原発事故の大罪は生態系を破壊したこと
(生態系を破壊したら人は生きていけない)
原発事故の最大の罪は生態系を破壊したことである、その罪はあまりにも大きすぎたのである、だからこの辺はギリシャ神話のような世界となって歴史に記されることにもなったこれは人類的災禍でありその象徴が自分の住んでいる場所になるとは思いもよらなかったプロメテウスが火を盗んで過酷の刑罰を受けたことやシンシホスの石を無限に持ち上げて無駄な労役を課せられる、それは放射性物質と森で循環するし取り除けないからである
そしてプルトニウムの放射性物質が二万年消えないというのもそうである
平和な山菜料理が自慢だったん飯館村の被害がその象徴だった
最近胃がんで死ぬ人が60以下の人に増えているというのもその被害がでてきている
飯館村は一か月くらい20マイクロシーベルトとかあった、村長が避難させなかったからだ、これも手落ちだった
私の住んでいる南相馬市でも二日くらい20マイクロシーベルトとかあった
それで何かわからないから外を出歩いていたのである
ただ二三日でこの辺は急激に低下したのである
そもそもなぜ人間にはこうした災厄が起きてくるのか?
自然災害あるとする、自然に起こることは自然作用でありそれをとめることができない
かえって止めると自然の一生物である人間にとっても害になる
例えば最近外国で大きな山林火災があり森が燃やされる、でもそれは雷が落ちたとか自然作用なのである
それが自然作用だとするときそこに何か意味がある、何か自然にとって必要だから山火事が起きる、というのは山林が燃えると灰になり肥料になる、すると山林が燃えた後は肥料になった土地が肥えて木でも植物でも育ちやすくなる
とするとそういうふうにして自然をリフレッシュするものとして山火事もあるのかと見るそして人間は山火事を見てその後に木でも植物でも生育が良くなるので焼畑を思いついたのかもしれない、人間のしてきたことは自然から学んできたからである
でも人間のしてきたことは逆にこうした自然に逆らうものとしてもあった
それがこれまでは小規模なものだったが大規模なものになり自然を破壊するまでになった人間は生態系を破壊するまでの力を持つようになった、人間は自然に自然の作用に適合するのではなく自然を変えてしまう力をもつようになったのである
それが20世紀とか以降に顕著になりグロ−バル経済が拍車をかけたのである
だから熱帯雨林でも木が伐採されてオランウータンの住む森がなくなったりしている
グロ−バル経済によって世界の自然は相当に破壊された、森も消失した
このことがコロナウィルスとかとも関係していた
何らか人間は侵入してはいけない森とかに入りそこで動物と接触してウィルスに感染したとされるからだ、そしてウィルスが風土病だというときもそうである
その地域地域にあった病気が世界に伝染したのである
つまりグロ−バル化とは地球に境界をなくすことである、でも自然には明確な境界があり成り立っている、それぞれの風土に適応して生物が生息できるからである
そういう生物が生息する境界をなくすことはできない、その地域の風土に適応してしか人間は生きられないからだ
人間はあらゆる境界を無くした
それが災いをもたらしたともなる、コロナウィルスでもそうである、もう一地域の風土病ではなく世界の風土病となりその伝染を止められないのである
日本を日本の風土がありそこに適応して歴史を作ってきた
日本の風土は島国であり世界と違って特殊である
それで魏志倭人伝に牛、馬、虎、豹、羊、鵲無しと記されていた
大陸と島国の相違は日本は食料でも海産物主体であり肉食しないし家畜がいなかった
また地理的にも平原とか砂漠がないことが特徴である
日本は海と山との世界、海彦山彦の自然である
そこに大きな長大な川はない、また平原とか砂漠がないことは交通には適していない
山と山にさえぎられて閉鎖された世界に生きていたとなる
また海があっても地中海のように交通の海になっていない、大陸では平原とか砂漠とか川は交通路でありそれで常に文物でも流入してくるのである
それを証明したのが中国の秦である、始皇帝が最初の中国の統一国家を作ったからであるそれは兵馬俑のような大騎馬軍団で統一したからだ
つまり平原とか砂漠があることはそこは騎馬軍団で一気にモンゴルのように世界帝国になる地理なのである
地理的条件が歴史を作っていたのである
そのマイナスとしてモンゴルがヨ−ロッパに進攻してペストがもちこまれてヨ−ロッパでは三分の一が黒死病で死んだのである、モンゴルはそのペストにかかった死体を城の中に投げ込んだというから恐怖だった、まさに細菌兵器として利用したのだからコロナウィルスでも細菌兵器だという説があり人間は戦争になると手段を選ばない、原爆でもそうだった
いづれにしろ生態系を壊すことはそれが人間も生物の一種だから原発事故で故郷にでもその土地に住めなくなるのである
これほどの被害はない、いくら貧乏を言っても昔は貧乏でも第一住めなくなったら終わりである、それは一地域だけではない、人類全体及んでくる
人間の恐怖は地球規模で生態系の破壊が起きて人間が住めなくなることになるからだ
そこに人間の罪深さがありそれが過酷な刑罰としてギリシャ神話に残ったのである
東京のような大都会は世界でもそうだがもう生態系から分離している、そこには森もないし田畑もない、生態系を意識できない、人工的空間に生活している
でももしその水を供給する山とか森とかが放射性物質に汚染されたら水さえ飲めなくなるのだ、そういうことが東京で一時騒がれたのである
海産物主体の日本の食生活も海が汚染されて食べられなくなる
現実にトリチウムを海に流すとかその問題は継続されている
原発事故の罪深さはそうしてもうその土地土地に住めなくなる、ついには日本にも住めなくなることである、現実に吉田所長が原発が爆発した時東日本には人が住めなくなると言っていたのである、そんな恐ろしいものを作っていたのである
そのことはやがて核戦争が起きたり事故になっても人類は地球に住めなくなるということを示唆していたのである
東日本が住めなくなるということはそれだけの甚大な取り返しのつかない被害になるいうことである
だからなぜそんなものを作ったのか、そういう被害を考慮しなかったのか?
いろいろ原因があってもその出発点からして科学者でも警告して停止すべきだったとなるそれは原爆を落としたことと同じである、なぜ科学者はそうした恐ろしいものを作り現実に武器として使用したのかとなる、あとからアイシュタインなどが反省したが遅かった
コロナウィルスでも生態系から復讐されているというときも人間は生態系を破壊して来た結果そうなった、そういう技術力をもったときそうなった
例えばまず縄文時代だったら遺跡の発掘でもわかる、津波の来た地点には人は住んでいなかった、自然に適合して住んでいたから津浪の被害には全部とは言えなくても被害にあわなかったとなる
でも海側を開拓して田にしたときそこは被害にあった、松原も人工林では根こそぎ津波で消失したことには驚いた
でも自然側からすればそこはもともと海だったのだか元の海に戻したということである
自然が必ずしも無慈悲とも言えない、むしろ人間側が自然に適合しない生活をした結果だともなるからだ
20世紀とかは人間の技術でも経済でもグロ−バル化して巨大化した結果として地球の生態系を大規模に破壊して来た、その逆襲を自然から受けているという時、コロナウィルスでもそうだとする、なぜならウィルスは自然の一生物だからである
つまりウィルスとも共有しなければ人類は生きていけないからだとしている
ウィルスにもいい作用がありそれは自然の作用だともなる
単なる異物として取り除くものでもないとしている
地球で異物となったのはむしろ人間であり人間の過度に発達した科学技術とか巨大化したグロ−バル経済なのである
そのグロ−バル経済と一体化強欲資本主義はもう限界でありマネゲームとかなり金融資本主義となり崩壊しつつある、もうそんなことをつづけたら地球自体が持たないとなり
巨大な自然災害が頻発しているともなる、コロナウィルスもその一つなのである
ますますその自然災害も苛烈になる、そして文明が滅んでゆく
エジプト文明が3,000年もつづいたのは自然と適合する文明だったからである
ナイル河を利用して洪水でも実は泥を広大な河岸に運び肥沃な土地とした
一見洪水が悪いように見えてもそれは自然の作用でありそれがエジプト文明を作っていたのである、それは山火事でも同じである、樹々が灰となり肥沃な土地となり生育が盛んにしたと同じなのである
エジプト文明の不思議は高度な科学技術をもっていた、ピラミッドは現代の技術でも建てられないとしていることでもわかる
そして生態系を重んじる文明だった、あらゆる動物が神の化身となり牛までミイラ化して人間と同じように葬られている、それは偶像崇拝となっていたがそれでも生態系と一体化したものとしてありえた文明である
だから「エジプト文明はナイルの賜物」となったのである
生態系と一体化した文明なのである
それで原発事故で一時この辺から蛙と鷺はいなくなった、田畑は荒地化したからだ
でも蛙が鳴き、鷺が戻って来た時、生態系が回復した
田畑は生態系と切り離されずあった、だから蛙がいなくなり鷺がいなくなることは生態系が破壊されたことによってそうなったのである
人間は蛙も鷺でもいないなると実は人間も住めなくなることを示していたのである
空気も水も土も森も汚染されたら住めないのである
未だにそうして避難区域になったところは回復していないのである
現代文明が滅びるという時まさにこの辺が原発事故で現実化したのである