鬼百合とダリヤの写真
庭に咲く鬼百合見れば思い出す強気の姉の家を守りぬ
鬼百合というとき姉の花である、姉は太っていて強い女性だった
だから男でも恐れていたのである、男でも全然怖がらないのである
男の方が怖がってしまうのである
人を見る時真正面からにらむ、話するのにも堂々と話す
それで父親死んだ後、家が守れたし自分も楽したとなる
ただやさしさには欠けていたのである、人間は結局あらゆるものを備えた人はいない
優しい人は気弱になるし何か性格的に欠けるのである
人格的にあらゆるものを備えた人などいないのである
第一人の性格は人間は悪いと見えるものがいい方に働く
でも姉は最後は認知症になり悲惨に死んだ、最大の弱者となったという悲劇である
それには驚くばかりだった、強い人間も最後は弱者になる
ただもし急激に倒れた死んだからそんなことには見えなかったかもしれない
なせなら突然死んだのだからそこに弱さを見せることもないからである
まず病気になったりしたらどうしても弱者になるからである
いづれにしろ花とともに人も思い出すのである、特に花となると女性をイメージする
花にもいろいろありそれが様々な女性をイメージするのである
とにかく家は一人では作れない、男女があり総合的なものとして作られている
そこに家の意味がある、それは会社でも同じである、様々な人が力を発揮して作られる
家は最小限の共同体なのである、これは自治体とか村とか町とか市でも同じなのである
ただそれが現代では大きくなりすぎて一つの共同体として感じられないのである
厚生病院の裏の畑にダリヤが咲いている、その隣の庭も花が咲いている
そこの家は留守だったので写真を自由にとれたのである
写真は結構むずかしい、花は近づいて大きくとるのがコツのようだ
そしてカメラもいいものでないと本当はきれいにとれないことがある
揚羽がとれたので良かった、揚羽と鳥が動いてすぐに消えるからとるのがむずかしいのである
今日はここは晴れた、梅雨はようやく明けた、写真をとるにはいい、ただ暑くなると日射病になるのが怖いのである
老人はこれに気をつけないとまずい、ただ晴れてからっとしているからいいみたいだ