真野の草原(かやはら)は境界線
(海水温も境界になっていたー台風でわかる)
本当にこさも不思議である
真野の草原が海水温の境界になっている
海水温まで関係していたのかともなる
今日のテレビの天気予報で台風が来て海水温を出していた
海水温が高くなると台風が発生しやすい
それでわかったことがその海水温でもみちのくの真野の草原の万葉集の歌が歌われた南相馬市の鹿島区がその境界線になっていた
これも不思議だとなる、天気予報を見ていると何か前も何回も境界線になっていることを報告した
今回もそうだった、ちょうと南相馬当りが境界線になっている
マルハシャリンバイの南限の地としてあるのはいかに植物が気候と関係しているかである照葉樹林帯というのは温帯でありこれが亜寒帯だとそうはならない、それはやはりこの辺が境界線なのである、つまり温帯とか亜寒帯の境界線なのである
それが海水温まで関係していたのである
つくづくだから真野の草原(かやはら)が実は萱ではない、むしろマルハシャリンバイが自生していた南限の地でありむしろ萱とかの寒々しい風景ではない
照葉樹林帯の温帯地域にある、すると何か南として温帯地域として意識されていたのである、つまり草原(かやはら)というイメージにあわないのである
それでやはり草原が地名説とした私の説が正しいとなる
何かみちのくだから草原が寒々しい風景が似合うように詩的にイメージしたのである
そこが錯覚の元になったのである
私自身は詩を作ったりしているからそうしして空想的にイメージしやすいのである
でも俳句は正岡子規に習った写生俳句だからそうはならない、それで写生俳句は写真と相性がいいのである
いづれにしろ科学的思考が歴史にも欠かせない、それで天候から温度の変化とかから古代を調べる人もでてくる、そうなると理系になり私にはできないとなる
ただこうして天候を見ていると必ずこの辺が南と北の境界線になっていることは間違えないのである
つまり大和朝廷の支配領域は天候と関係していたのである
気候と一致して境界線があったとなる、つまり人間が作った歴史と自然の境界線が一致していたとなる、境界となる場所の要素として何か自然の地勢とか天候でも関係している
ライン川のように川が境界になったりするのが普通である
そしてこの境界線は歴史でも自然を知る上でも大事な要素なのである
陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎
要するにこの歌は大和朝廷の支配領域になった地として境界として奈良時代に知られていた、実際にこの歌にして慕った大伴家持は陸奥に赴任したともされている
ただそれは明確な証拠がないがそれを論文で出している学者もいる
だからこの歌はとにかく大和朝廷のみちのくの進出がありその境界線として歌われたものだとなる