晩秋に仙台から常磐線で帰る(詩)
(仙台市に人が集中しすぎる)
仙台駅の東側き通り
初冠雪ではないけど冠雪の蔵王が見えた
車窓に初冠雪の蔵王見ゆ
バス停に待つ人の列落葉かな
人に散る木の葉や街の通りかな
秋の夜や一人おりゆく日立木駅
宇多川に秋の鴎の数羽かな城下町なれ電車過ぎ行く
仙台駅の東側
新しき大通りは開けぬ
若き等の自由に行きかう
大都市は膨張して拡大する
人はここに集中する
我は常磐線に帰りぬ
都会のまぶしい夜の灯
やがて暗闇は深く
点々と灯の淋しく灯り
日立木駅で一人おりる秋の夜
我が町に帰り着く
なおかすかに残る虫の音を聴く
家族と今はなしも
猫一匹の待っている
我が家族の在りし日を想い
我が家に安らぐ
都会に人は集中しすぎる
田舎の街を歩む人はまれ
商店街はさびれている
田舎では木の葉は山に散る
木の葉は山深く散り土に還る
山の静寂につつまれ命を終えぬ
大都会の不自然な人工物
ここに本然的安らぎのなし
命は何か不自然に消耗される
我はここに老い老木のように
大地に根付いて朽ちてゆく
華やかな大都会は夢なりて消える
木の葉は山に散り土に還り
静けさにつつまれて眠る
月の光がさして明るい
ここでは電気でなくて月が主役である
天然の光で癒され深い眠りにつく
キタムラでレンズを取りに仙台まで行った、このレンズが大問題だった
カメラと合わないレンズを買って大失敗した
キタムラだと店で受け取れば合わないと返すこともできるから便利である
レンズは中古品が多い、新品となると高くなる、だから中古品の市場が盛況なのである
仙台駅の東側が発展している、仙台市は相当に膨張し拡大している
若い人が歩いている、若い人の熱気がある
それは相馬市とか原町市とか4,5万の都市で今通りを歩いている人はほとんどいないからだ、その差が大きいと思った
仙台市には若者が集まっているのだ、東北福祉大学が東側の駅前にあった
そうなると便利である、街の中にあるのだから利便性がいい
とにかく震災以後仙台市に東北から人がさらに集まるようになった、津浪の被害地でもそうだし原発の避難民も仙台市に移り住んだ、仙台市に住みたいという人が多い
どうしても若い世代は都市に集中する
そして田舎は取り残されているようになっている
ただ常磐線沿線は電源地帯であり原発以後も相馬市と新地に火力発電所とかあり原町にある、それが経済を支えているともなる
最近は仙台市にもほとんど行かない、今年だって一年に数回しか行かない
前は一週間に一回くらい行っていた、その時は本を買うためだった
今は本は通販でいくらでも買えるから仙台に行く必要がなくなったのである
そして年取ると大都会はなじめない、人ごみも嫌である、疲れるのである
足が悪くせいもある、何か歩くと調子悪くなる、今回も歩いて足が悪くなった
歩きなれてないせいもある
仙台市は大都会でもまだ名取から岩沼辺りになると田んぼがあり阿武隈川を越えると田舎になる、だから東京辺りとは違う、自然がまだ身近にある
そして家に帰ると残る虫の音を聞いた、とても仙台では虫の音は聞けない
田舎だとまだ残る虫の音が聞こえるのだ
そして木の葉が散るという時、山に散る木の葉は都会の通に散る木の葉とは違う
木の葉は山に還り土に還るのである、それが自然なのである
大都会だけに人が集中するのはアンバランスである、もっと分散すべきである
4,5万の都市でも通りを人が歩いていないからだ
そして通りがあってもそこに店とか何か通りに花を添えるものがない
この辺の新しい通りは畑があり店は作られていないからだ
いづれにしろ大都会に人が集中しすぎる、小都市は何かさびれている
そのアンバランスは世界的なものであり大都会に人が集中している
いづれにしろ年取ると都会は嫌になる、ただ疲れるだけになる
ただ若い世代ばとうしても大都会に集まるのである
仙台市でも大学も多いし学園都市ともなっているからだ
若者があんなに歩いている光景など地方の小都市などでは見ないからだ
それだけアンバランスになっているのが現実なのである
ただ心が癒され安らぐ場所は田舎である、特に飯館村とか森に囲まれた場所は安らぐのである、都会が必要なのだが田舎も心の安定を得るために必要なのである
それがアンバランスになっていることが問題なのである