雲の峰(電車の写真はとりにくい)
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スーパーヒタチが去った5分後くらいにいつのまにかこんな大きな雲の峰が出ていた
意外と早く雲が大きくなる、だから夏の雲は変化するから飽きない
鉄道がここを通っているがこの場面でスーパーヒタチを撮れば絵になっていた
電車が動いているし背景も刻々変わっているから写真をとるのがむずかしい
刻々と形を変える雲の峰
場所変わり消えてはたちぬ雲の峰
ぐんぐんと大きくなりぬ雲の峰
雲の峰たちまち大きく聳え立つ
向こうにたちこちらに立ちぬ雲の峰
雲の峰燕飛び交い電車行く
草原に風のわたりて雲の峰
鷺の二羽向かい合いつつ川に暮る
にいにいの鳴きてみんみん鳴きひびく近くに昔遊びけるかな
雲の峰が見える場所がある、それは年によって違う、今年は夕暮れになると山の方に見える
雲の峰は震災の前の年のとき大きく見えた、その時も異常に暑かったのだ
それでいろんな形に雲が変容するのを見た
その翌年の3月に津波が来て右田の松原は根こそぎ消失してしまったのである
何か異常に暑くなることは大地にも影響して海にも地下にも影響して地盤がゆることがあるかもしれない、それで大地震の前に暑くなることはありえる
天候の影響は地球全体を変えるからである
昨日は雲の峰の写真をとるために待っていた、でもスーパーヒタチが去った後に5分くらいあとに大きな雲の峰がいつのまにか出ていた
もしそれをとれた絵になっていた
写真はやはりシャッターチャンスを逃すとあとはとれない、いくらいいカメラでもとれない、そして動いているものをとるのはむずかしいのである
特に電車とかはむずかしい、相当に構えてねらってとらないととれない
それでけ写真をとるということは労働にもなる、疲れるのである
ただ写真撮ることの効用は写真を撮ることにもあるがその場にいて自然の雰囲気を味わうことにもあることを知った、一時間くらいいると辺りの雰囲気にとけこむからだ
だから実際は写真一枚を見ただけではその場にいる経験とはならないのである
その写真をとった人はそういう場にいたことを記憶して写真からその場の雰囲気を思い出すから価値がある、その場にいない人はなかなかいい写真でも切り取った一部しか見ないからものたりないものとなっている
とにかく映像の時代だから写俳とかうまれた、正岡子規の写生俳句とカメラは合うからである、見たままを俳句にするということはまさに写真なのである
そこに技巧をこらさないことだからである、余計なイメージをしないことだからである
今年は遅れて夏が来た感じである、でも30度くらいだったら夏らしいとなる
でも自転車で遠くに行くことはむずかしい、日射病になるからだ
それにしても自然は刻々変化している、だから近くでも良く観察していると飽きないのである
雲の峰いくつ崩れて月の山 芭蕉
これは雲の峰の名句である、雲の峰は崩れやすいのである、でも崩れてはまたたちまち大きく雲の峰がそびえ立っている
だから一か所にいて観察していると変化するから飽きないのである
ここで雲の峰と電車を映している
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