残る虫、秋の暮(飯館村に行くー木戸木は戦後開墾された場所)
飯館村というと山菜で有名であり山菜料理が定番だった
その山菜がとれないことは一番悔しいとなる
木戸木にそ半鐘残り秋の暮
十軒ほどここに暮らしや秋の暮
残る虫かすか鳴きあう山の中
三四匹残れる虫の声を聴く
我が一人夜更けけ聴き残る虫
闇深く残る虫の音の余韻かな
闇深く残る虫の音の余韻かな
樹々の間に山の静かに秋日没る
街離れ大原あわれ山に月
明らかに輝き映えぬ山に月
大倉を郵便局員配達す坂を上るや秋のくれかな
一枚の木の葉の散りぬ残る虫鳴く声ひびき山の暮れにき
人行かぬ山の道かな竜胆の四五輪咲きて木戸木の暮れぬ
人住まぬ家にしあらむ飯館にいつ帰らむや残る虫鳴く
この石の何を語らむキノコ石名付けてあわれ秋のくれかな
耳すまし残る虫の音我が聴きて帰り来ぬかな
飯館へいつものコースで自転車で行った、夏は暑くて行けなかった、だから久しぶりだった、でも体がかなりいたんだ、なかなか行けなくなる
大倉で何か郵便局員が配達していた、その人は最近来た人らしい
なぜなら今新しく作られた郵便局の支店の前に店があったことを知らなかったからだ
店はやめても自動販売機があったようだがそれもなくなり遂にそこが郵便局の支局になった、何か不思議なのは郵便局はどんな辺鄙な所にもある
コンビニによりある、与那国島についたときも最初に見かけたのは郵便局だったのであるまたどんな辺鄙な所にも郵便局から委託された家がありそれが高収入となっていた
でもゆうちょと変わりもうそうした贅沢は維持できなくなってもいる
ゆうちょで不正があったりするのもそのためである、日本経済が落ち込んで銀行とかゆうちょは危機になっているからだ
でも大倉とかの辺鄙な所に郵便局があるというのは何か頼りになるのか?
郵便というものがそもそも減っている、インタ−ネットになりもう通信はハガキとか手紙とかが廃れる、それも時代である、でも一軒一軒郵便局員が回るということで安否を確認するとかしているのもわかる、辺鄙な山の中だとそういう役目もでてくる
大倉から飯館の草野に出るのは苦労である、ここで疲れる
大倉から木戸木に出る、ここに十軒くらいの部落があった、ここにあまり注目しなかったそれより新しくできた道路があったところに神秘的な流れがありそこは森に覆われていたそこに踏み入る人はほとんどなかった、まさに秘境だった
しかしその秘境は失われた、それは原発事故前からあった、七曲の坂が不便なのでそこを道にしたのである、ただ自分としては残念だった
木戸木は戦後開墾に入った人たちが住んだ、それは共栄橋とかあるのでもわかる
それにしても平地が少なく確かに田畑があっても土地が狭すぎるのである
そういう場所でどうして生活していたのか?それは戦後引揚者が開墾に入った場所はそういう場所であり半分が撤退したのもわかる、とても生活できないということである
おそらく林業とかで成り立っていたのだろう
半鐘が残っているがあれも必要だったのだろうかともみる、十軒くらいしかないのに火事を知らせるのか?でも半鐘はいたるところにあった
自分の家の近くの神社にもあった、その半鐘に上ったことがあるからだ
だから狭い範囲でも火事に注意したとはなる
木戸木の山の道を分け入ると竜胆が四五輪咲いていた、なかなか自生する竜胆は見かけない、飯館村だと見かけるとなる
それから飯館の方に向かった、何か七曲の坂でも去年の台風で通行止めになったのが多い今も工事がつづいている、あの被害は実際は本当に大きなものだった
道でもずたずたにされたのである
私はいつも峠の道で秋なら秋の蝉の声を聴いていた、そして飯館村も秋だなと感じていた昨日は虫の声を聴いた、それももう残る虫となっていた、山の静けさにただその残る虫の音がひびいていた
何か残る虫というのが飯館村にふさわしかった、そこに残り住んでいる人をイメージするからである
飯館村では一部稲が実っていた、それはほんの一部である、でも大きな倉庫を建てていたそれは米を貯蔵するものだという、飯館村でそんなに米が作れるのか?
それが疑問だったが米を作れるようにしていることは確かである
でも飯館村の問題は森に囲まれているから周囲から流れる水でも泥でも放射性物質をふくんでいる、その放射性物質は減らないのである
それが一番のやっかいな問題なのである、花の栽培とかは影響しない
ともかく飯館村の特徴は森に覆われた村である、70パーセントが森だからである
ただその森は活かすという時、詩的にみれば森の癒しとか荘厳な森の国をイメージする
ドイツの黒い樅の木の森とかである
それで飯館村とか丸森は森の国として貴重である、浜通りは海があり山は低いが森があり二つの世界があることで魅力あるとなる
いづれにしろ木戸木でもそうだが一つの部落が失われるとか村自体が失われるとかは何なのだろうとなる、それは双葉町でもそこは廃墟の町であり何なのだろうとなる
そこでは私の父親が酒屋の丁稚として働いていたので特に感じたのである
戦後開墾に入った人たちが築いた村が結構多い、山村に多い
それも一つの歴史だったのである、そうした歴史が失われるということは何なのかとなる人間は親がいて祖父母がいて家族も作られる、歴史はその延長としてさらに長いものとして作られて来た、だからそういう歴史が失われることは何なのだろうとなる
何か人間の存在の重い意味が失われることではないか?
それは日ごろ自覚できない、こんな不便な所に生活したくないとかばかりになる
でもそこに住み生活を築いた親がいて祖父母がいて先祖がいたとなる
その歴史が省みられなくなるとき、先祖もそこで一度死に二度死ぬことになる
誰もいない村を幽霊として行き場もなくさまようとなる
橲原(じさばら)は通行止めであり大原の方から回って帰ってきた
大原には月がでていた、山に月が出るというのも海側では見ない、最近はずっと海から月がでていた、あれ山から月が出るのかと不思議だった
それは明るく輝いていた、大原というと原町の街から相当遠いのである
海で感じるのと山で感じるのは相当違うのである、この辺は両方があるから変化がある
ただ自転車では疲れるようになった、体中痛いのである
でもなんとか行けたので良かった