山火事も森を再生するために必要である?
(人間社会も大きな変革には自然災害も戦争も必要だった?)
そのため森林は古い巨木だけが繁った状態で固定化され、新陳代謝が停止してしまうこともよく見られる。これはまさに森林の縮退なのだが、ここでしばしば大きな山火事が皮肉にもそこからの脱出を助けることがあるのである。つまり山火事がそうした古い巨木をすべて焼き払ってしまうことで、地表に一時的に陽が戻って若い苗木が育つことができるようになるというわけである。
これは興味深い、山火事は自然の摂理でありそれで新陳代謝が起きて来る
すると自然現象にはそういう作用があるのか?
津浪とかでもそうである、何かそこには自然の摂理があり津浪によって人間に甚大な被害があっても自然の作用であり自然としては海が何か蘇る、新陳代謝するということもあるのか?
人間はあくまでも人間側からしか考えない、自然の大きな作用についてはわからないからだ
それで武田邦彦氏が常に自然はでかい、人間が考えるよりごついものであり人間の活動で自然が汚されるということはない、それはあくまでもほんの一部であり自然全体を人間の作用で壊されたり汚したりできないとしている
ただ放射性物質の汚染を一ミリシーベルトにしたのかそんなに厳しくしたら住めなくなるからだ
放射性物質の汚染はまた別だったのかとなる
温暖化はないとしているのもやはり科学者でもそう見る人もいる
人間はとにかく自然といってもその一部を見ているだけなのである
自然全体を感じるとか見ることができないのである
どんなことしても人間の視野は狭い、それは人間が作り上げた歴史でも社会でも一部しか見れないから問題なのである
この原理を人間社会に適応すると
社会の新陳代謝のためには戦争とか民族移動とか動乱とかウィルスとか大きな事が必要
こうまでなる、実際にそうして社会が歴史が進行したからである
人間社会が歴史が変わる時、それで社会も大きく変わる、それがコロナウィルスでもそうだった、ウィルス自体が自然から生まれたものだからである
なぜウィルスがあるのか、これも謎だからである
そして不思議なのはコロナウィルスが若い人は感染しても軽くすみ、重症化して死ぬのは60以上だということである、これだけは明確なのである
だからこれも増えすぎた老人を減らす自然の作用なのかとまで思ってしまうのである
長生き悪いものではないにしろ全体的な生物の生存という面からみると老人ばかり増えるのは生命の維持ではいいものではないからである
そこで生命の新陳代謝のために増えすぎた老人を減らすためにコロナウィルスが生れたともなる
自然災害は常にありそれによって易姓革命が起きるという中国の思想は人間を変えるのは自然でありまたそこに神の意志もあるとなる
人間がいくら変えようとしても限度があるからだ
原発を止めようとしても止められない、でも津波が来て止められたともなるからだ
中国では今三峡ダムが崩壊するとか大洪水で苦しんでいる
大陸の洪水は水が簡単に引かないないのである、だから長期の被害になる
巨大な湖のようになって水が引かないのである
世界中に起きていること気候変動でもそうして生命の新陳代謝のためなのか?
自然の活動は地震でも津波でも火山の爆発でも大雨でも大きな地球的自然の活動である
それらがないのが好ましいとしても地球規模ではそれは自然の活動でありそれは生命の新陳代謝だとなる
だから山火事までそうなのかとなる、一旦焼け野原にすることで新しい森が形成される
木でも剪定するのは木を切ることでかえって木の伸びる力が出るという
木の花でも腐ったりしたら葉でも早めにとらないと栄養が他の蕾とか伸びる枝とかに回らない、自然には常にそうして新陳代謝する作用がある
それは人間社会にもあるのかとなる
なぜなら戦後の焼け野原に生まれたがなぜあの時食べるものもないのに子供が大量に生んだのか、誰もそんなとき子供など生みたくないし育てたくないとなるのが普通である
でも戦争から男たちが引き上げて大量の子供が生まれたのである
それは実際は理にかなったことだった、焼け野原になっても次の新しい時代を作るものともなったのである、戦争で既得権者が例えば地主などが一掃されたとかあり社会変革が起きた、そして高度成長時代になり人手はいくらでも必要になったのである
だから社会が変わる時、何か大きな事件などが起きる、自然災害も起きる
それは次の時代の産みの苦しみとしてあるともなる
それが今の動乱の時代になっているのかもしれない、日本では社会でも70年ごとに大きな変化に見舞われる、明治維新から70年で太平洋戦争になり次の70年が今の時代だからである、だからここ十年くらいは大きな変化の時代になる
そこで戦争のような混乱や苦難や大きな自然災害でも起きて来る
何か米中戦争になるというときもそうである、自然災害が頻発するのもそうである
コロナウィルスでもそうである、こうした災難の後に新陳代謝が起こり新しい時代が生れる、つまり森の再生には一旦山火事が起こりそれで新たな森が新生する
それが人間の歴史でも社会でも起きるということである
それは自然の作用であり神の意志が加わっているのかともなる
人間だけではとても一旦作り上げられた社会を変えられないからそうなっているのである
いづれにしろ高齢化社会は社会が停滞しやすい、新陳代謝が起きにくいのである
技術的にもそうである、高齢者がIT技術を使いこなせないことが新しい社会を作れないとかなる、その是非かあっても老人はどうしても新しいことについていけないのである
だから明治維新で活躍したのは20代とか30くらいの若者だったのである
激変する時代になると老人は既得権にしがみつくだけである
今金をもっているのが老人だけで金があっても使えないということがある
自分も何かやろうとして登山のリュックを買おうとしたがもう登山もできない
電動自転車の長距離用のいいものがでたから買おうとしたが体力的にできない
海外旅行もできる気力もない、携帯の翻訳機を使おうとしたがこれも使っていないとか
何か利用しようとしてもできないのである
だから老人は一部でも金をもっていても消費できないという問題が生れていたのである
つまりそれは経済が停滞するということなのである
もちろん投資などもめんどうでできないのである
貯金していれば利子がついていた時代が一番良かったのである
たた人生百年時代が悪いわけではない、それだけ長ければライフワークをもてば凡人でも相当なことができる、結局何するにしても時間がかかるからである
才能がなくてもやはり根気よく勉強していれば身につくことがあるからだ
人間はやはり時間を一番無駄にしていることが老人になって気づくからである
新陳代謝できない高齢化社会はやはり大きな問題なのである
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