2020年09月23日

戦後の焼け野原ー広島、長崎原爆ー原発事故復興 (東京の焼野原を経験した白鳥省吾の詩から)


戦後の焼け野原ー広島、長崎原爆ー原発事故復興 

(東京の焼野原を経験した白鳥省吾の詩から)

歴史では大きな惨禍があった、やはり最大の惨禍は戦争だった
戦争でぱ300万人が死んだからだ、そして最大の悲劇は広島、長崎の原爆だった
これは人類的悲劇としての惨禍だった、その罪は人類的罪であり消えることがない

ただ今回の福島原発事故もチェルノブエリの惨禍に継ぐものであり人類的惨禍として記録される場所になった
でも広島と長崎の原爆との相違がある、不思議なのは広島では原爆で十万人死んだとされる、一瞬にして灰塵に帰した様はこの世とは思えない悪夢だった
だから福島原発事故とは比べることもできない悲惨なものとしてあった
福島原発事故では関連死とかあってもそれほどでもなかった、津波の方が死者が多かったから死者からみればそんなに被害に見えない
だから外からは誰も死んでいないとかされて深刻に見えないのである
たた被害の状況が違っていたのである

何か広島原爆でも長崎原爆でも瞬間的放射線の被害だった、そこにはもう草木も生えないとされて絶望した、でも意外と復興が早かったのである
それはどうしてだったのか?それは原爆でも瞬間的なものであり放射線の被害もそれほど強いものではなかったからだったともされる
ただ瞬間的に壊滅的被害でありその悲惨な状態は地獄そのものだった
だから被害が少ないとかではない、被害の状態が違っていたのである

それはどちらも都会の被害だった、都市が一瞬にして壊滅した、でもなぜ思った以上早く回復して復興したのか?戦後の焼野原でもそうである


被爆時に約35万人だった広島市の人口は一時14万人を割り込んだが、8カ月後の46年4月に17万1000人まで回復した。原爆で半壊・半焼以上の家屋は9割に達し、住宅建設は重要課題だった。  

当時から広島県の基幹産業は製造業でした。 しかし、原爆により大きな被害を受けたのは爆心地に近い住宅地に混在していた中小・零細工場でした。
それらの中小・零細工場は事業継続・事業再開ができず、中小・零細工場の数は激減しています。

例えば、爆心地から約5.5km離れた三菱重工業の工場は、被爆の翌日から生産が再開されたとのことです。

このように、あれだけの被害を受けながらも、市内周辺部の主要工場は早い段階で生産再開ができたことが、広島の経済再建が早く進んだ一つの要因だったようです。

広島県は労働者の内、工場での職工の比率が全国平均よりも高い域でした。

実は原爆により14万人の方が亡くなったものの、工場労 働者は大幅に減少することがなかったようです。

外部からも労働者の流入があったようです。 (これが工場労働者数が減らなかった原因かもしれません。)

鉄道も復旧が進めれ、原爆投下3日後には被害の少なかった地域の電車の運行が再開されています。お金の無かった人には運賃を取らず運行したという話もあったそうです。
昭和25年6月には朝鮮戦争が勃発したことで、自動車や缶詰の生産が増え、特需がありました。

また、昭和27年4月に新造船が解禁になり、広島県内に集積していた造船業が活性化しました


鉄道も復旧が進めれ、原爆投下3日後には被害の少なかった地域の電車の運行が再開されています

これも驚きである、なぜならここでは常磐線が開通するのに10年近くかかったからである、それが三日で回復したとなるからだ、その相違も大きい
そして労働者が流入してきた、それは工場がそれほど被害がなく働く場所があったからである

これと比べると福島原発では都会ではなく工業地帯ではなく田舎で起きたことで違っていた、まわりは田畑であり農業地帯である、すると放射性物質に汚染されたときそうした田畑とか山林とか海の漁業資源が汚染されたことが違っていた
だから飯館村では田畑は草ぼうぼうの荒地になって荒廃したが工場がありそこで勤めは継続されて住んでいる人がいたのである
田畑だけだったと勤め先もなくなるから住めないとなっていた
何かこの辺が大きな相違だった、かえって放射線の被害はチェルノブェリでもわかるように住んでいた場所に住めなくなることがあった

でも原爆の場合は一時的に10万人死んでも回復が早かったのはかえって都会でありその生活は工業で成り立っていたから仕事も継続されたし他から工場があるから労働者が入ってきたのである
ここでは農村地帯でありまず土と水が汚染されたら第一次産業の農業と林業とか漁業はできなくなった、この相違が大きいのである
第一次産業は生態系に依存していたからである
ただ農業とか漁業とか林業は衰退産業になっていてそれで跡継ぎがいないともう金にならないからやめたいしかなかった
だから漁業関係者になると東電に漁業権を売ったり何か金になれば農家でも土地を売りたいとかしかなかったのである
こうした相違がその後の復興に大きく影響した

でも電車が三日後に回復したということが信じられないとなる
その復興のスピードは早かったのである、また朝鮮特需があることで工場が活気をとりもどして戦後に働く場を回復して労働者を吸収した
一方で工業地帯でないところは引揚者は開墾に入った、この方が過酷だった
なぜなら半分は撤退したからである

いづれにしろ原爆の被害とか焼野原になった戦後の復興がなぜできたのか?
それはこうして状況が違っていてそうなった
かえって今回の福島原発事故の回復ができないのはそき当時の時代環境が違っていてそうなった、放射性物質の汚染というとき一番農業とか林業とか漁業に影響したのである
そして水とか土を汚染されたら住めなくなったのである
では広島とかではなぜそうならなかったのか?
それは意外と一瞬に恐ろしい壊滅状態になっても放射性物質の被害はそれほどでなかったのである、それは土が汚染されたら農業ができないとなっていたが工業地帯であり仕事は継続して復興したとなるからだ
だからもしかしたら原発は都会の近くに作っていたらそれほど被害がなかったかもしれない、それで東京に原発を作れというのは正論だったのである
田畑もないし農業とか漁業とか林業はほとんどないからである
ただ江戸時代だったら回りから食糧でも供給されていたから生活できなくなっていた
でも工業時代になると外から食料が入ってくるから別に仕事はあり生活できたともなる

とにかくなぜ戦後の焼野原から日本が復興したのか、それは様々な条件があり幸運があり時代の影響によってそうなった、朝鮮特需というのも日本の工業を回復させたことで大きかった、戦後は日本は幸運だったのである
ただその幸運も長続きはしない、まず幸運は長続きしない、必ず不運がやってくる
今はコロナウィルスであれ経済の衰退であり不運が重なっているのだ
だから戦後の焼野原のような状態にもなる、大失業時代にもなる
そこからの回復はどうなるかというと見えてこない
戦後の焼野原でも原爆でも広島ではすぐ電車も走り工場は稼働して労働者が集まり先が明るいものとして見えていたのである
10万人も悲惨に死んでもう回復できない、草木も生えないと見ていても実際はすぐに回復していたことがあった、それがふりかえると理解できなくなっている

なぜ戦後の焼野原になり大量の引揚者が帰ってきた職もなく開墾に入った
そんなときどうして子供が大量に生まれ団塊の世代が形成されたのかとなる
今ならまず食べるものがないということはない、その時は食べるものがなかったのであるその時貧乏でも子供の数が多いし何か活気があったということも不思議である
子供が多いということは貧乏でも活気が生まれるということがあった
今のように老人ばかり多いとどうしても活気がないのである、未来もないとまでなる
なぜなら老人は過去に生きるものであり子供と若者は未来に生きるから根本的に生きる態度が違ってくるからである

原発事故の復興を考えてきた、その参考になるのが次の詩である

日本の中心として都市の壮観を示した東京も
思わざる震災に焼けただれ
今は茫々たる焼野原

ああしかし
崩れたるニコライの
その台座に据えられる者は
形なき呪いの神でなくして
灰塵の中から新しく生まれるくる力の
祝祭の神であらねばならなぬ
(灰塵の中からー白鳥省吾)

駿河台に立つニコライ堂は当時の東京の名所であり象徴的建築だったからこういう詩が生まれた
これはこの辺の復興とも関係している、もうその焼野原にうちのめされて絶望する
また呪いともなる、それは津波の被害でも同じである、ただただ呪いとなっている
東電を呪い、国を呪い、また自然でも呪うとなったのがこの辺である
てもそのようにただ嘆くだけでも呪うだけでも復興はありえないのである
かえってその灰塵の中から原爆の被害地ですら希望が生れていた

だからその希望を作れるのかとなる、それが建物だけは立派になり復興した
大熊町とかでも立派な役所ができた、双葉では立派な駅ができた
飯館村では50億円かけて立派な校舎を5人の生徒のために建てた
それが復興となるのか?
回りは人は住んでいないし廃墟の街、ゴーストタウンになっている、草ぼうぼうの荒地と化している

要するに建物だけは作れても仏作って魂入らずとなっている、人が住んでいないのだからただ建物だけか立派でも復興はしていなのである
そしてただ呪いだけがある、不満だけがあり延々と被害者であり補償をしてくれ金をくれしかなくなった、それを否定はできない
でもこの詩のように何かそういう状態でも呪いだけではなく何か新しい希望が生まれないと作れないと復興はないということである
ただその時代がありかえってこの辺は復興がむずかしくなっている
意外と戦後の焼野原でもふりかえると広島ですら三日後に電車が走り工場は回復してかえって労働者が流入して活気が生まれていたのである

ここではみんな故郷から離れてゆく残されたのは老人だけなのである
人が復興をになうとしたとき肝心の人がいない、ただ建物だけが立派に復興しても肝心の人が町にも村にもない、子供もいない、そこに復興があるのかとなる
そしてここは永遠に呪いの場として記録されるだけともなるのか?
それは大きな問題である、でも現実は復興はここにないことは確かである
それは時代の影響もありこの土地だけの問題ではない、コロナウィルスでもそうなように日本自体が大きな変革が求められている
それで戦後の焼野原から回復したのはなぜなのかということが参考になる
経営者はゼロベースが始めろというとき戦後の焼野原から復興したようにそうしろとなるつまり古いものを一掃して新しいものに作りかえる、社会自体を変えなければ復興はないとしている、だから戦後の焼野原から復興した日本をふりかえりそういう時代を参考ちするとなる                              

ただ新しい時代がどうして作られるのか?

これはその時々の条件が違うし簡単にはいかない、過去を参考にするにしてもまた違った状況になるからむずかしいのである
posted by 老鶯 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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