人間は急激に起きることに対処できない
(認知症、津波、原発事故,コロナウィルスで経験したこと)
人間は急激に突然起きることに対処できない、また未知なことに対処できない
それが時分に起きた、最初は家族が認知症になったことであり次に津波に原発事故でありそして次はコロナウィルスである
認知症に家族なったとき、何が起きたのか理解できなかった
狂気になったのかと思った時恐怖である、それが最も親しい人に起きたら恐怖でありどう対処していいかわからなくなる
つまり人間は未知なことに対処できないのである
経験しないことに対処できない、でもその時やはり多少でも知識があると役には立つと思った
瞬間的に認知症のことをインタ−ネットで調べた、すると相手が混乱して激情的になっているときまずはお茶を飲ませてとか落ち着かせろと書いてありそれを即実行した
それは正しい方法だった、認知症という病気がどういう病気か知っている人はだからそう言えた、今したことを忘れる、するとここにあったものがなくなっている、その時認知症の人は混乱して怒る、その起る時が普通に怒るのと違っていて怖いのである
何か狂気的になるからだ
だからとにかく落ち着かせろということでお茶をのませたりしろとなっていたのだ
ただそういうことでも急激に起るから対処できないのである
津浪でもそうである、これも急激に起きた、すぐに逃げなければ助からないものだった
でもたいしたことがないと逃げない人は死んだ、それも老人が多かった
老人は津波のことを経験していない、するとこの辺では津波は来ないという確信にもなっていたから余計にすぐに逃げなかったのである
だから老人で死んだ人が多いのである
ただ正直そういう時とっさに対応するのは本当にむずかしい、考える時間すらないからである、一刻を争うからである、議論している暇もないのである
それで大川小学校では子供が裏山に逃げれば助かったのに先生がそうさせなかったから
死んだともされる、子供の方が敏感に反応したということである
そういうとき何か大人も頼りにならない、分別があるとかなる緊急事態では役に立たないむしろ人間的動物的感の方が役に立つともなる
天使がソドムに派遣され、ヤハウェがソドムとゴモラを滅ぼすことを決定したことをロトに伝える。逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」となってしまった。
ふりかえるな・・とういときふりかえると恐怖して動けなくなっていたかもしれない
津浪でも逃げていてその津波を見たら恐ろしくて動けなくなるようにもなる
それほど恐ろしいものだったからである、ふりかえらないで一目散に逃げる必要かあったのだ、つまりロトの妻は恐怖のあまりその光景を見た結果、塩の柱になってしまったのである、それは何か緊急事態で身動きがとれず凍てついてしまってそうなることがありうるありえない恐怖の光景を見たらそうなる
だからふりえり見てはならなかったのである
とにかく人間は未知なことに急激に起きることに経験しないことに対処するのがむずかしい、だから社会経験がないニートとか引きこもりが親が死んだときどうしていいかもわからなくなり親の死体といつまでもいたとかなる
どう対処していいかわからなくなってそうなる
そういうことはコロナウィルスでも起きている、このウィルスの正体がわからないからだ専門家ですらわからないのである、すると素人がどう対処していいかわからない
指導者だって政府でもどう対処していいかわからないのだ
そこで恐怖を過度にあおる人もでてくるしマスコミではそうである
恐怖をあおるとテレビに釘付けになり視聴率が上がるからである
毎日感染者の数を報告する、それが日課になりその数で一喜一憂する
ただその数字が恐怖する全部ではないが数字に左右される
原発事故の放射線量でも数字で判断していたから同じだった
ただ数字の本当の実体はわからない、中味はわからないが数字が恐怖になる
でも人間は何か緊急に起きることのすべてに対処できない
ただ台風とかの洪水は毎年起きているから川幅を広くした堤防を強化したりすると防げる現実に自分の家は近くの川が氾濫して二回床上浸水になっている
私の家は街で一番低い土地にあったからだ
去年も台風で水が下水からあふれ床下浸水になったからだ
でも河川改修してからは川からは水があふれていないのである
だから安全になったとなる
それでも津波が川をまずさかのぼってきた、それがわからなかった、急なことで何が起きたかわからなかった、でもこれもすぐ下の方で水があふれて流れ出していたのである
だからこれだって怖いものだったがわからなかったのである
そういうときとっさに判断しなければならないから対処できなくなる
逃げようか逃げまいかとか考える時間もないからだ
ともかくこの辺で起きたことはそういうことでとっさに判断できずに判断を誤り失敗したとなる
ただそういうとき導く人がいると命まで助かる
浪江では町長は政府から東電からも指示がないので自分で判断して津島の方に町民を避難させた、そこは一番放射線量が高かった場所だったのである
それで東電の社員がいて街の方に逃げた方がいいとしてそれに従った人がいた
それが正しかったのである
砂漠を旅した日本人の団体で水がなくなり水を求めた、その時経験していた人が水がある所に導いた、それで命拾いしたとある、導く人が正しい方向に導いた結果助かったとなる聖書ではモーゼに従った民は神に導かれて助かったとしている
そういう緊急事態ではみんなで話し合っていても即決で判断しなければ死ぬのだからできない、すると誰かの判断にすぐ従わないと助からないのである
聖書では危機をいかに脱するかを記したものである
大洪水が来ると言ってノワの箱舟で逃れたこともそうである
それは誰も信じないでノワを笑っていたのである
でもこの世には信じられないことが起きるということを経験したのである
第一これまでも戦争で3百万人も死んだということも信じられないことである
だからやはりこれからも信じられないことが起きる
今まで経験しないようなことが起きる、だからいくら備えてもやはり備えがすべて無駄とはならないがそれでも必ずそれだけはたりなくなり死者も増える
それで阿武隈山地でヒッピーの集団がいて獏原人とかいてその人たちは水道も使わない
電気も使わない、半裸とかで生活していた、原発事故では水道もとまり電気もとまった
でもその人たちはそういう原始的生活していたから井戸水を使いとかでしのいだという
でもその井戸水にしても放射性物質に汚染されていたから本当は原発事故には対処できないものだった、それは津浪より恐ろしいものだったともなる
津波の被害ではやはり水道も電気もつかえなくなり裏山の清水を利用して薪とか木材を使い米をたいたりしてしのいだ人たちがいた、それで何週間かしのいで救援を待って助かったとなる
でもこういうことは東京とか大都市ではできない、水道が利用できなかったらもう水はない、確かに貯えがあったとしても限られている、燃料でも電気がない
そしてお手あげになり死ぬことにもなる
不思議なのは文明的便利な生活は意外とこうした自然災害であれ文明的災禍になると弱いことを知った、車だって使えなくなりガソリンがこの辺では入らなくなり利用できなくなる
すると徒歩とか自転車を利用することになる、自転車でも電気がなかったら電動自転車は使えないのである
ただ電動自転車は一応電気がなくても走れるからいいのである
でも自転車による、バッテリーが切れてもそれなりに走るいい自転車もある
一方で電池がきれると急に重くなって走るのが苦しくなるのもある
そうなるとこの両方の備えがなるのがいいとなる、電池がなくなっても一応走れる
それが結局緊急事態の備えだとなる、なぜなら人力で走れるということはそれで最後に逃れられるということである
車はガソリンがなくなったら使えないからである
だから緊急事態に備えるという時、文明の利器だけで備えることではない、かえって原始的と思えるものが役に立つともなる、ところが都会だとそうしたことができない
それでもう壊滅的被害にもなる、一見無駄と思えることが災害に役に立つことがある
大都会でも空き地があるとそこで延焼がくいんとめられる
江戸時代では大火がありそこで延焼をとめるために空き地を作ったからである
まず都会のように密集していたらどうしても延焼を止められないからだ
つまり空き地は無駄だとなるがそれも無用の用があり人間にとって必要なものだったとなる、何かこれは逆説的である
無用と思えるものでも実際は有用になる、そこに人間社会の問題がある
結局何が有用で無用なのかも人間だけでは判断できないからである
そこに人間の限界がある