2021年01月22日

プラスがマイナスに働きマイナスがプラスに働く (コロナウィルスで引きこもりの時代になるのか?)


プラスがマイナスに働きマイナスがプラスに働く

(コロナウィルスで引きこもりの時代になるのか?)


その人は体力もあるし大工であり何でも器用でできる、やり手である、話もうまい
悪く言えば八方美人であり器用貧乏にもなる
でもなんでもそうして器用にできることは生活力もありいいことなのである
それが何かマイナスとなるとは思えないのである
でも何でもできることはやらなくてもいいことまでしている
大工で十分に稼げるのに何かしなくてもいい公にもできない仕事もしている
その人は欲のために何でもする、またできるのである

だから人間の謎はそうしていい面でも悪い面に働くこともある
そもそもやり手の人間は悪いことでもやり手になるからだ
無能な人間は悪いことすらできないのである、不器用でできないとなる
でもそれは倫理的な面から見れば悪いことでもないとなる

人間は社会では外交的な人が好かれる、私自身でも外交的でいつも笑っているような人を好む、何か陰気で内向的な人は社会では嫌われる
自分自身がそうである、内向的でありそれで一日ほとんどしゃべられない生活をつづけてきた、つまり引きこもりだったのである
ただそんな生活ができたのは家族に恵まれたからである
それで何ら叱責されることもなかったからである

ただ内向的なことがすべて悪いとはマイナスに働くとは限らないのである
自分はしゃべるのは苦手である、でも文章を書くのは好きなのである
だからこうしてプログだと文章だから書き続けている
一人内向的作業をしているとなる、それに向いているからである
それで引きこもりの時からワープロに通信機のついていたときから引きこもりはじめていた、それが今日に継続している

内向的な人間には内向的なことをする、仕事をするのが向いている、ただ社会では文系とかなると内向的な仕事は少ないのである、営業とかが多くなる
するとそれに向かいない人もでてくる、向かないことをすることはストレスになる
人間にはどうしても何でも向き不向きがある  
機械マニアのような理系の若者がいてそういう人は人との交際か苦手である
また英語など勉強しなくても機械マニアには機械マニアとして生きることで日本を導く者になるというのもそうである
人間ではなく機械相手にしている人でも社会に有益だとしているのだ
猫でも雪を嫌っていると見ていたら雪の中を押し分けて駆ける猫がいたのである
普通は雪を嫌うからである、猫でも何か内向的なものと外交的なものがいるともなる
猫の性格も一様ではないのである

ともかく人間はプラスになることとマイナスになることは表裏一体である
島国となるとそこに孤立しているとかマイナス面があるがまたプラス面がある
何か不利と見えるのがものが有利にもなる、例えば動物でも肉食の強い動物が種的には強いともならない、なぜならかえって草食の小型の哺乳類が繁栄したからである
恐竜などは滅びて小型の哺乳類が生き延びたからである
つまり強さが弱さになり弱さが強さにもなる
必ずしも大国が強いとは限らない、大国は大国の弱点がある、中国のように一つの国としてまとめることができず内紛が絶えないともなるからだ
日本は小国でもまとまりやすいからかえって強いともなっていた
何か強いと見えるものがかえって弱点となり弱いと見えるものが強いともなる

聖書でもかえって弱いと見えたものが強く勝つとかが語られている
ダビデとゴリアテとか弱者が強者に勝つ物語がある、だからどこで強くなるのか弱くなるのか定められないのである   
イスラエル自体エジプトなどと比べると小国である、でも神が選んだ国だったのである
確かに中国でもアメリカでも大国である、でも大国なりの弱点がある
その弱点の故に国がまとめられず衰退してゆくともなる

人間はそもそも何が有利に働くかわからないのである
コロナウィルスでもニューノーマルな生活が言われるがそれは三密をさけることだというのもそうである、常にこれまでは何でも集団化して集まる
でも何か不思議なのは食堂でも居酒屋でもデスタンスをとれとか黙食しろというのもそうである、しゃべらずに食べろ、密になるなデスタンスをとれというのも社会を変えてしまう、それは引きこもりして仕事しろということなのかともなる
家に引きこもり仕事しろという時代なのかとなる
そういうことは総一億引きこもりの時代になるのかともなる

時代によって価値観も変わる、グロ−バル化とは世界とも広く交わるのがいいとみていたでもコロナウィルスで内に籠もる時代になる、内向的になる
中世のような時代にもなる、明治から戦後でも高度成長時代を経て外交的な世界だった
外に向く世界だった、それが内向自体に変化する、それは江戸時代の鎖国のような時代になるのか?
鎖国だってすべてか悪いとはならない、いい面もあった、これからは何か落ち着いた内向的時代になるのかもしれない、動物的世界、激しく移動して動く世界から木や石や山のように動かないものへの移行なのかもしれない
そういう時代の変化にあり価値観も変わる、だから内向的性格がすべて悪く働くとは限らない、むしろニューノーマルの世界は内向的世界であり内向的性格の人にとっては有利に働くともなる

そしてみんなアーティストになれとかそれは内向的世界であり内向的性格の人にとってはいい時代ともなる、何か価値観が内向的なものとなる
人間の内面の追求となるのは宗教とか芸術の世界だともなる
ただカルト教団は外交的なものでありそこで全く内面的もの外交的なものは嫌われる
まず一日しゃべらず黙想しているようなことはありえない、そういうことは最も嫌われる毎日外交的に人と接して票を集めるとか会員を増やすために布教するとか常に外交的なことを強いられるのである、それが会社のノルマと同じなのである
それで会員を増やし票を獲得した人が評価される世界である
だからそれは全く本来の宗教とは違うのである、常に社会にむっかて外交的になり人と絶えず接して一票を得るために活動する、それが権力獲得に結び付くからである
だから宗教とは全く正反対の世界なのである
集団行動して大勢が集まり気勢をあげる、でもコロナウィルスでそれができないから盛り上がらないと困っている

いづれにしろ人間はマイナスとして働くように見えるのもプラスになる
プラスに働くように見えるものもマイナスに働く、だから別に引きこもりすら全部がマイナスに働くとは限らないのである
引きこもりは新時代の新しいライフスタイルだったともなりうる
ただそれが今までとはあまりにも違ったものに見えるから受け入れられないともなった
でももしかしたら引きこもりでも時代を先取りしたライフスタイルだったともなるかもしれない、コロナウィルスがそういう価値観の変化をもたらしたともなるからだ

そもそもブラック会社とかまたカルト教団であれ組織集団でも雇われて働くこと自体馬鹿らしいのである
雇う方にとってその人がどんな人でもいいのである、だからロボットの方がましだとなりAIとかロボット化する、雇う方ではその人間にどんな資質があるとか見ない
計算しているのは自分がもうけることであり雇う人間はコストでしかないのである
もう人間とも見ていない、都合よく使うロボットなのである
人間が働くことは自分の資質を活かして自分のあったことをして何かを成し遂げることである、雇う人はそんなことを考えない、自分の都合いいように働く人である

それでロボットの方がましだとなったのである
つまり人生とは何かとなればその人なりに生きることである
そしてその人なりのものもを達成すれば生きたとなる
ただ雇い主の都合でロボットのように働かせらさせるのは生きたことにはならない
人生を奪われたともなるのだ、そして最後に残るのは何もないとまでなる
多少の金が残ったとしても何かその人なりのものを達成したということがない
ただ雇い主のいいように使われて人生が終わったともなる

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