陸前浜街道(原町宿)の秋の俳句
原町の道の駅
公園
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原町宿の街道
秋に来る庭に鶯籠るかな
小蝶遊ぶ紫式部に猫のいる
(原町の道の駅)
秋日さす芝生に石の三つかな
公園のベンチ一つや秋の暮
(原町宿)
街道の松に朝顔原町宿
原町宿二本の松や秋の暮
秋日さす街道行くや次の宿
街道の実りに松や宿場かな
街道に夕暮れせまる虫の声
街道に馬頭観世音秋の暮
今日は家にいたら庭に鶯がきた、これもめずらしい、冬鶯という季語がある、笹鳴きする鶯である、これはちょっと難しい季語である
ただ春だと鳴くことで鶯を知る、その姿より鳴き声で春を感じる
秋とか冬は鳴かない、するとその姿を見て鶯としる
「冬鶯むかし王維が垣根かな 蕪村」この句は王様の権力の残した物は大きな城とかであるが詩人の残したものはわずかな垣根だたという意味かもしれない、それを蕪村が偲んだとなる
蕪村の俳句は鑑賞がむずかしい面がある
紫式部の俳句は全く写生だった、そこに何一つ付け加えるものがない、見たものそのものである、ここに何か付け加える余計なものとなり悪い俳句となってしまう
小蝶がいる、紫式部に猫がいるというだけで一つの絵になっているのだ
原町の道の駅の前は芝生にして休む場所も作ったから前より良くなった
あそこに良くよる、隣の公園の木はいい木である、そこに一つのベンチがある
そこに座り小高の人だったか話ししたことがある
何かベンチ一つでも老人とかなると愛着がでてくるのである
ここで良く座ったなとなりそのベンチがただの物ではない、人間的なものになっている
だからベンチの絵を良くみかけるのもそのためである
このベンチ誰かかが座り我が座る木のかたわらや秋深むかも
こんなふうになる、人間はここにいたんだなとなるだけで意味を帯びて来る
それはもういついなくなってもいいようになるからである
つまりいつまでもこの世にこの場にいられるわけではないからだ
本当にこの心境は老人にならないとわからない、いつまでも生きているように思えるが
実際はつかの間にこの世にいるだけだったとなるのだ
原町宿は大きな宿場町だった、それは絵に残されている、こんな大きな宿場町だったのかと驚く、だからこそ原町市に発展したともなる
ただ今その名残を知ることはむずかしい、ただ松がありそれがふさわしい、でもそれは江戸時代からあったものではない、それでも街道にはふさわしい、朝顔が咲いていたのでまた松と合っていた
浜街道でも原町宿があり次に浪江の高野宿があった、それから双葉町の長塚宿があり新山宿があった、小高には宿はなかった
何か旅する時はどこでも街道を行くと違ったものになる
でも他になると街道自体が車洪水でわからなくなる、浜街道は地元だからたどることができる、残念のは依然として自転車では双葉町から交通止めになっていけない、もう十年にもなるのに解除されていないのである
まず旅したか感じになるには車ではだめである、早すぎるからだ、本当は歩けば昔の街道を旅した疑似体験をできる、自転車でも通り過ぎることがある、でも歩く旅を私はしたことがないのである
でも夕暮れがせまり虫の声を聴くと心細くなってきた、早く宿に泊まりたいとなる
そういう感覚が旅なのである、「くたびれて宿借るころや藤の花 芭蕉」である
疲れたなもう宿に着くころだな、虫の鳴く声が夕暮れに聞こえる、早く宿で休みたいとなる、まずこうした感覚は現代ではなくなっているのだ、車で通りすぎたり飛ばしてゆくだけだからである
いづれにしろ秋の浜街道は行くのはいい、やはり歴史のある道は違うのである
だからこそ歴史の道である、六号線と全然違ったものなのである
でもその道が依然として原発事故以後途切れてしまっているのが残念なのである
足の方がなんとか直ったから今回も遠出した、秋はやはり運動するにはいい、夏から秋でも残暑とかなると今は陽ざしが強い、それで紫外線が危険なのである
今なら運動するにはいい、あまり疲れないからである
ただ歩いて足を悪くした原因はよくわからない、自転車で行ってたらならなかったと思う私は歩くことはほとんどししていないかったからだ、それで答えたのである
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