2021年03月12日

冬の日の飯館村(ホームページから抜粋) ー飯館村のかつての風景


冬の日の飯館村(ホームページから抜粋)

ー飯館村のかつての風景

iidatefuyukeshiki.jpg

iidatefuyu2.jpg

前に書いていたホームページを見ていたらこれを発見した
こさも忘れていた、何しろ膨大な量を出しているから忘れる
それで今その整理をしているけどいくら整理しても整理しきれないのである
「時事問題の深層」とかに書いたのも今になると一つの資料として貴重なものかもしれない、その時何があったかを知るからである
なぜなら自分で書いたものでも忘れているからである
それで前に書いたものを参考にすることが結構あるからだ
インタ−ネットだとリンクできることが便利なのである

今こういう風景が飯館村から喪失した、田畑は草ぼうぼうであり放射性廃棄物の処理場のようになってしまい荒れ果てている
その風景は生業(なりわい)とともに作られていたのだ
その生業もないし奇妙なのはこじんまりとしたしゃたれた別荘が家があったところに建てられている、そこに時々帰って畑などで野菜を作っているというのも不思議である
それは今までの風景とは余りに違ったものである
ただ飯館村の人たちは補償金が多くもらったから福島市などに新しい家を建てている
だから家が二つあることにもなるから確かに別荘であり金持ちになったのかともみる

いづれにしろここに私が残した飯館村の風景は失われた
なんでもない平凡なものだがそこに何か貴重なものがあったことをふりかえる
今の風景からもうそういうものをイメージもでなくなっているからだ
そして生業を失うことは村が死んだことなのである
ソーラーパネル工場となり風力発電所となり田畑は失われ人々は補償金で村が二分されてばらばらになった
それは別に飯館村の人たちの責任ではない、飯館村は原発の恩恵を受けていなかったからだ
原発によって村はずたずたにされたのである
ここに原発事故のむごさが一番現れたからである

そして生業を失うことは長年培われた江戸時代からの景観でも失われたともなる
そこに生業がなくなればやはり死んだものとなる
「作見の井戸」の行事も失われた、それは井戸の水を見て豊作か不作かを占うものだったそれももう田んぼがないのだから無用化して失われた
祭りも失われたのである、神社は誰も参らず捨てられている
こうしして相馬藩内だった飯館村が失われたことは大損失にもなった
飯館村は一見地理的に相馬市とか南相馬市と離れているようで結びついている
なぜなら新田川の源流が飯館村内にあり真野ダムでも大倉にありそこから放射性物資が流れてくるからである
飯館村の佐須では泥が20マイクロシーベルトあったことに驚いた
その泥が真野ダムの方に流れてくるから怖いのである
現実に放射性物質をつめたフレコンバックの土が破れてもれて流れ出したからである
飯館村は依然として放射線量が高いのである

ともかく飯館村の何が貴重だったのか?それも失われるとわからなくなる
なぜならそういう景観が失われたからである
ただ私は何度も行っているから今残された写真を見てこんな風景があったなとなんでもない風景を見てそこにかつての飯館村の面影を偲ぶともなる



posted by 老鶯 at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/188482592
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック