2020年11月13日

冬の日に大原を回る (暮らしと生業がないと村も活きない)


冬の日に大原を回る

(暮らしと生業がないと村も活きない)

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新田川ユッサの庭

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冬の蝶
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ユッサから大原の道


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空家の斎藤家が見える
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大原の幽霊屋敷

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この柿の木は古い

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寒雲や老婆一人の通り行く

冬日さし石の二つやお茶を飲む

木の葉散る大原の道墓地を見ゆ

残菊や太原の里の小径暮る

大原や老木の柿今もなる

大原に数羽飛びけり冬の蝶 

大原や薊に蝶のとまりけり

竜胆の隠され咲きて山の村           

大原と大谷村や冬の暮  

太原に空家残りて冬の草

冬の日にのろのろ歩む亀ととも

大群の烏終結冬日没る


前田から遠田とありぬ冬の日や大原のくらし空家残りぬ

冬の日や杉の木立に隠されて大原の人ここに眠りぬ

大原に生きて死すかなその人のなおここにあらむ冬の日暮れぬ 


橲原から山の中の新しい道を行き大原を回った、新田川のユッサで休んで回ってきた
この辺では橲原村とか大原村は街から離れていて山の村となる
ただ原発事故以後田畑はまた回復していない、荒地のままである
ただ最近放射性物質の貯蔵した土が運ばれて元にもどりつつはある

でも何か山の村という感覚にともしなくなっいる、それは原発事故があったからだけではない、そもそも山村とかはグロ−バル経済とかも影響して木材は利用されないとか農業は金にならないとか様々な時代の影響で衰退して過疎化した

ただではもともと山の村とかさびれたところだったかとなるとそうではない
山には木材があり炭焼きなどをしていたときはにぎわっていたのだ
その証拠が今の人口の倍くらいどこでも生活していたのである
特に戦後は引揚者が職がなく辺鄙な場所に開墾に入ってきた
鹿島区だと寺内にその開墾者が入った人の碑がある
街から近いのにそんなところに開墾する場所があったのかとなる
自分は子供の時そこに知っている人がいて店をしていたとき卵を買いに行ったからそこに引揚者が開墾に入ったことを知っている、それは相当に貧しかったのである

大原村の中心は前田というある場所である、前田とある場所は早くから開かれた場所である、それと対比しして遠田となると遠い田であり前田から遠い場所なのである
地名として残っているから明確である
つまり日本人は田を作り米を食べることでどんな所でも田にしたのである 
大原遠田という地名がありかなり奥である

とにかく大原では南相馬市の病院に入院していたとき斎藤氏と同室でありそれでその窓からいつも大原の方をながめていたのである
その人もまもなく死んだ、そして杉木立の中に隠されるように墓地がありそこに眠っている

そしてその住んだ家は空家になっている、入院していたとき猫のことを心配していた
すでにその時から一人で住んでいたのである、息子は街の方に住んでいるからである
それで何か後継ぐことで息子に言い残すことがあったらしい
一軒の家はなぜか壊されないで幽霊屋敷のようになって残っている
その風呂は煉瓦の風呂でありそういう風呂を作ったということはそれなりに金があったともなる
なぜなら戦後の風呂は私の家では鉄砲風呂であり父親が手作りでその風呂屋を作ったのである、だから煉瓦の風呂となれば贅沢だとなる
いづれにしろあそこの幽霊屋敷は壊さないのはなぜかとなる、本当にあそこからは幽霊が出てくる感じなのである

なぜ原発事故と関係なく山村は衰退して過疎化したのか?
何か大原であれ橲原であれ栃窪村であれそれは飯館村とは違って街が近い、だから今になると街が山の方へ拡散して山の村として自立してはいないのである
街の延長のようになっている、特に石神村などは市街化した村なのである


ともかく日本の山村が過疎化しているというとき時代の変化でそうなった
村でも昔はそれなりに繁栄して自立した面もあったのである
暮らしといっても農業は主とならずみんな会社員となる
木材も外材になり利用されないとかなにかと活気がないのである
何か山村が空洞化する、原発事故以後は特にそうなった

でも不思議なのはどこの山村でも今の人口の倍以上ありその人口を養うものがあった
それが時代の変化のなかで村が空洞化してしまったのである
ただ街の延長として存在するようになっている、だから村の魅力が消失する
村の残影だけがそこにあるような感覚になるのある
昔は村は生活の場所であり生業の場所であり人間がそこで生き死ぬ場所だったのである
もちろん外との交流があったにしろ基本的に村は自立していたとなる

ただ今でも地形的には橲原村と大原村は奥座敷なのである
それで深野のユッサはいい場所にある
今日はその庭の石二つを見て休んだ、そこで飲むお茶は落ち着くとなる
ただ正直あそこは景観的にも庭も貧弱だとはなる
もっと大きな庭とか森を感じるものがあるといいとなる
ただ何か小鳥が飛んできたからそれなりに自然がある場所なのである

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イオンに行く所の家で飼っているリクガメは大きい、ゆっくりと歩いている
60才とかいうのも驚く、もっと長生きするらしい、すると飼っている方が早く死ぬということがある、亀は万年というのは本当だった

烏の大群が電線にとまっていた、何羽いるのか百羽はいる、なぜこんなに集まったのか?原町は広いから烏も多いとなる

ともかく今日は風もなくあたたかくて良かった、自転車は風に弱いし寒さも弱いからである
だから冬とい感じもなかった


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