愚民をだます自公政権(民主主義には政権交代が必要)
小泉政権はパフォ−マンス政権だった。田中真紀子との漫談政権でやはり愚民をだまし選挙に圧勝した。政治は今や劇場政治であり面白くないと興味を示さないのだ。テレビを利用した小泉政権はそれで成功した。今度はまた華やかな小池首相など女性をたたせて人気回復を図る、つまり自民党の手は同じなのだ。愚民をだますショ−をくりかえす、公明、創価もそもそもカルトであり権力で脅し宗教で脅し会員をしばりだますカルトだからどっちも愚民をだますことではにている。公明創価は宗教を利用しているから悪質である。なぜ公明創価がこれほど影響力あるのかと疑問に思っている人が多い。やはり愚民をだますことが小泉政権のようにうまいのである。飴と鞭を使い愚民を支配するのだ。飴は御利益は政治と権力にかかわり会員に与える。鞭は宗教の罰あたるかとで脅すのである。宗教なんか迷信だというが人間には不可解なことが多すぎる。すべてが科学的に合理的に解明することなどできない、だからカルト宗教が現代もこれほど盛況なのである。ある意味で何も信じないより何でもいいからそれがまちがっていても信じた方が人間は強い、無宗教より強くなる。太平洋戦争にしてもやはり天皇を神として天皇を力として死地をおむいた。それも戦争を遂行する大きな力となった。これも一つのカルトでもあった。間違った信仰でもそれなりに力を発揮するのである。それから創価公明は地域社会の喪失などで連帯が失われた人々に実際は入っても効果はほとんどないにしても一応声だけでもかけてくれる。認知症の家族をかかえてつくづくわかった。地域ではむしろ差別、偏見しかないのである。こうしたことは障害者にとってありがたいことなのだ。でも効果がないとやめる人も多い。
いづれにしろ自民もパフォ−マンスでだまし公明はカルト宗教で愚民をだますことが上手なのである。民主主義とは指導者が責任をとる必要がない、つまり選んだ人が責任をとるのだ。だから簡単に政権を放り投げてもかまわないのである。また選挙して選ばれればいいのである。あなたがたが選んだのだからあなたがたの責任であり私たち単に選ばれたにすぎない、責任は選んだものにある。これが民主主義なのだ。もし江戸時代の武士社会なら侍は責任を追求されたら逃れることはできない、切腹させられる、厳しい処断が待っている。それだけの自覚と責任が指導者には要求されているのだ。だから民主主義では指導者が悪いのではない、選んだ人に権力があり選んだ人が悪いのである。愚民をだますというけどだまされる文字通り愚民が悪いから民主主義ではいつも同じであり改革されないのだ。別に民主党を応援しているわけではないが自公政権はパフォ−マンスが目立つ、それは前の小泉政権と同じでまただまされるのかと危惧したのである。あんなに選挙で圧勝したのだからまた愚民はだまされるのかと危惧する。政権を担当する人も権力は実際、民にあるとするとその民が愚民である限り改革はできない、愚民にすべていいようにはならない、確かにそこには痛みも分かつことになる。それよりも愚民にはパフォ−マンスや劇場型の政治、パンとサ−カスがにあっている。また民主主義は数だとすると高齢者の数が若者の数より多いから結局どうしても高齢者よりの政策になる。これも社会をゆがめてしまうかもしれない、年代的に数がかたよるのも問題なのである。民主主義も様々な欠陥がある、何よりも愚民である限り結局選ばれるものも愚民にふさわしいものとなる。そして愚民はやはりそうした愚民にふさわしいものを選べばその責任は愚民にかえってくる。一向に改革もされず社会は停滞しモラルは失われる。それで民主主義から君主制へと移行したりする、独裁制になるのも必然だったのだ。民主主義に絶望してそうなってゆく、民主主義などやめろとなるのもつくづくわかる。とにかく民主党に一回政権をとらせてみるというのは民主主義にとって必要なことかもしれない、それで権力のバランスが回復してくる。民主党も政権担当してこそ真の問題の解決の道を知ることになる。民主主義には政権交代は必要である。それほど良くならないにしてもこれ以上悪くならないという程度でもやはり政権交代が必要である。
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