2020年09月19日

真野川の落合橋であった釣り好きで料理人だった人 (釣りする人が本当に多い)


真野川の落合橋であった釣り好きで料理人だった人

(釣りする人が本当に多い)

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真野川-落合橋

真野川の落合橋で何をしているのか川をみている人がいた、鮎の群れを見ていた
その人は相馬市から来た人であり新しい住宅に住んでいる
この辺では前は磯部の人とか知っていた、津波の被害者であり家なくなったのでこっちに建てた、とにかくだから知らない人が増えたのである

その人は近くの前ら住んでいる人を釣り仲間である、その人もかと知って驚いた
本当に釣りする人は多い、そんなにいるのかというくらいである
この前はシシドスーパーの復興団地に住んでいる人も何もすることがないので釣りをしている、遠くまで車で行っている、それで大きな平目カレーをもらったことがあった
これは大きいものだった、こんな大きなものが釣れるのか、これを引き上げるのは大変だと見た

私自身は釣りをしない、でも釣りをしている人は何か自然の中にひたっている感じになり時々サイクリングして話かける、釣りのことで話すると自然のことを知ることになる
私の父親は年取ってから仕事もせずに魚釣りしていた、鮎もとっていたし鰻もとっていたその頃の鮎は大きくうまかった、オカズになっていたのだ
戦後の何もない時代だからオカズになっていたのだ
鰻はミミズを棒に入れて田んぼの畦でとっていた、でもあまりついていって釣りに子供のころ興味がなかった、でも今ふりかえるとそうして鰻を釣るということは不思議である
今は鰻はとれないし鮎も見ないのである

ただ今回落合橋の下の流れに鮎の群れが大量に見えたし跳ねるから気持ちがいい
鮎がいると石の苔を食うから石がきれいになると言っていた
この鮎はここに産卵に来たとか言っていた、ここの流れはきれいである
去年の台風で流れが変わりそれで水がきれいになったともみる、鯉もここにいた
ただ新田川で鮎の稚魚を放したとかも言っていた、そうした鮎が今年はこんなに上ってきたのか?その理由がわからない、その人は川を観察して鮎は何匹かみかけていたという
ただこんなに多くの鮎が今年だけでありそれは一か月前くらいからなのだ
だからなぜこんなに鮎が上ってきたのか理由がわからない
放射性物質の汚染で川の魚は食べるなと言われていたしそれから専門の人が常時ここの水質とか生物とかを検査していた、だか最近は見ないのはどうなったのか?
10年もすぎればやはりもうそんなに気にしなくてもいいのかもしれない
ただ川の放射性物質の汚染がどうなったのかわからない

本当に釣りは奥深い、それは自然が奥深いからである、海とかを知るには魚釣りがいい
何でも魚を釣れないことも釣りだとしているのもわかる
何か釣りすることは自然に溶け込むことだからである
だから海で釣りする人と時々話したりする
一瞬魚が海ではねたのを見た時感動した、トビウオがはねたのは与那国島に行った時見たあの跳ね方は醍醐味がある、まさに飛ぶ魚である、でもここの海で魚をはねたのを見たのははじめてである、めったに魚がはねるのは見れない

人間は意外と田舎に住んでいても自然のことがわからない、第一田畑でも実際にそこにかかわらないとわからない、私が畑で野菜作りする女性を援助したのはもともと農業を知りたいということがあった、それで実際に聞いてそういうものかと知った
私が自然とかかわるというとき実際の農業とか漁業とか林業を労働でかかわっていない
それをしないのは疲れるからである、まず頭脳労働になると家事でもそうだけど他のことができなくなる、それで疲れて考えることすらできなくなるからだ
人間は何でもできるわけではない、こうして文章を書くだけ疲れると他のことができなくなる

ともかくいろいろな人の話を直接聞くことは知識を広げることである
ただみんながそういうふうに話をできない、小高の人のことを書いたがあの人は話しがうまかったのである、今日あった人も話ができる人である
とにかく魚屋でありプロの料理人だから魚の料理の仕方も知っている
その他の釣りしている人とは違う、料理人から直接話を聞いたことははじめてである
料理は自分てしてみると何か用意するだけで疲れる、それだけ何か様々なものを使うから化学の実験みたいになり何か疲れるのである、そのあとかだつげでも手間なのである

釣り道具屋がかならずありそれが商売になるのはそれだけ釣りを趣味にする人が本当に多い、海がある場所では特にそうなる
なんでも沖に船をだして釣りするのはいやだとその人は言った
なぜかというとここで釣れと決められるからだという、自由がなくなるからだという
つまり釣りする場所も自分で発見してゆくことがありそれが面白いとなる
そこで穴場を発見するということもある

いづれにしろ釣りは自然が相手だからただ釣りするだけではない、釣りしない時間でも釣りなのである、何も釣れなくても釣り自体が自然に溶け込むことなのである
私が釣りをしないのはそれが手間だし時間がかかるからである
私は自転車で移動するのが好きだからじっとしていられないのである
人間は何でもできない、写真でも最近いい写真を撮ろうとしてレンズも買った
でもこれもまたレンズが高いとかこったらきりがなくなると思った
人間そんなにいろいろなことはできない、ただ釣りは自然を知るにはいいのである
畑はめんどうてありかなりの労働になる、釣りは自然を楽しむという感覚になる
それほどの労働とは見えないからである

釣りをして哲学者になった人もいるということはそれだけ釣りは自然とコミットするものだからそうなった、結局暇な老人が増えた時、釣りする人はもともと多かったからさらに多くなったとみる、あの人もしているのかあの人も釣りしているのかと驚きである
パチンコしているよりはいいとなる
私自身は釣りはしないが釣りのことを魚のことをもっと知りたいとなると釣りのことを知ることはそうしした知識を深めることになる

鮎のことで忘れられないのは新潟県の小出で魚野川が前を流れていて大きな鮎が群れて泳いでいた、そこの食堂に入ったら大きな鮎の塩焼きを食べた、それも高くはなかった
その味がよかった、あとは鮎は子供の時に父親がとってきたのを食べたのを覚えている
でもその後は鮎は食べたこともない、それで久慈川に行った人に鮎を買ってきてもらったがうまくなかった、どうも養殖の鮎だったらしい
今はこの養殖の鮎が意外と多いのである、養殖だと大きくなるからだろう
でも鮎は養殖だと味がない、何か熊野で上流で鮎をやいたのを売っていた
それを食べたが本来の鮎の味はなかった、それも養殖だったからだ
なぜなら観光客だと相当な数を出すからそんなに天然の鮎だったら数がとれないから養殖なのである

次々に鮎の跳ねたり落合橋話のはずむ釣りのことかな

落合橋は落ち合うというようにあそこで話するのに向いている、前あそこで話したことがあった、その下の橋になると大きくなり水がきれいに流れていないのである
あそこは話しするのに向いていいなのである
あと土手の道の木陰の道も散歩する人がいて話しするのに向いている
自然の中で話しすると何か話しがはずむのである
その人はプロの料理人だからその方面の話を聞けば料理についても理解が深まる
あの人も結局暇な老人である、こうして暇な老人が増えたのである
そういう人が何しているかというと釣りしている人が本当に多いのである
また勤め人でも釣りを趣味にする人は本当に多いのである



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