都会の見えない津波
(人間は見えないと恐怖を感じない)
八沢浦

テレビで放送していたけど都会は家が密集しているから津波が来たのが見えないでのわからなかったという、それは多賀城市のことで説明していた
海からと川をさかのぼって津波が襲ってくる
それは八沢浦と大内村の人から聞いた
八沢浦だとすぐ前が海でも津波が来るのが見えて裏山に逃げて助かったという
そんなに近くでも見えたから逃げたのである
大内村の人はそれなりに距離があったがその人も津波が遠くから来るのを見えてからトラックで逃げた、ただそこはすぐ裏山があり逃げればやはり助かった
でもトラックがあったのでそれを守るために逃げたともなる
つまり津波が来てから見えてから逃げて助かった人が結構いる
映像でも津浪が押し寄せて必死に逃げている映像がありそれで山に駆け上って助かった人もいる
今回の指摘は都会だから家が密集して前が見えないから津波が来たのが見えなかった
それが盲点になったのである、石巻の大川小学校でも前は家が密集している、すると津波の来るのが見えないのである、また日頃でも海が見えないと海を感じないのである
それで不思議だったのは私は津波が来る前から何度も海の水がおしよせてそれにのまれる夢を見ていたのである
そこは家がほとんどない田んぼである、それで頭の中で海が身近になっていた
家がないから海が延長しているというふうにも見える
でもそこに家が密集していると海が見えないから海を感じないのである
そして家の間の道が水路となり津波が押し寄せて来た
何か音も感じなかったという
それで自転車に乗っていると後ろから来る車が見えない、ところが音がして気づくのである、もし音がしないと気づかないから横切ったりしたら事故になる
とにかく人間が危機感を感じるのは見えることである、見えないと危機感を感じない
放射線量でもそうである、見えないから危機感を感じない、それで数字で知る意外方法がなかったのである、それでも数字だとまたわからない、放射線が視覚化していれば恐怖を感じる、人間は見えないと危機を感じない、ウィルスでも見えないから危機を感じにくいそのために感染が広がる、見えないから危機を感じにくいのである
また津波は下水道とにも流れてふきだしてきた、小高の駅を越えて津波が来たのかと思った、泥が積まれていたからである、それは下水道を通って津波がマンホールからあふれたためである、鉄道の線路は越えなかったのである
これも気づかないことだが下水道も津浪では危険だとなる
とにかく津波は見えてからでも必死に逃げれば助かることがあった
ただ都会だとまず家にさえぎられて見えない、そして逃げるのもどこに逃げていいかわからなくなる、家が密集しているからである、だから近くの高い建物に逃げろというのはわかる、だから都会の家が密集していること自体危険なのである
火事でも危険なのである、またウィルスでも過剰に人が密集している都会は危険なことがわかった、つまり人が過剰に密集して暮らしている社会は実際は危険なのである
それは生物にとって不自然だともなるからだ
そのために災害に弱いのである、一千万の都会とかなると何か見ているだけで感覚的に怖いとなる、高層ビルが倒れたらどうなるのだろうかとかイメージするからである
津浪が襲ったら地下街は危険である、でも見えないからとっさに逃げることができなくなる、そこは閉ざされた世界だからである
いづれにしろ見える見えないということは人間にとって重要である
それが生死を分けることにもなる、だから家が密集していることは災害に弱いのである
津浪でもそういう災害に対処できないのである
もともと家が密集していることが人が多すぎることが原因になっているからだ
ウィルスでも人が密集していることで防げないのである
一千万人とかが密集していることで防げない、どうしても感染が広まるからである
田舎だと近くで一人コロナウィルスの感染者が出たというだけど恐怖を感じる
それで危機を感じて対処する、でも大都会だとそういう危機を感じにくい
あれだけの人がいて交わらないということはありえないからだ、それで防ぎようがないのである、そもそもデスタンスをとることができないからだ
田舎だったら日ごろから家でも離れていてデスタンスをとっている
大都会だとそれができないのだから防ぎようがないのである