秋の蝉、芙蓉(近間の道)
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今日の真夜中のノウゼンカズラと月
このベンチまた休むや木陰かな
揚羽舞い芙蓉に実り鳩の来る
この道や慣れにし通う秋の蝉
昔よりありにし家や秋の蝉
蝶を追い花を見につつ雲立ちぬもう一夏を我は生きなむ
注-鳩は山鳩である
ここ十年以上近間を行き来しているだけである、人間は最後は近間が大事になる
ついのすみかとなるからだ、近間は若い時から常に平凡でものたりないものを感じて来た自然でもそうである、この辺では高い山がないからものたりないのである
でも人間は平凡な中に感じるものがあり日常は平凡なのである
ただ70年もいきれば必ず大きな事件でも災害でも起きるものだと思った
津浪や原発事故やコロナウィルスでもそうである
70年ごとに人間社会では大きなことが起きる、そして社会ががらりと変わることがありうる、それが今なのである
ただ私の生活は毎日慣れた道を行くだけである、でもそうして慣れた道を行くと秋の蝉が鳴いていると心にひびく、そしてこの家は昔からあった家だなと何でもないことでも感じるものがある
原町では道の駅の脇の公園で木陰のベンチで休んだ、そこで小高の人と話したことがあった、あそこはいい木がありいい場所である
そうして何かあるなんでもない場所でも愛着を感じる
それはもう死も身近にみえてくると人間はどんなささいなことでもそこがかけがえのないものに思いてくる、場にしても人にしてもここにもういなくなるとか人にしてももう会わないとかなるからだ
その時誰しも何気ないものでもいとおしく思うのである
こういうことをまず若い時は感じない、田舎なんか平凡でつまらない、飽きたとかなっていた、それで私のように旅ばかりして遠くに憧れるだけだったのである
そして顔を知っていた俳優が二人死んだ、70才だった、こうしてともかくテレビで親しんだ俳優も死んでゆく、あの人も死んだのかとなる
いくら長生きでも70ともなれば死ぬ人が多い、でも高齢化だと70以上でも首相になったり大統領になっている、アメリカも高齢化である、80近くで大統領が勤まるのかともみる
芙蓉が咲く道がある、そこに揚羽が盛んに舞っていた、この芙蓉はあまり大きい花でないのでものたりないとはなる
そこに秋となり実りそめた稲穂が色づき垂れる、自転車で行くと涼しさを感じる
ただまだ夏であり夏も感じる、帰ったらぐったり疲れた、それは陽がさして午後からかえって暑くなったからだ
それでまたぐったり疲れて寝込んだ、まだまだ暑いのである
やはりカメラは常に携帯する必要がある、シャッターチャンスが近くにもある
ただ正直人に見せるような写真はいいカメラでないとだめだなと思った
でもそうなると写真とることで手間になる、いい写真をとることはやはりセミプロになってしまう、雑誌にのるようなものだともう写真とることに集中しないとできない
ただ今では素人でもいい写真はいくらでもでている
でも残念なことは写真はすばらいしのだが俳句とかそえてもそれがほとんど駄作なのである
写真はかえって若い人がうまい、でも俳句とかなると駄作が多いとなる
両方がうまくなるのは結局人間にはむずかしいのである