2020年11月15日

冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違) (紫式部のフラワーアレンジメント)


冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違)

(紫式部のフラワーアレンジメント)


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冬薔薇

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冬薔薇一輪静か石に向く

我が庭に山茶花咲きて冬の陽の静かに移り籠りけるかな 

文化という時、それは食生活でも色椅子多方面にわたる、ただ腹を満たすのが文化ではない、今はあまりにもいろいろなものを食べるし飲む
料理でも人間はただ腹を満たすだけではない、本当の料理は見映えがいいとかいろいろある、そして日本料理と外国の料理は自ずと違っている

例えば新田川ユッサで庭に石がある、そこに冬の陽がさしている
その時確かにコーヒーを飲んでもいい、でも何かそこで抹茶を飲むと心落ち着くとなる
つまりコーヒーとお茶では相当に違ったモノなのである
だから日本ではお茶が芸術となり文化となったのである 
新田川ユッサには茶室が似合う、ただ庭が貧弱なのである 
茶室を作ればそこで一杯茶を飲んで心安らぐとはなる

あそこがいいのは大原の方に行く道に意外と蛍袋とか竜胆も咲いていたのである
だから散策するにはいい道なのである、でも田畑がまだ荒れていることが問題なのであるまた空家化しているのも暮らしが感じなくなり嫌だとなる
ただこれはこの辺だけではない、山村は過疎化して農業を受け継ぐ人がいなくなっているのだ

 stone to stone
   face to face
 man to man
 sunny light in winter
 in closed tea room

抹茶の渋さとかとコーヒーの味そのものが違っているのだ、お茶を飲むとき日本人になり心落ち着くとなる、それが文化なのである
だからコーヒーとパンはあっている、御飯とコーヒーが合わない
それは日本が米とお茶を飲む歴史が長いからである
外国ではパンの歴史が長い

今から8000年6000年ほど前、古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、焼いただけのものを食べていました。これがパンの原形とされています

米の歴史も長いがパンの歴史も長いのである、そのバンと合うものとして葡萄酒が作られたりした、パンに合うものと合わないものがある
食べ物は文化の基本になる、人間はただ腹を満たせばいいとはならないからである
そこに様々な工夫があって料理が生れたのである

今日は寒い、昨日はあたたかかった、温度の変化が大きい
この山茶花は秋に咲く、冬に咲くのが普通であるが秋に咲く、ただ今年は秋が冬になった感じになるから冬に咲いたとはなる

写真で紫式部をうまく撮ろうとしたがアレンジがうまくいったとはならないかもしれない
フラワーアレンジメントもむずかしいのである、ただ写真だと紅葉の色がこんなにも違ってとれる、写真はやはり絵画とにていてカメラとかレンズで相当に違ってくる
季節の感じを出すには秋は秋らしいもの、冬は冬らしいものを入れる
今なら枯葉を映すことで冬を感じる、薔薇一輪だけ映しても冬薔薇と見られないからだ

いづれにしろ写俳ー写生俳句はデジカメになって新しい芸術分野を作ったのである
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