2021年05月02日

マスコミテレビになぜ洗脳されるのか? (映像は人をだましやすい、錯覚させるメデアだから-武田邦彦氏のNHK批判)


マスコミテレビになぜ洗脳されるのか?

(映像は人をだましやすい、錯覚させるメデアだから-武田邦彦氏のNHK批判)

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【武田邦彦 5月1日】2日前にトンデモないニュースが放送された!
この衝撃的な映像の裏に隠された、奴らの恐ろしい正体を徹底暴露します!
https://www.youtube.com/watch?v=oiYpFquUOdM


子どもの後ろにはおじいちゃんやおばあちゃんたちも座っていて、「へぇー、あんなのがいるのかねぇ」とつぶやきつつ、みんな口をぽかんとあけて画面に見入っていました。ウルトラマンの画面の前では、お年寄りたちは語る言葉を急に失ってしまった・・パヌンのかぼちゃ畑

ウルトラマンをどう心の中で昇華していいかわからないしモン族の世界では語りえないものだったのだ。テレビがいかに人間の心を惑わすものかわかる。モン族や昔の人が見ていた感じたのは風の精とか森の精とか花の精とか自然の中に息ずく精霊のことでありテレビとかに出てくる妖怪、偶像ではない、それはテレビに映るものよりリアリティあるものなのだ。現代はテレビとかゲームとか映画にでてくる妖怪である。人間は今かつてないバーチャル空間に生きていて現実味を失い妖怪化幽霊化しているのだ。湾岸戦争もゲームのように行われたし

現代の妖怪(メデアが育む妖怪)
http://www.musubu.jp/internetmedia.htm#youkai

テレビの特徴はいろいろあるが感情的メデアなのである。活字とかラジオとか文字と音だけのメデアだったら感情的にはならない、本や新聞を読んでもすぐに感情的にはならない、冷静にみる。

「なんだあいつの顔が気にくわねえ、もっと顔のいいやつを出せ、、、、」

顔とか表情がまず注目される、だからアナウサーは美人でないと勤まらないのである。
知性よりその顔をみるからそうなる。

そしてテレビは一方的洗脳メデアである。テレビは何か疑問に思ってもそれを追及できないようになっている、そんなことあるのと思っても追及できない、一方的にテレビ局に洗脳されるだけなのである。
http://musubu.sblo.jp/category/641983-2.html

人々と場所からの疎外、帰るべき場所の喪失、および世界の非現実感と所属先の喪失感をともなう、
そのような観点からは場所は意義ある存在の中心ではありえない

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする
http://musubu.sblo.jp/category/641983-3.html



海岸が侵食されているのではなく、波の作用によって、島の形が変わっているということです(面積としては上記から増えていることがうかがえる)

「地球温暖化により海面は上昇しているか否か」ではなく、リサイクルPETレジンのLCIデータの解明と、ツバルの問題を歪曲し、センセーショナルに取り上げ世論を誘導するというアプローチの違いです。
https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1006/18/news007.html


武田邦彦氏がなぜNHKを批判するのか?それはNHKがあまりにも影響力が大きいからである、そしてNHKは公正な報道をしているわけではない、放送はすべて公正ではない
特にテレビの問題は映像が主体だからそれでだまされやすいのである
そのことを絶えず指摘している、意外とここが気づきにくいのである
人間は映像に目から入るものに一番だまされやすいのである

温暖化はないというとき南極であれ北極であれその土地は実際は広大でありそれを知ることなどできない、ただ常にほんの一部の映像によってきりとったわずかの映像だけ映されるからその影響が大きい、それは人間の心理として頭に刻印され洗脳効果が大きいのである、それで北極であれ南極であれ氷りは溶けないとオーストラリアでも氷づけになってしまうという、広大な氷原の端でも溶けないとそうなる
つまり人間の認識の弱点は常に大局的に見れないことなのである
テレビの小さい箱から見ても自然とか世界は理解できないのである
でも映像のインパクトは強力だからそれで誤解されやすいのである
だまされやすいのである

そういうことは常にテレビの放送である、イラク戦争で油まみれの海鳥がテレビ画面に映されてそれが世界で放送されたときイラクはひどいと感情的になりイラクは悪い奴だとされたのだからこれもあくどいとなる
実際はイラクには毒ガス兵器などなかったのである、それもアメリカによって大国によって強国によって力の強い者が報道でも操作できるからそうなった

地球温暖化でもツバルが海に沈むというときもそうである
確かに一部は海の水が入り込んでいたが全体ではない、またそれが温暖化の影響でもなかったのである
でもテレビでその水びたしになった映像を見るとそう思い込んでしまう、そういう影響力がある、だから人間は映像にはだまされやすいのである
そしてNHKは嘘をつかない、NHKはまるで聖人君子のように見られている
そのNHKを批判はできない、その影響力の大きさが問題なのである
だからNHKを見ている人はNHKを批判してもNHKの方を信じるのである

原発事故でも避難した人たちが相馬市にいた、その時津波の被害者も同じ仮設に住んでいた、一方は多額の補償金をもらっていた、でも相馬市の津浪の被害者はもらっていなかった、でも津波の被害者をトマト農家では雇った
そして飯館村の人は断られたとテレビに映りそのことを言わせた

でもその雇った人のいい分は言わせなかった!

ここにNHKによって操作された編集された映像が流されて誤解になった
それはNHKの上層部で原発避難者側に立つということで編集したのである
だから津波の被害者には何も言わせなかったとなる
それはいわき市でも起きていたのである
だから原発避難者が過度にかわいそうだと全国で見られるようになった
実際は津波の被害者の方がかわいそうな人たちだったのである
別に原発避難者が悪いというのではなく公平な報道がなかったことを私は指摘した
そこに別に悪意はないのである
ただその後はNHKでは公平に報道していた

でもこういうことは地元でないと気づきにくいのである
なんでもそうである、テレビで映し出すのは全体のほんの一部なのである
その一部がクローズアップされるから誤解しやすいのである
人間の認識は全体があってその全体のつながりの中で物事を理解する
土地はつながっているし一地域も全体の中で認識する

人々と場所からの疎外、帰るべき場所の喪失、および世界の非現実感と所属先の喪失感をともなう、そのような観点からは場所は意義ある存在の中心ではありえない

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる

つまりテレビの映像は実際は非現実の世界でもある、なぜなら全体を知ることはテレビからはできないからである、そこに映像の錯覚が生まれる

子どもの後ろにはおじいちゃんやおばあちゃんたちも座っていて、「へぇー、あんなのがいるのかねぇ」とつぶやきつつ、みんな口をぽかんとあけて画面に見入っていました。ウルトラマンの画面の前では、お年寄りたちは語る言葉を急に失ってしまった

原始的な部族で生活している人がウラトラマンを認識できない、奥深い自然に囲まれた中で閉鎖されて生活していればそれが何なのか認識できない
それは全く非現実の世界のものだから理解できない
むしろ自然の中では精霊とかがいてそれが現実的である、森の精霊とかが現実に感じるものである、それは非現実ではない、やはり森があって認識するものだからである
何か現代文明こそが非現実の世界、バーチャルの世界になったのである
第一一千万の都会とかなるととてもそれ自体が現実と思えないからだ
そこが人間が住む世界として現実に思えない、摩天楼でも幻想に見えてしまうのである
だからこそ文明人はロゴスを失ったとか、言葉が喪失した連関性のない世界に生きているとか言われる、つまり言葉と事物が結びつかなくなったのである
アイディンティティ化される自然の事物が喪失した
大都会では何とアイディンティティ化するのか、そういう場所からウルトラマンとかゴジラとか異様なものが生まれる
それはヒットラーにもナチスにも通じる不気味なものなのである
現代文明が膿む妖怪なのである

一つの例として

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先日私は阿武隈川をさかのぼり道に迷い丸森の大張村に出た
それは偶然だったがその大張村に一本の木があった
その木を見て短歌を作った

大張に一本の木の根付くかな春の夕暮れそを見て帰りぬ

その一本の木があったがこの木でもやはり全体の中にある、大張村がありさらにその周りの自然があり山に囲まれている、そこに到達したのは急な坂を七曲の坂を上ってきてその村に出たのである
その過程でその土地の地勢を体でしりその一本の木を見たのである
写真でみればただ一本の木だけが目立つ、でもその一本の木を人間が認識する時はこうして全体から認識する、その過程がテレビにはない、写真にもない

だからどうしても写真を見たりテレビの映像を見ても俳句とか短歌でも詩でも作れないのである、それは認識するということは部分ではない、全体から人間は認識するからだとなる
人間は見るということはカメラで見るのとは違う、心の中で見るともなる
人間は事物がある、それを見るということは心で見る、心で一体化することである
アイディンティティ化する、自己同一化する、それで物は物が憑くとかなり物は単なる物ではなくなる、人間の心がのりうつり人間化するともなる
それで原発事故で避難して人がいなくなった飯館村とかで一本の木があったがそれが人間に見えた、何か淋しく感じたのである、だから村とかにある木でも石でも人間化したからそうみえる、それは庭の石とかでも人間化している、木でもそうである
だから人が住まなくなったとき何か一段と淋しく思えるのである

人間存在はその土地から場から遊離して孤立して存在し得ない、土地の全体の中にあって活きてゆく、その場から何事も認識する
だから事件でも災害でもテレビでは切り取った一部分が放送される
するとそこに必ず誤解が生まれる、誤った認識になる、それで起こるとはtake placeであり場所から離れて事は起こらない、場所と結びついて事件でも災害でも起こる
その場から現代人は遊離しているからこれだけ情報があふれていても実際は認識力が深まっていないという逆説がある
テレビとか写真の映像はあくまでも一部分切り取ったものであり全体を知ることはできない、だからいくら世界の情報があふれても必ずしも世界の理解が深まったとはならないのである、むしろ世界となると誤解が大きくなってそれが問題を引き起こす
それがイラク戦争の油まみれの海鳥の映像だったのである
その一羽だけがクローズアップされて世界中が誤解したのである、回りの状況が映されなかったからである

武田邦彦氏が紹介した南極でも北極でも氷が崩れ落ちてゆく映像は衝撃的である
その映像を見た時、一瞬南極でも北極でも氷が溶けてなくなるのかと見る
でも広大な氷原の大陸がありその氷が崩れているのはその端のほんのわずかな部分なのである、でも一瞬氷りが溶けるということで恐怖を植え付けて温暖化してそうなった世界中の人を洗脳してしまうのである
そこにテレビの映像の報道の根本的な問題がありその映像を使ってNHKが主導的立場になり誤った方向に導く、それが怖いのはラジオからナチスが生まれたとかピカートが指摘したようにファシズムを誘導する、それが恐ろしいものを産むものとなる
ただでは映像の時代はその映像の洪水の中で生きる
私自身も映像に魅力を感じるからカメラにこるようになった
でも自分が撮った写真と他人が撮った写真は違っている
自分が撮った写真はその場の全体を記憶して撮っている、一部分だけを見ているのではない、全体がイメージされるものとして記録としても撮っているからだ
ただ他人の映像だとそこの場で自分が撮ったものではないから全体を認識できないから
誤解を生むのである


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