原発事故の避難区域に誰でもいいから人が住むべき
(人が住むことによって荒廃からまねがれる)
集落全体が「山に呑まれて」、道路も藪で覆われて、獣や蛇が出るので、怖くてとても墓参りになどゆけないということでした。人間が住んでいると、それだけで自然の繁殖力はかなり抑制されるのですが、ひとたび無人になると自然が堰を切ったように文明の痕跡を覆い尽くしてしまう。
日本にはいま100万人の「引きこもり」がいるそうです。その人たちに過疎の里山に来てもらって、そこの無住の家に「引きこもって」もらう。里山だと「そこにいるだけで」、里山を自然の繁殖力に呑み込まれることから守ることができる。
これを感じるのは原発避難区域になった所である、特に飯館村とか浪江町とか双葉町とか大熊とかが人の住まない地域になった
そこがどうなったのか?空家だらけでありゴーストタウンや村になった
人が住まなくなるとみるみる自然に逆に浸食されて草に覆われて竹でも下から生えてくるとか自然に呑み込まれるとんいうのは本当である
だから飯館村とかに住んだ科学者なのかまずとにかく人を住まわせるべきだというのは本当だと前々から私も言ってきたのである
人が住まないことはあれほどに荒廃させてしまうのである
だからともかく何であれそこに人が住むことがそうした自然の浸食荒廃を食い止めるというのは私も思う
そのことをずっと書いてきたからである
放射線の被害があるからそれも強く言えないが、荒廃を防ぐにはとにかく引きこもりでもいいそこに人が住むことが肝心だというのは賛成である
ただ住むとしてもでは町や村を離れた人がそうした何もなくなった場所に住むことはもう簡単にできない、10年も過ぎれば生活が別になってしまったからである
子供でもすでに十年過ぎれは他の土地になじんでいるからである
ただここで言っていることはとにかく歩哨としてでも誰でもいいからそういう場所に人が住むことに意義がある、それは西部開拓で一人でも人が住んでいてそれが荒廃を防いだというのもそうである
つまりそういう場所に一人住むことはどれだけ意義があることになるかである
もしそういう場所に住めば一人でもその一人にその土地の歴史とかを担うことになってしまうのである、死者もそこにいるからである、墓地もあり墓参りもしないと先祖も見捨てられたとなり幽鬼のようにさまようことになる
神社などもお参りしないとそれが死んだものとなり呪いともなるかもしれない、墓も同じなのである
一旦人が住んだ場所ともともと自然だけの場所とは違う、一旦人が住むとそこに人が住まなくなると何か一段と淋しくなり荒廃して幽鬼が彷徨っているようになる
つまり何か浮かばれないものがゴーストタウンをビィレッジを彷徨っているとなる
だからともかく一人でもいいからそういう場所に住むとその人がそうした荒廃を防ぐともなる、それだけの意義が与えられとなる、だから新しいフロンティアだというのもわかる
例えば何か自分自身は親に恵まれていた、それでみんな家族が死んでも家が残っている
その家には依然として家族がいる感じにもなる
つまり家があることの幸福を感じた、そして親に感謝するのである
そして家というのは単なる箱ではない、ものではない、ものだとしてもそのモノがモノが憑くというモノになっている、それぞれの家には歴史がありその土地を語っていたとなるだから一旦人が住まなくなると廃屋になるとそこには何か物の怪がいて幽霊が棲んでいる感じになるのである、それだけその家に執着するものがありそうなっているともなる
廃屋でもそう感じる、もし家が壊されたりするとそういうことは感じないのである
ただの更地となってしまうからである
アメリカの西部のような信じられない広大な世界ではそこに一軒の家でもあればほっとする、それが原発事故の避難区域と似ていると言えば似ている
そこになお人が住んでいることだけで救いを感じるのである
家の歴史
家は北風を防ぎ広い廊下に
冬の陽がさしてあたたかい
我が家は地元の木材で作られた
50年前にもなり古くなった
でも十分に住める
この家は親が与えてくれたもの
親はいつもこの家を自慢していた
それぞれの家には歴史がある
そこに営まれた人生がある
家というのはただ人の住む箱ではない
思い出がつまっていて
そこに苦労があり楽しみがあった
家は冬になると重みを増す
まるでその土地に根付いた木のように
北風が吹いてその土地にさらに根付く
また代々つづく家には重みがある
人間はとても一代では富は築けない
代々重ねたものがありそれが家の重みとなる
冬には家が大事である
寒さと北風を防ぐから
そしてヨ−ロッパなら暖炉であたたまる
そして回想にふける
家は冬に重みをます
その家とともに人間も重みを増す
何か受け継がれるものがある
そして先祖もその家にいる
それが古い家なら特にそうなる
死者もまた以前として家に棲んでいる
それだけ家は人間と一体となっている
このように家にはそれぞれ歴史があり何かその土地を語る
私の家はなぜ早く建てたかというとこの町で一番低い場所にあり伊勢湾台風の時か、
もう屋根の下まで水につかってひどいめにあった、その後も川が氾濫して床上浸水になった、それで二階を建ててそこに水害の時逃げるということで家を早めに建てたのである
つまりそれぞれの家には何かこうして歴史がある
これも自分の家の歴史であり町の歴史でもある、一軒一軒の家が市町村の歴史なのである郷土史なのである、だから古い家は学者の調査対象にもなるのである
そういう家の歴史が失わせたのが原発事故だったともなる
ただ津浪でも根こそぎ村が失われたのだからそこで歴史が消失したとなる
それは自然の作用だったが原発事故は人為的なものでありその被害の方がここで大きかったのである
大原の廃屋
これは原発事故で廃屋になったのではない、その前から廃屋だったのである
この家は本当に幽霊屋敷である、ここから幽霊が本当に出て来る感じであり不気味なのである
依然して家族がいなくても幽霊が棲みついている感じになる