2020年10月23日

山尾三省が追及した郷(くに)とは (原発事後で奪われた郷(くに)と生業-飯館村から考える)


山尾三省が追及した郷(くに)とは

(原発事後で奪われた郷(くに)と生業-飯館村から考える)



びろう葉帽子の下で

郷(くに)ということばと
郷人(くにびと)ということばを つぶやく
奄美の郷(くに)
奄美の郷人(くにびと)
沖縄の郷(くに)
アイヌの郷人ということばを
心をこめて つぶやく
原子力発電所のない、郷(くに)
核兵器のない郷
その郷人のなりわい
・・・・・・・・

びろう葉帽子の下で
国ではなく
郷(くに)を思う
畑の草を刈りながら
畑の土を掘りながら
日本の郷とつぶやいてみる
わたくしの郷とつぶやいてみる
そうつぶやくと

(山尾三省)



山尾三省の不思議は必ず原子力発電とかチェルノブエリのことに反対している
そのアンチテーゼというか、それに反発するものとしてこうして郷(くに)のことを詩にしている
そもそもこの人は東京生まれだけど田舎の生活に憧れていた、その憧れも普通ではない
何か渇望するように憧れていた、それは東京砂漠というようにそこに自分が生きるアイディンティティを見いだせなかったからである
それで極貧でも囲炉裏で炭を使い生活していた
そういう人はまれだが若い人ででてきている、でも依然として変わり者である
飯館村にもいたようである

現実はそういう田舎に住んでいてもみんなそんな暮らしをしたくないとなっている
しかたないから暮らしているとなる、でも東京とかではそういう田舎の暮らしを渇望している人がまれにだがいる
つまり東京には郷(くに)がないからだ
ただこの国(くに)というときどれくらいの範囲なのかわかりにくい、日本に小国( おぐに)という地名が多い、そこは何か山の中の平な土地であり小盆地なのである
そこは山に閉ざされてある、そういう地形が日本には多いから小国が多いのである
そこは一つの国として意識されたともなる

でも実際くにというとき

 会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね

この国は相当に広いのである、ただ万葉時代にすでにこれだけ広い土地が国として意識されていたのである、それだけ会津が古い土地だということがこの歌で示している
国を意識する時そこは土地だけではない、そこに愛する妻がいるとか親がいるとか友がいるとかでも郷(くに)となる、そういう人と離れたくないということがある
また故郷というとき実は故あるというとき親とか祖父母とか先祖と深く関係した場所なのである
私の父親は双葉の新山の酒屋で丁稚奉公していた、それで何かそこに行ってみたら廃墟の街になっていた、その酒屋のあった近くの道を歩いた時不思議だった
父もここを歩いていたのかと感慨深かかった、何か出会い橋とかあり父と会うようにも思えたのである、ここで父が働いていたんだなと思った
何かそういうふうに人との死んだ人でもつながりを感じる場所が故郷なのである

山尾三省は東京で暮らしていたからそういうものがないからあれだけ渇望して極貧でもその郷の人として屋久島で62才くらいで死んだのである、妻も死んだ、それはその生活が楽ではなかったからだとなる、第一今ではそこまで田舎を求める人はいない
ただかえって東京とかに住んでいればその渇望が強くなってそうなったのである

人間はやはり生物であり生物本能がある、人間は植物でもある、だから一つの土地に木が根付きそこに定着する、そして木のように深くその土地に根を張りその土地と一体化するそれが生命として自然なのである、そのために根を張る土地をもたねばならない
それが山尾三省が言った郷(くに)なのである
ただこのクニというとき何か山間の小国という場所がふさわしいのである
海側だとそういうものを感じないのである、海は遠くを意識する、だから海と山とで意識するものが相当に違ってくる、山は墓所になった、死者を葬ったということは山はまさに死者が眠る場所にふさわしいからである
そして山には先祖がいて春になると田植えの時期になると里に降りて来るという信仰にもなったのが日本である
つまりクニというとき先祖も関係しているのである、だから日本国となると歴史的に天皇が二千年なのか代々国を受け継いできたとなる
先祖のさらに大先祖となりそれが国の歴史となる
何か自分の家族は全部死んだけどやはり死者は私の心の中にその土地に生き続けているという感覚になるのである

飯館村は何か地形からしてクニにふさわしい場所である、それは私は自転車で行っていたから高いし遠いのである、今回行ったら体中がいたくなった、だんだん年になり行くのが苦しくなった、でもそうして苦労してあの坂を上り行くことが記憶に刻まれる
この地形というのは地図を見ても車で行ってもわからない、坂は峠は歩いてでも自転車でも上ってみると体感できるのである
だから不思議なのは車がない時代の生活なのである、どうしてその坂を歩いて上って生活していたのかとなる、そうなると峠を越えた向こうは相当に遠くなる
近くても別世界になるのである、でも不思議なのは今ならグロ−バル化経済であり世界から食料でもなんでも入ってくる、昔だったら外国から入ってくるものがない
食糧など全く入ってこない、戦後でもバナナは仙台にしかなかった、それで私の父親が病気になったとき仙台からバナナを買ってきたのである
今からすると本当に食料は貧弱だったことは確かである
飯館村で魚を食べるにしても海側でないから簡単には食べられない、江戸時代だったら塩の道があった、それも助け小屋とかありそこで泊まるとかして塩を運んだ、その時魚も運んだかもしれない、そしてその塩の道は沢伝いの細い道であり馬で運んだのだが下を見ると落ちそうであり怖い場所である、それだけ馬で運ぶにしても難儀したのである

いづれにしろ原発事故の無惨さは飯館村に一番現れた、そこはもともと原発と関係していなかったからである、恩恵もなかったからである、ただそこでも原発で働いていた人がいたのである、なぜなら原発だと普通の給料の三倍くらいもらうからそうなっていたのである、飯館村は福島県でも最低の収入しかなかったからだ
だから全く関係しないということはなかった、原発の恩恵はそれだけ大きいものだったのである、ただ皮肉なことに原発事故以後飯館村では補償が手厚かったから億の金をもらった人が普通にいるだろう、そしてその金をもらって外に出て行ってしまったとなる
そして新しいこじんまりとした家がどこにでも建っている、それが別荘だというのも不思議である、人は住んでいないのである、別荘として利用している
それから50億円をかけて学校やその他の施設を作り建物は立派だけで生徒は五人とかなっているし村には住んでいないのである
そこでもう村が成り立つのかという疑問である

ともかくその村で失ったものは何なのか?それは山尾三省があれほど渇望した郷(くに)を失ったということである、そこで常に原発のことを核兵器のことを批判していたのである、ただ現実問題として別に飯館村とか田舎に住んでいる人は人で山尾三省のように田舎をいいものとして生活していない、だからこそ豊かな暮らしをしたいとして原発を積極的に誘致したのである
またこの辺では山尾三省のように原発に反対したら住めなくなっていたのである
もうみんな原発で金になるとなると目の色を変えていたからである
だから反対運動は起こらなかったのである
つまり田舎でも山尾三省は変人だったのである、何か貧乏生活してテレビにでも出て見世物にして金をもらうのかというふうにも見られる  

それが現代の生活からみればそうなっていたのである
バンが贅沢だとなればそうなる、ただ別に自分の子供時代は炭で生活していた
今からすると山尾三省の生活をみんなしていたし飯館村とかは森が多いから炭にする材料が多いから炭を売って金持ちになった人もいたし大倉では材木を売って金持ちになり相馬の女学校に行った人もいたのである、そこからは通いないから親戚の家から通っていたという、相馬の女学校というときここに行っているというだけで相当な金持ちだったのである、私の母親は尋常高等小学校くらいだからである
その時代では学校は知識をえる唯一の場所だから貴重だったのである
なぜなら子供の時、家には一冊の本も置いていなかったからである
そうなる学校以外で知識を吸収する場所がなかったからだ 

いづれにしろクニをうしなうことはその存在基盤、生き死にの場を失うことである
それは普通なら意識されない、むしろそんな場所に生きることの不満が多かったのであるでも前からそういうクニを渇望して求めてそこで死んだという人がいたということであるもしこれだけの意識をもっていたら原発など誘致しなかったのである
ただ飯館村は遠いから関係ないと思っていたのである
自分の住んでいる所でも30キロ離れていたから遠いと思っていたのである
それが福島県全体に関係するとはみんな思っていなかったのである
だから真剣に対処しなかった、また政府でも東電でも安全神話を作りその危険性を隠していたのである

だからその生き死にの場所であるクニを放射性物質で汚染したということ住めなくさせたことの罪は大きい、ただ東京ではそういうことを意識しないのである
そもそも東京にはクニがないからである、それで経営者が言っていた
一か所に家をもって定住することは金ももうける機会を失うからしてはいけない
チャンスの場所は変わるから一か所に家をもち定住することは良くないという
それが東京人の感覚だとなる、そこでは経済が最優先でありクニとかは関係ない場所なのである、経済のことしか頭にないからである

それで飯館村とかのことなど田舎は経済的に無駄だとかなるのである
その感覚の差が大きすぎるのである、要するに大都会人と田舎人は人間そのものが違ったものだともなる、同じ人間ではないともなる、東京人は異星人だともなる
彼らの頭には経済のことしかない、それがすべてであり山尾三省が追求したことなどただ変人の戯言となってしまうのである
そうは言ってもまた田舎でも実際は大都会人と同じ意識にもなる
みんないい家が欲しい車が欲しい、うまいものが食べたい、その欲は都会人と同じで限りないのである、田舎でも山尾三省は変人なになっているのである
だからこそ原発が積極的に誘致された経緯があったのであ

この辺の問題は今や何か原発に反対するにしてもそれが常に補償金がからんでくる
補償金をもっとよこせとなるだけである、もともとでは山尾三省のような生活を望んでいなかった、だからこの際補償金をもらうだけもらって他に住めばいいともなる
それが正当化される、だから山尾三省がその時代に原発に反対してそういう生活を渇望して実際に実践していたということは評価できるのである
ここでは原発事故後意識したとしてもその前は意識していない、もっと贅沢な暮らしをしたいとして原発を積極的に誘致したからである、それが違っていたのである
ただ飯館村自体はほとんど原発とは関係していかったのである



posted by 老鶯 at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
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