2020年11月21日

人間は目の前の利益しか見えない (津波を警告しても誰も聞かなかった)


人間は目の前の利益しか見えない

(津波を警告しても誰も聞かなかった)

仙台市の海側の若林区なのか郊外の住宅地化した所があった
そこを津波が来るとして学者が警告した、すると不動産屋とかから抗議があった
地価が下がるからそんなこと言うなと抗議されたのである
これも人間は自分の自分たちの利益しか見てないから起きる
学者の人は預言者のようになると言っていた
それは津波は400年前に起きたとしても忘れられていたからである
だから津波が来るというと誰も信じないとなり危機感もないのである
ただ損になるからそんなこと言うなとなるだけだったのである
つまり人間が一番敏感なのは目の前の利益なのである
そのために他でも毎日働いているからだ

原発にしても目の前の利益しか見ない、利益になればいいとかしかない
安全がどうのこうのより目の前の利益が優先される
そこに目の色を変える、その利益を得ることに反対すれば村八分にされる
原発でもやはり利益優先であり東電の社長はコストカッターとしてのし上がったというのもそうである、だから科学者が十数メートルの津波が来ると警告したのにその備えもしなかった、それはコストが金がかかるからである
でも今になって防波堤を作っていたのである

このように安全は金にならない、それが致命的結果ともなる
それは危機感の欠如からそうなる、たいしことないよ、そんな津波など来ないとか原発でも事故など起こらないとか危機感がないのである
現実は現場の人が技術者が配管が危ない、老朽化しているとか事故前もすでに警告していても幹部は見過ごしている、取り合わないのである
「安全神話」は徹底的に安全に配慮した結果できたのではない
様々な危険な要素があったとしてもそれをごまかすために権力で操作されただけなのである、それは政治家と官僚とか検察とか海上保安庁とか官僚とマスコミでも一体となりそれも自分たちの利益を優先して作られたのである
東電は有力な天下り先になっていたからである

だからここでも自分たちの利益優先としてありそれが大事故につながった
そして誰一人として責任はとらないのである
それは戦争と同じだった、でも必ず誰かが責任をとらされる
戦争では三百万人の国民が死ぬという責任をとらされたのである
原発事故では故郷に住めなくなるという責任をとらされたのである 

人間は目先の利益しか見ない、見えないとなる、原発事故後でも補償金をどれだけもらうかしかない、市町村をどう復興するかより個々の利益しか見ない、だから一早く若い世代は故郷を脱出して補償金で他で暮らすようになり生活が別になり老人だけが取り残されたのである、家族でもばらばらになったのである
市町村全体をどうしようとかとか考えない、目先の個々人の利益しか見ないのである
それで目先の利益となれば補償金をいかにとるかしかなくなる
それで原町区では補償金をもっとよこせとなり訴訟になっても鹿島区は30キロ圏外だから除外されているのである

人間は全体を見ることができない、今はあまりにも複雑であり誰も全体を見れる人はいないのである、社長でも見れない、それは一部分しか知らないのである
吉田所長が復水器のことを知らなかったというのもそうである、それは最も肝心なことであっても知らなかったのである、資材関係が専門だとかなり知らないとなる
無数の専門に分化しているからその全部を知る人などいないのである
ただコストには敏感だからいかにコストを減らすかには熱心になるのである

そもそも人間は大きな巨大なものは認識できないのである
何かインドの哲学者が海岸に来た大きな船のことを知らなかったという、認識できなかった、小さな舟は常に見ているから認識できた、でも大きな船となると見たこともないからそれが幻のように見えたのだろう、見慣れていれば別だがその小さな漁港ではそんな大きなものを見たことがないから認識できなかったとなる
人間は自然でも宇宙でもあまりにも巨大だから認識できない、鳥でも大鵬のような巨大なものもは認識できないのである 
そこに人間の限界がある、日々の目先の利益にとらわれて生活している
だから大きなことに対処できないとなる

自然災害でもそうだが何か大きなことになると戦争とかなると理解できなくなる
国にしてもアメリカがどれだけ大きな国だったか理解できない、それで中国の野郎自大国のように漢の鉄器に対して青銅器で戦い敗れたのである
何か大きなことは理解しにくいのである、人間は俯瞰することが不得意である
常に空から下を見ているわけではない、狭い範囲で生活しているからである
それで大きなことに対応できないとなる

つまり目先の利益は常に見ているが大きなものは無視されるのである
でもそれが致命的結果になったのである、個々の利益は見えても全体の利益は無視されやすいのである、その調和を計ることが難しいのである
明治になってから山でも海でも私権が認められて山でも無数に土地が個々人に分割されて所有されて山を共同で利用することができなくなった
それが今でも問題になる、誰の所有の土地かわからないとして利用できないのである
入会権があり村の人が共同で利用していた時とは違うからである
それで家の前の海は自分のものであり補償しろとまでなったのである
海まで分割して私的所有とされる、それは異常だとなるが目先の利益を求めるからそうなる

いづれにしろ危機感を感じないという時、それが日ごろ生活している狭い範囲のものではなく自然という大きなものであり外国でも大きなものだからそれが理解できないからそうなる、アメリカでも中国でも日本の様な島国からするとどれだけ大きいか認識できない
その差が大きすぎるのである、砂漠とか平原とか大河が日本にないからそれを理解するのがむずかしい、その風土から感覚が全く違ったものとなるのである
人間は大きなものを理解できない、だから大きな自然から来る災害でも弱いし他国が攻めてくるということにも危機感を感じないとなる
中国という大きな国を理解することがむずかしいからそうてるのである



posted by 老鶯 at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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