2021年05月10日

小高の人でも浪江、双葉でも原町とか近くに移住する人が増えている (将来的には避難区域は老人だけの町になり消失する?)


小高の人でも浪江、双葉でも原町とか近くに移住する人が増えている

(将来的には避難区域は老人だけの町になり消失する?)

今日聞いた話では小高の大工さんが5000万もした新築の家を捨てて原町の中古の家を買ったという、それは50坪だからとても広い庭は持てない、前は広い庭があり新築の和風住宅でありその家は立派なものだった
それが息子夫婦も外に出て帰ってこない、だからその新築の和風住宅は無駄になった
第一誰も住む人がいないからである、だからもったいないとなる

また家というのは建物だけではない、自分の家のことでも書いたがいつも家のことを親は自慢していたからである
それは50年前とかで私の家は一番土地が低い家で父親が双葉の酒屋で丁稚をしていて暖簾分けしてここに来た
だからその土地を手に入れるにも苦労して次に水害で二回も床上浸水したのである
去年の台風でも土地が一番低い場所にあるから水があふれて家に水が入って来たのである幸い床上浸水にはならなかったので助かったのである

家というのには何かそれぞれ歴史があり苦労話がある
だから親がいたときはいつも家のことを自慢していたのである
それは認知症になってもそういうことを覚えていてわかっていてそう言うのである
つまり家は何かしら人の思いがのりうつっているのである
だから単なる建物、モノではなくなっているのである

だから施設に入っている人でも「家に帰りたい、帰りたい」というとき家という建物ではなくそこで暮らした家族の思い出がありそうして暮らした時に戻りたいとなっているのだただそうはいっても時間をもどすことはできない、ただ家が残っているとその家を通じてやはりその人の記憶と思い出がありそこに存在感を見出すのである
そしてその息子でも娘でもやはり一緒に住んでいればその親の思いが伝わるのである
だから家というのは単なる機能的なものではなく精神的なものともなっている
だから認知症になっても自分が苦労して建てた家だ子供に自慢するとき喜ぶのである

ともかくその人が原町に中古の家を買っても息子夫婦はいない、そして苦労して建てた家でももう息子も孫もいない、仙台の方に行ったらしいからだ
そしてなぜこうして小高でも浪江でももう他に移って生活するのか、それはもう自分の町が復興しないと見ている、できないと見ている
本人もあきらめているというためである
何か人間で悲惨なのは王様で貴族とかでもまた金持ちでも零落したときなのである
召使とかを雇い贅沢していた人が零落することが最もみじめになる
だから豊かに暮らしていた原発避難区域では突然そういうふうに零落して荒廃してしまったのである
その時町を復興させる気力すらなくなったともなる

すなわちかつて耕作された土地が放棄されることほど、我々を落胆させるものはないのである。
 もし原始林のたくましい成長力がなければ、放棄された耕地が荒れ果てていくのを防ぐことはお先真っ暗な絶望となるであろう。
 
彼らの禍の原因のすべては、道徳的なものであった。そして「自然」は、その卑しい子供たちに報いることを拒み、あらゆる悲惨な出来事をその土地に降りかからせたのである。
 しかし今では荒れ果てた「自然」が彼らの田畑に侵入し、<狸と狐とはその棲み処を人々と共にする>までになって、人口は以前の三分の一を数えるに過ぎず、貧困に陥った農民から取り立てることができるのは高々二千俵にすぎなかった。
 http://musubu.sblo.jp/article/176648961.html
 
 本当にこのようになっていることが言っているからその洞察力には驚く
放棄された土地とかタヌキとキツネの住処になっているのも現実なのである
内村鑑三の場合はその原因を道徳の問題として語っている
ただこの土地の人でも道徳が関係しているとは思っている人はほとんどいないとなる
ただ単純いい暮らしをしたい、贅沢な暮らしがしたというだけである
それはどこでも同じだからそにれついて無闇に批判もできない
ただ欲望と原発が結びついた結果として悲惨なものになったのである

例えば時代が違えば戦後焼け野原の日本に戦争をまけて引き揚げた人たちが条件の悪い所に開墾に入った、そういう集落が日本の田舎には多いのである
知っている人では小池に開墾に入った、そこは街から近い、そんな所に開墾する場所があったのかとみるからである
でも仕事がなくどうにもならなくなりそうして開墾してなんとか暮らしたとなる
でも厳しいので半分くらいは撤退したとなる

原発事故から十年すぎても復興はしていない、このように避難区域から移住する人が実際は多くなっている、その理由は小高から原町だったら隣でありそこはたいがいそろっているから暮らしやすいのである、私も原町に住んでみたいともなるからだ
現代だったら便利な場所に住みたいとなる、仙台市とかに津波とか原発事故とかで移り住んだ人が多いのもそのためである、もともと仙台市に住みたいという人が多かったから
津波とか原発事故を契機にこの際移り住むという決断ができたとなる
原発事故の被害者は補償金を結構もらったからそれでまた移りやすいとなっていたのである

でもせっかく建てた立派な家を失うことはただ家という物を失うだけではない、そこで暮らした思い出も失うとなる、そこで生活した思い出は外に移るとだんだん消えてゆく
家とかその町が活きていれば思い出しやすいからである
そういう思い出は簡単に作れない、もう二度と作れない、60過ぎてから他の場所に移ったりしたらなかなかなじめないし思い出を作りにくいのである
ただ南相馬市内での移住だから楽だとはなる
浪江とかなると南相馬市の市民になっていないのである、宙ぶらりんな状態が続いているのである

その人はなんか大家族で住んでいたがそれが一人とかなり淋しいとかなる
何か妻も息子の所に行ったとかある、他の人でもそういう人も結構いる
つまり家族がばらばらになったのである
だから補償金を持乱たとしてもその失ったものは相当に大きいとなる
つまり補償金だけでは補いないものがある
また補償金がいいものとして作用してもいないのである
なぜなら補償金もらったから外に出た方がいいとなると町や村の復興はなくなったからである

ただこうなってゆくと復興できない、老人だけの町となると介護になったりまたそこで町を継続できない、そして南相馬市でもそういう小高のような区域をかかえることは負担になる、若い人がいないのだから町を支えられないともなるからだ
それは南相馬市全体の負担になってしまうのである
それはだから他人事ではない、相馬市でも新地でも移住した人たちが多いからである
だから周辺地域もまきこんで問題になっているのだ

こうしてもう町でも村でも維持できないというとき切り捨てるということも考える
なぜならここだけではない、負担が大きくなると町や村も維持できない
大きな地域の限界集落のようになってしまったのである
それで避難区域の復興をあきらめるということも考えられる
現実問題として維持できない状態に老人ばかりでなってしまうからである
もちろんそうならないのがいいしそうあってほしいが現実問題としてどうにもならない
切り捨てるということにもなる
ただ南相馬市なら原町に移り住むとかする、現実にそういう方向に向かっているのかとも見るからである

posted by 老鶯 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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