1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も
(原発事故の補償金でも同じ事が起きていた)
元の商店街関係者からは、飲食店には手厚い補償がなされるのに、衣料品店や雑貨店への補償がないのはおかしいと声が上がり、にわかにバブルに湧く飲食店経営者に「商店街の運営費用を渡せ」という主張する人もいる。飲食店主とそれ以外の商店主の間に軋轢が発生し、長く続いてきた人間関係が崩壊したという例もある
飲食店は良い思いをしてきたと攻撃される可能性もあるし、商店街では白い目で見られるかもしれない。以前のように堂々と元気に営業できるのか、
1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も
これも原発事故でこの辺が補償金でもめたのと同じだった
本当に30キロ以内は政府の補償が手厚かったのである
10年間医療費無料、高速無料だった、でも同じ相馬市でも鹿島区は30キロからはずれた地域では半年で医療費無料はなくなり高速はもともと無料でなかった
そして10年過ぎても医療費無料が延長されるとか聞いた
このために南相馬市は分断された、ただ補償金ではどこでももめたのである
必ず多くもらえる人たちとそうでない人たちがいるからだ
それで親戚同士でも口を利かなくなったというのも聞いた
つまりコロナウィルスでもこうして補償金によって商店街でも一体感がなくなり分断されるのである
飲食店だけが被害ではない、それに関連する業者も被害を受けている
なせ飲食店にだけ手厚いのかとなる
そのあとでも心が分断されて協力できないとまでなっている
原発事故の補償金ではそうなった、市町村が分断されてしまったのである
そして必ずしも補償金がいい方向に働かないのである
飲食店はいい思いした
こういうことがその後の生活にかなり影響する、一日6万もらった人と全然もらえない人の差が大きすぎるからである、この辺でも30キロ内は手厚い、でもそれ意外わずかでありもう同じ放射線量でも全然もらえない地域もある
そのために一体感が消失する、だから人間社会はなんでも金で解決できるとはならない
何かとにかくこのコロナウィルスの不思議は原発事故と同じようなことが起きていることである
放射能がうつるから来るな!
こういういじめが原発事故の避難者にあった、今回も東京からコロナウィルスがうつるから来るなとなった
これもカルマなのかとなる、カルマとは人にした行為がまた同じ行為となって返ってくるということである
人を苦しめたものはやはり同じ苦しみを受ける、それがコロナウィルスでも起きている
特に東京中心に起きている
だから個々人にもカルマがあり社会自体にもカルマの法則があてはまる
人間は繰り返し感染症では苦しんできた歴史があり津浪でもそうである
それで昔の人の苦しみを身をもって知るようになる
そして補償金でももらえる人はもらえない人のことを思わないのである
何かその補償金でレクサスを買ってまた家族で旅行とか遊んでいるというのもそうであるそれはこの辺でも補償金でそういうことが起きたからである
それで車を傷つけられたとか聞いたからである
周りの人がどう思っているか考慮しないのである
そして原発避難者は外部からかわいそうだと援助がつづいたのである
仮設住宅には毎日ボランティアが来ていた、でも周りの人は関係ないのである
原発避難者様になってしまったのである
すると俺たちは被害者であり援助されるべきだとなる、同じ市内でも特別なものとして扱われる、つまり俺たちは何もしなくても助けられるべきだとなり自助努力をしなくなるということもあった、ただ遊んでいた人いたからである
とにかくコロナウィルスが終息してもその後遺症はこうして残る
何かみんな苦しんだから一致協力するということもないのである
かえって協力できなくなさせたのが補償金でもあった
だからこの世の中のことがすべて金で解決するということはない
かえって金によって人の心は分断される、兄弟でも遺産争いとなり骨肉の争いとなる
だからもしかしたら安易に金を与えるということは問題なのかもしれない
実際に原発避難区域では多額の補償金をもらった結果若い世代はみんな外にでて家を建て帰ってこなくなったからである
それはそれだけの補償金をもらったためにそうなったからである
そうしてしそれはもう修復できなくなったからである
いづれにしろ人間公平に対処することはできない、必ず不平等になり不満な人がでてくるそれで一体感が消失して心でも分断される、すべて金で解決しようとしてもできない
そこに人間の心の問題がありできない
ただみんなで商店街で協力して助け合い乗り切ろう
こういう気持ちになるとまた違ったものになっていた
それは原発事故の被害地域でもそうだったのである、補償金でかえって人間の心はばらばらになり家族もばらばらになった、それでインフラとかは整備したが肝心の人間の心は分断されてずたずたにされて復興できなくなったのである