寒椿、年暮れぬ、冬の暮、冬深む(年末俳句十句)
(今年も終わりに・・・・)
街中の墓地の回りや寒椿
新築の家の庭石寒椿
老いてなほ真に生きむ寒椿
貧にあれ偽らざれや寒椿
赤心を示して映えぬ寒椿
壁映る枯木の影や陽も落ちむ
この道の一人行くのみ年暮れぬ
石一つ村の重しや冬の暮
我が一人家を守るや年暮れぬ
コロナにも籠もればかからじ冬の暮
一人飲む抹茶の味や冬深む
本を読む意味くみ取りて冬深む
冬の薔薇一輪静か庭に見ゆ災いなくもここに咲くべし
我が齢(よわい)この家に生きて尽きなむや母姉なおもここにあるべし
寒椿というときかなり寒い時である、その前だと冬椿になる、つまり寒椿と冬椿ではかなり感覚的に違うのである、冬椿というときむしろあたたかいとも感じる
邪心の無い清らかな心。大伴家持は「皇祖の 天の日嗣と 継ぎて来る 君の御代御代 隠さはぬ 赤き心を 皇辺に 極め尽くして」(20-4465
赤心とは中国由来だけど日本化したとき天皇への赤き心、偽りなき心と変化した
漢字の意味でも日本化すると違ってくる
隠さはぬ・・・というのがふさわしい、この赤さはより寒い時映えるのである
枯木の影が壁に映っている、そして陽もはや落ちようとしてその影は薄れてゆく
まさにそれは老人にも見えるのである
冬はコロナウィルスに関係なく冬籠もるとかの季節である、この季節は何か書き物するとか本読むとか本来は家に籠るのが普通だった、ただ現代は交通の便がいいとか車とかもっているのでそうならなかったのである
第一車とかなければ家に籠り遠くに行けないのである
ということはコロナウィルスで人間本来の生活を見直すということにもなった
もともと冬は内面化するのに向いている季節である、内に籠もり内面化する
それで抹茶を飲むとか本を読み直すとか何かに対して理解を深める鑑賞を深めるのに向いているのである
だから家に私設図書館が必要になる、古典とかでも本を読み直すのに向いている
ただ読書にしても自分なりに読まなければ身につかないのである
いづれにしろ今年も終わる、家の修理とか家の中を整理するのが手間である
でも何か家というのは老人になると大事になる、なぜなら家にいる時間が長くなる
すると家で快適に過ごすことが大事になる、ただ昔風の家は寒いのである
隙間風とかも入る、風流は寒きものというのも実際は辛くなる
部屋を18度に保つと五年長生きすると書かれたものがあった
やはり温度は体に影響する、最近だから寒いと風呂に入る回数が多くなった
ユニットバスを作ったのが良かった、百万は本当に安かった
ともかく人間の心は相当に汚れるようになった、貧乏になるとどうしても心も曲がる
ただ裕福でも曲がっている人がいる、日本人の心は何か穢れて曲がってしまった
それは金しか見えなくなったからである、あらゆることに金が優先されるからである
それも今食べるものがないとかなるととうにもならない、これから貧乏になるからさらに日本人の心は悪化する
江戸時代でも忠義とかありその時代時代に何かモラルが形成されて社会があった
今は金しかないのである、「金になるか」これしかないのである
相手が苦しんでいても金を第一にする、むしろ相手が弱る時金を要求して責めてくるのである、もうかつての日本人はいない、ただ日々、金、金、金なのである
それで社会が荒廃してしまったし原発事故でもそういう背景があって起きたのである
金のために何か大事なことを売りわたして故郷に住めなくなったのである
ただそんなことでも依然として反省している人はいない
今度はいくら補償金をもらうことまた金を追及している、金まみれになっている
そしてコロナウィルスでもそうである、医師会とかで医療崩壊を言うが金を得るためであり利権のためであり金なしでは動かないというのもそうである
そうしている内に原発事故が起き日本自体が危機的状態に陥るともなる
つまり金だけでは解決しないことが起きて来る、実際に看護師でも一か月50万払うとしてもやる人がいないからである、看護師がやめているからである
だからこの問題は金では解決しないのである、金は必ずしも万能ではない
誰も命がけとなるとしたくないからである、でもそうしなければ日本が滅びるということにまでなる恐怖がある、そういう時金では解決しないのである
もちろん天皇の忠誠とかも過去のものである、天皇が維持できるのかともなっている
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