2021年05月07日

家族と同居しても孤独死 (妻が死んで弱っても家族と同居しても何もしてくれない)


家族と同居しても孤独死

(妻が死んで弱っても家族と同居しても何もしてくれない)

同居している親の死に気づかず子どもが放置するケースが各地で相次いでいる。一つ一つを詳しく調べたところ、仕事を持ち外からは「普通」の生活をしていると思われていた子どもが放置するケースが少なくないことが分かってきた。私たちは遺体を放置した人々を独自に取材。「早く気づくべきだった」「親に申し訳ない」。一つ屋根の下でも、生活は別々。互いに干渉しないようにして暮らしている親子。同居する親子にいま何が?

隣の人は突然妻が死んだ、残された夫は病気持ちである
今日ゴミのことで聞かれた、突然妻死ぬと家のことがわからないからゴミ投げるのにも困るのである
でもその人は家族と同居している、この前は孫と買い物しているのを見た
だから家族が世話しているのかとも見ていた
でも実際は息子夫婦と同居していても前から一つ屋根の下にいても別々に生活していたのである

それで妻が今まではなんでもしてくれた、それをしてくれる人がいなくなった結果
自分自身でするほかなくなった、これは自分自身が経験しているその辛さがわかる
でも家族がいるからいいと見ていたのである
その人は見た感じが相当に弱っている、痩せている、筋肉も弱ってまともに歩けないとも言っている、もう介護一歩手前なのである
でも息子夫婦はかまわないのである

何か今は家族でも家族だからと助け合うということもない場合が増えているのかばせしれない、だから家族遺棄社会とかの本も出ている
それは介護となるとその負担が大きすぎるからそうなる
子供には子供の暮らしがありとても負担しきれないとなる
その70歳の女性には息子がいる、でも全くかかわらないのである
親が困窮していてもなんら関係しない、絶縁になっている
それで何か息子が贅沢していたとかいい車とか買ったとか母親が言っていた
その母親は毎日食うためにかけずりまわっているのである
これもなんなのだろうとなる

もしかしたら家族崩壊現象が起きているのかもしれない
ただ家族は様々であり理解しにくくい、事情がありわかりにくい
だから一概に数式のようには家族は人間でも見れないのである
でも家族が何かおかしくなっている、家族の絆も消失している
それで家族と同居していても放置されて親が死んでいたとなる
そんなこと一緒に住んでいればありえないことだがそういうことが起きている

ただ隣の人の事情を見ればそれもカルマだったのかともなる
なぜならその人は妻に頼りきりで自分自身は働くこともなかったからである
だから妻がいて生活が成り立っていたとなる
だからこそ妻が先になって妻のありがたみを思い知らされたともなる
カルマとして苦しむことになったのかとも見る
何か個々人でも家族でもカルマが必ず苦しみとなって現れてくる
それはもう逃れようがないのだ

例えば若い時の不品業とかあまり若さまかせてその時何も思わない
でも老人になって後悔する、その若い時の若さに任せた不品業も今度は苦しみとなって
年老いて現れて来る、近くの人でもそうである
もう一人の人も今になって誰もめんどうみるものがいない
なぜなら息子が自殺したからである、その責任は親にもあったからである
その事情は良くわからないにしてもそういうカルマをつんで最後に苦しみとしてそのカルマを自覚させられるのである
因果応報が必ず人生にはあるのだ、それは自分自身でも家族でもそうでありそのことを書いてきた

母の継母は母をいじめたが最後に目がみえなくなり母に頼った
そして大学で解剖されて母が遺骨をひきとったのである
最後にその継母は悪かったなと母に言ったのである
何かそうして本当に頼れない人に頼る、普通だったら遺骨も引き取りたくないのである
親でも実際親に苦しめられた人は墓参りもしない、ただ苦しめられたということで親とも思わないとなる
そういう親子も相当に多いことは確かである

そして何か理由がわからないが非情化した残酷な人となった実家の兄弟の娘は育ての親も捨てた
病気になったときもめんどうみない、幸いすぐに死んだから介護もせずに死んだから良かったのである
そして最後に自分にその育ての親は「ひどい娘だわ」と恨みを残して死んだ
そもそもそう言われ相手として自分の家族はなかったのである
ただ自分に最期にそう言って死んだのである
そしてその娘が本当にひどい娘だ、非情な残酷な娘だということが私自身の家でもわかったのである
それは本当にどうしてそんな非情な人に残酷な人になったのか理由がわからない
三人母親が変わっても一番かわいがられたからである
もう施設に入って育った人もいるしそういう人ではないからだ
金に困ったこともないからそれもわからないのである 

ともかくその娘は外面はつくろっている、葬儀もしたとか言っていた
でもその人は誰も愛していない、三人の母親も愛していない、はたしてそういう女性が墓を受け継ぐとかできるのか?
墓参りはしても別に愛情があるからではない、おそらく誰も見ていないとしたらやがて
墓も捨てるだろう、体面的にそうしていただけだからである
私は家族に愛されたし死んでも愛しているから供養している
死んだ人は供養しても何の返答もないしありがとうもないからいづれは供養もしなくなるでも死者を愛している人は供養しづづけるのである、愛しつづけるのである

ただ家族の事情はここに違うから理解しにくい、表面だけ見ても体面をつくろうとういことがありわかりにくいのである
家族が同居していても別居していると同じような状態の人が結構いるのかもしれない
すると同居する意味もなくなるとなる
そして放置されて死んでいるのもわからなかったとなるのはありえないことだからであるでもそういう家族になっているときすでに家族自体が崩壊しているとなる

私の家族は最後はばらばらになり悲劇だったけどやはり家族だった
一つの家族だったことを自覚できた、それは60年以上とか一緒に生活を共にしていたということにもあった、そこで争そっていてもそこに愛が生まれていたのである
複雑にしろ一つの家族としてありえたのである
ただこれも特殊だから外部から理解できないとなっている
そういうことが家族には多いのである

人間を理解するときその人がどうして育ったとかどうしてそんな人間になったとかある
その女性がもともと非情で残酷な人間だったとは思えないからである
誰でも継母にいじめられたとか貧乏で苦しんだとか何か過酷な運命の下で育ったら性格でも歪んでくるとなるからだ
ただ現代の家族は何かそのつながりが希薄化している、だから同居しても別居していると同じだとなっている人もいる

でも不思議なのは家族遺棄社会だとして遺棄した人を放っておくわけにはいかない
すると誰かがめんどうみなければならないとなる
それで家族は家族を捨てる、それで家族は楽だとなる、でもその捨てた家族を誰かがめんどうみる、そのことが理不尽となる
そんな勝手なことが許されるのかとなる、みんな福祉で自治体で国でめんどうみれるのかとなるからだ
またそういう人ばかり増えるとその負担が大きくなりできないともなっているからだ

高齢化社会の問題は深刻である、とうしても老いる人がこれだけ増えることは病気になる人が増える、すでに同級生でも脳出血になった人が近くに二人とか死んだ人もいる
自分自身でも弱っていく、だから恐怖なのである
そして家族遺棄社会というとき家族が同居しても遺棄されているのだからそうなる
また介護の負担が大きく負いきれないとなる
ヤングケアラーが問題になるのもそのためである
隣の人は孫と買い物に来ていたからもしかしたら動けなくなったらそうなるともみる
でもその負担は若い人になるのは大問題である
若い人が介護で貴重な時間を奪われるのは酷だとなる







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