ピーターの法則の実例ー経営の失敗
(人間はあることに優秀でもすべてに優秀になれない)
工場勤務の優秀な職工が昇進して管理職になると、これまで得た技術が新しい仕事に役立たず無能になる。このようにして「仕事は、まだ適当な地位にまで達していない人材によってなされる」こととなる。
実社会での組織では技術を持った人々は、その技術ゆえに無能な管理職よりもずっと価値があるとも言えるので、ほとんどの組織では、管理職のための賃金や役職を優れた技術者に与えるような、事務系と平行した昇進の道を技術者に対して用意している。
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なぜこういうことが起きるのだろうか?
人間の能力が万能ではなく極めて限られているからである、人間の能力というとあまりにも多様なのである、たいして付き合う人もない私でもそういうのを知った
その女性はとにかくしゃべるのがうまいのである、それは女性ならそうだがただ他の女性よりなにかとしゃべるのがうまい、それには感心する
別に老人であり学歴は中卒である、だから学問した知識などないのである
でもいろいろ経験しているからしゃべるのがうまいのである
ただそこには大きな欠点がある、何かしゃべるのだが実行力がないとかなる
でも男性の気づかないことをしゃべる、それが参考になるのである
それで最近孤独な老人の話し相手が商売にもなる
その話相手に向いている、また同年代ということでも話しが合うとなる
若い女性だと話しがかみ合わないことがあるからだ
若い女性の方がいいということがあっても話し相手には向いていないのである
とにかく人間の能力は限られている、全能なものは神しかいない、その限られた能力の集積が人間社会だともなる、個々には優秀な人はいくらでもいる
それはあくまで個別的に優秀なのである、ある分野で優秀なのである
ある人はある分野で一級の免許をとっているから優秀だとされている
技術的に優秀だと他者からも見られていて会社にいたときは月給も高かったのである
それで自分は優秀だとして事業を起こした
でも失敗して借金になった汲汲するようになった
技術者として優秀なのだから会社も経営しても成功する、優秀だとなると思っていたのである
つまりある分野で優秀な人はそう思い込みやすいのである
そして経営者になったのがその経営と技術とはまた違ったものなのである
機械を操作するのと人間に対するのとは違ったものになる
何か経営とはそうした技術だけでぱ対処できない、全人間的なものが要求されている
もちろん技術的に詳しいのは有利になる、ただそれだけではない、理系が何か経営ではうまくいかないというとき経営とは文系とも深く関係しているからである
理系だと物質とか機械と技術と人に対する対処方法とかモラルまで関係してくる
そうすると機械いじりだけが好きで人とは付き合わない、オタクになっていることもできない、それで武田邦彦氏は理系の技術者だから大学生を指導しているから機械マニアの人には英語は必要ないとしている、なぜなら英語の勉強をするより機械についてマニアのようなオタクの人が日本の製造業を支えているとしているからだ
だから人との交際とか英語などに労力を費やすべきではないとしている
これにも一理あると思った、第一武田邦彦氏自体が理系だけではない文系の知識に詳しいそれでyoutubeでも毎日見ている、もし機械のこと科学のことだけなら見ないのである
そういうふうにトータルな知識とかまた人格をもっている人は現代ではまれである
なぜなら現代文明は無数にパーツ化した社会に生きているからだ
もうどんな人も優秀な人でも部品化しているのである
もう複雑すぎて誰もこの社会の全体を知る人などいないのである
それで例えば原発を見ればわかる、これも恐ろしく複雑なものであり社長するその全体を知ることできない、吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかったということでもわかるそんな人が所長になれるのかとなるが社長でも全部知る人などないのである
東電の当時の社長は資材係でありコストカッターとしてのしあがったとしている
そのコストカッターの社長のために安全がないがしろにされたのである
高い場所に原発を作る予定だったのに高くした土地をわざわざ削ったのである
原発がいかに総合的なものとして作るものだったか今になってわかった
日本だったら地震があり津浪もあり自然災害が多いからその対処も必要だった
本当にそれは総合的に見て建てねばならないものだった
でも総合的に見れる人などいない、ある部分だけを見ているしまた見れないのである
それを成しえるとなると全能の神のようなものになる
そこに個々に優秀な理系の技術者がいたけどそれを総合的な視点で使用するのが社長だったともなる、でもそんな人がありえなかったということである
そこからして破綻する運命にあったともなる
だからピーターの無能化する法則というのがあてはまる、ある地位でも職業でも担当でも優秀だとしてもそこで優秀だからして別な高い地位について優秀になるとは限らない
かえって無能化する、それは理系の技術者として優秀でも経営者として優秀とはならない理系と文系の相違は理系は物質とか機械とか道具とかそういうものに関心があり追及する文系は社会とか人とか人間の心とかに関心がある
それでその人は何か理系の技術者としては優秀でも人間のことを知らなかったのかとなるその人は自分は理系の技術者として優秀だった、これは間違えない、でもそれが自慢になり奢りになっていたのである
何か経営方針もなにもない、自分は優秀だから経営者になっても成功する、自分の優秀なことを見せてやる、何かそれが経営する動機になっていたのである
その人はだから他人のために尽くすとういう心などない、他人のために一つの荷物も持ちたくないという人だったのである
それは自分が苦しんでいる時それを見てわかった、人の苦しみなど関係ない、自分が優秀だとして自慢して他人に対して優越感をもつというだけなのである
経営とは何かということは自分は経験もないだから言わない、でも人間として何か傲慢になり問題があった、ただ別に理系の技術者として会社に雇われていれば問題なかったのである、ただこういうことはこの世には多い、だから特殊なことではないからピーターの法則が成り立つのである
人間の能力は限られている、全能ではありえない、そこから問題が起きる
あることに優秀でもあることになると無能になる、だからいくらある部分で優秀でも職種とか仕事の内容が変わると途端に無能化するのである
学者がいくら経済学者でも株のことを知っているからと株でもうけるわけでもない実業家として成功するわけでもい、かえって成功しない、実業家と理論家は違っているからだ
自分自身のことを言えば理論家であり実業家にはなれない性格である
家にとじこもって理論的研究をしているのが向いているのである
とにかく人間の能力の問題はあることに優秀でも他のことには優秀になれない、それであることに優秀でもそこで奢りになると必ず奢れるもの久しからずになる
人間の失敗は必ず奢りからきている、これも本当に歴史の法則であり人間の法則である
奢りが滅びに通じている、夜郎自大国のように漢帝国を甘く見て戦争に敗れた
日本でもアメリカを知らない井戸の中の蛙で戦争に負けて三百万人も死んだとなる
そういう例が歴史にはいくらでもあるから法則になる
これもまた私の親戚であり祖父にあたる人も警察署長だった、でも機織り会社をはじめて失敗して家族離散になる悲惨な結果になった、そのために私の母は苦しめられたのであるそして父親は威張っているばかりだったと言っていた
つまりこの祖父でも警察署長となるとそこまで地位をのぼりつめた、何か優秀な面はあったとなる、でも機織りなどは畑違いのことであり経営などできないのである
警察所長だからできる、そういう奢りが結果として悲惨なものにしたのである
その被害は子供たちに及んだ一家離散になったのである
こういうことは人間社会に常に起きている、ある分野で優秀でも他の分野では優秀でありえない、でもある分野で優秀だと他のことでも優秀だという思い込みになる
それで人間は無能化される、そもそも人間は結局いくら優秀でも無能化される
家族のことだが最後の言葉が「俺は優秀だった」と言って姉は死んだ
そう言ったのは認知症になり馬鹿になったということでそれが悔しくて言ったとなる
つまり人間は無能化する、無能にされる
原発でもそうである、そこに様々な人が社会の選ばれた優秀人たちが理系の技術でも科学者でもいた、でも結局は原発事故で崩壊ししてまったのである
それはまるでバブルの塔だったのである、人間の全員の意志で能力で天まで届く塔を建てようとしたががらがらと崩れてしまった
神が砕いたのである、そしてそこにいる科学者でも技術者でも政治家でも官僚でも無能化されたのである
その原因は人間には総合的に優れたものになれない、能力は無数に分化しているからである、それを統一することもできない、そこから破綻してゆくのが運命だとなっていたのである