駅のボランティアで一番頭に来たこと
(ただ排除されることしかなかった)
駅のボランティアで一番頭に来たことは乗客からも駅長からもただ排除されるだけだった
●駅で良くゴミをなげる場所が構内のホームにあり客に聞かれたので教えた
それで時々構内に入ってゴミ箱を点検していた
そしたら駅長に構内に入るなと言われた
今高校生の見守り役がいてその人に言われた
その人には盲人の人が来るからと案内するように教えた
その人は公式に認められた人だから後から来たとしても自分に命令した
お前はここに必要ないという態度だったのである
でもどんな場所にもそこに経験者がいて先人がいる
それで後から来た人は教えを乞うことがある
でも今はそういうことがなくなった、むしろ後から来て金がある人など威張っているという社会である、そして情報でも地元のことでも無関心ともなる
●警察に見知らぬ人がいるから誰かが通報してみんなの前で職務質問された
これも頭に来たことである、野球場が鹿島にあり二軍の試合があり人が集まった
その前で職務質問されたらその人は何なのかとみる
そんなところで勝手に何をしているのかとみる
ただその時前の自転車屋と客の人に時刻表を配ったのでこの人は悪い人ではないと弁護してくれた
●客の若い女性は風の時、電車が遅れたので状況を教えているともの凄い剣幕で怒った
そんな説明などいらない、やめろと大声で怒った
私は風が吹いた時必ず遅れるので説明していたのである
それはプログで報告していた、それは客に感謝されたことがあった
その時は無人駅化したので教えることがあった
私は別に駅のボランティアをしようとしたわけではない
無人駅化して乗客に訊かれたから教えた結果ボランティアになったのである
今のように高校生の見守り役がいればもうしない、私のしたことはプログに書いた
そしてコロナウィルスでもう駅で人と接して話することもできなくなった
実は私が駅でボランティアするようになったのは駅でいろいろな人と出会い話して情報を得ることだったのである
それも駅にいた目的だったのである、だから何かボランティアしているとか大げさなことでもなかった、ちょうど昼間買い物して寄っていたので自然にそうなったのである
それでそこにある不具合があり客に困ることがあり教えたとなる
そしてそんなささいなことでも現場のことは駅長でも知らないと思った
それは例えば東電でも原発でも内部で配管の仕事をしている人が言っていたが危険なものがあったと報告していた、でも上の人は幹部の人は知らないと言っていた
また何か建築土木関係の仕事している人も現場のことで上の人に助言したことがあったという、つまり現場のことを上の人が知らないということがあることを知った
私はまず社会経験がないからここでのボランティアは社会経験になった
だから私にとって悪いことではなかった
そういう経験ができたことが貴重だったのである
人間を作るのは経験である、実地の体験である、だからあるゆる場所で仕事している人がいてもその仕事について理解できないのはその仕事を経験できないからなのである
それぞれ仕事していても自分は全くかかわらないのだからわからないのである
駅だって自分はただ電車で旅しているだけだったのであり本当は相当に鉄道会社には世話になっている、でも鉄道のことをその仕事についてはわからないのである
ただJRの問題として駅から駅と安全に時間通りに運ぶことは徹底して力を注いでいる
毎日点検もしている、でも客へのサービスは関心がない、そのことは他の人も指摘していた
だからこそ駅はただ客が通り過ぎてゆくだけであり機械をロボットを設置していればいいという発想にしかならない、コストを削減するためにそれでいいとなったのである
ところがただ運ぶだけではない、客へのサービスとか何かハードだけではない、ソフトの面で力を入れるということも現代では必要かもしれない
日本の鉄道の歴史はまずインフラのハードを整えることだった
それは車社会になってもそうである、まず道路の整備だったのである
でもそうしたハードも一応できあがると人へのサービスが仕事にもなる
そのソフトの面として人へのもてなしとかサービスへ仕事の内容が変わることがある
でもそこはほとんど考慮されていないのである
何か今やハードからソフトの時代になっている、パソコンでも最初はハードが大事だったがそれも多少スピードが早いとかで進歩もとまる、そしハードりソフトだとなる
つまりソフトとは他だと人的サービスともなる、観光でも中国人は最初は爆買いであり物の消費だったが事の消費になる、何か必ず物でも食事でもそれるにまつわる物語があり
観光でもハードの整備があってもソフトの面の充実に消費が向かうのである
鉄道の問題はハードが主要なものでもソフトの面に人的サービスにも目を向けないと収入が減るだけだとなる、それかコロナウィルスでさらに拍車をかけた
極端に100からゼロにまで落ち込んだからである
そうなるとどうするのかとなる
ただソフトというときコストがかかるとから無人駅にすればいいとかなる
そこで何かソフトの肝心な人間的てもの情がなくなる無味乾燥なものになる
でもJRではそれでいいのである、人間のサービスよりハードを整備することが仕事だと思っているからである
それは理系の技術者の発想になる、それが主要でも時代によってハードの整備が整うと
ソフトのサービスを人は求めるようになる、だから機械化ロボット化AI社会でも人間的なものがいらないとはならない、そうなると殺伐とした世界になる
すでになっている、もうどこにいっても人はいらないとなる社会になる
ロボットと機械の方が資本家にとっては効率的でいいのである
でも人間社会はすべて効率で計れないのである、それがまさに人間的なことなのである
いづれにしろ鉄道は公共事業じたら外国では国で援助しているとか鉄道は駅でも公共性が高いのである、鉄道会社だけで運営できるものではない
現実無人駅でも駅のトイレは国で支援して新しいのを建てたのであり掃除は駅ではなく
福祉関係の人達が市から金をもらってしているのである
駅はそうした公共の場であり会社でもやはり公共性があるから会社だけのものではないのである、市民がかかわる場所であり市民のものだというものがある
それで自分のように一市民がかかわってもただ排除されるだけだったとなる
だからボランティアでさえ実は権力をもたないと何もできない
もし何人か集まり市から認可されれば金でももらってたいしたこともしなくても認められて自分のように排除されることはないのである
ただ自分の場合はそこで学ぶことがあったから良かったとはなる
つまり駅から見えて来る社会がありそれが意外と広範囲であり小さい田舎でも見聞が広まったことが自分が得たものだから無駄なことではなかったのである
なぜ人間が他者を理解できないのか?
それはそもそも人の仕事が多様で理解できないからである
今の社会は無数のパートで成り立っている、すると原発でも吉田所長が復水器のことを知らなかった
それは最も大事なものだったのである、それが所長でも知らない
そんなことがありえるのかとも思った、でも他の大会社の社長すら専門以外は知らないのである
でも社長になっているのである、そういう社会なのが現代なのである
だから駅長でも駅のことがみんなわかっていることでもなかった、現場の人が知っているということがあり指摘したら直したことをプログで報告したのである、だから駅とかは意外と広範囲に社会とかかわる場所だったなと回想するのである
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