立された技術である,コンクリートを利用したローマの道がローマ帝国を作ったのである
そのローマの道が今でも利用されいる、二千年間も利用できるものだったのである
そこにローマ帝国の意義があった、つまりローマ帝国を作ったのはローマの道でありコンクリートを利用したことで可能になった

人間社会は技術の優劣で判断する、人間の歴史は技術の歴史でもある
それは農業でもそうだった、稲荷は鋳成りであり鉄のことである
農業も鉄の道具を使うことによって農業文明が成立ったとなるからだ
ともかく今やどこでもコンクリートだらけである、コンクリートなしの世界は考えられない、でも日本では明治になってコンクリートでも煉瓦でも入ってきた
日本にはそもそも木の家であり木の文化だからコンクリートと煉瓦はなかった
煉瓦は世界的には主流である、木は亜流だともなる
日本が木の文化だというときどうしても地震があり木の家にした
でも煉瓦となると地震に弱いのである、木の方が地震に強い
でもまた火事には煉瓦やコンクリートが強いとなる

煉瓦の建築という時どういうわけか盛岡とか弘前の煉瓦建築がある
銀行が煉瓦建築で作られた、それは明治以降である、富岡製紙工場も煉瓦で作られた
煉瓦耐火性がある、日本では蔵は火事でも焼けるのこるように作られた
江戸時代でも日本は木の家であり大火で何度も焼野原になった
でも地震には木の家の方がいい、外国では震度5くらいで煉瓦の家が壊れるからである

日本と外国の相違は何か?それは建築物を見ればわかる
ヨ−ロッパなどは石の建築である、それはギリシャの神殿でもそうである
石は耐久性があり恒久性がある、コンクリートも石の一種と化しているから耐久性がありローマの道は今でも利用されているとなるのだ
石は廃墟になっても残っている、するとその現実に残っているものから歴史を具体的に実感できるのである、日本ではもう二千年前の建築物は残っていないからである
そうなると何か歴史的に継続したものとして見ることがしにくいのである
歴史的なものでもいろいろ残っているとしても石のようにコンクリートのように残らないからである

ということは日本では歴史的思考がしにくい国だとなる
それで何か場当たり的に対処するだけであり長い目で見ることができない
その時々で時間が費やされる、一方ヨ−ロッパとかは現実に建築物は残るから継続的に長い目で社会を見れるとなる
煉瓦の銀行があるとするとそれは明治時代のものだと見れる
建築から時代を知ることができる、日本で木を利用するから木は燃えやすく残らないからその場その場限りのものとして一過性ものとして処理するようになる

ともかくコンクリートほど現代で使われているものはない、それだけコンクリートが使われている,コンクリート社会でもある、それで自らコンクリートを壊してみて実感したとなる、何か実感するには自分でしてみないとわからないのである
それはちょっとした体験でもそうなのである、だから今回でも前でもそうだったがその一人親方は何でもできるからそこで学ぶことがある
そういう人について仕事していると自然と覚えるのである
ただ力仕事もありそこはついていけない、確かに機械のドリルでも壊したハンマ―で割れ目を作り壊すとか人の力でもしていた、大きな庭の石を動かしたから驚くのである

またドリルでも力仕事だからである、そういう点はついていけないのである
その人はそういう力仕事ができる、デザイン力もあるとか何でもできるからそういう人はまれだとなる
人間は仕事で評価され、仕事ができるかできないで判断される
とにかく自分のしたことを評価してもいいことはわかる、それは芸術家と同じだからである
自分の作ったもを評価してらいたいとならだ
ただ金だけではない何か自分が特別であると自分がだけができるというこで評価されたいとういのが人間なのである
そんなこと誰でもできるとなれば評価されないからである



posted by 天華 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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