2020年07月10日

飯館村村長の菅野典夫氏が村長をやめる (立派な箱ものだけでは飯館村も復興はできない)


飯館村村長の菅野典夫氏が村長をやめる

(立派な箱ものだけでは飯館村も復興はできない)



福島県飯舘村 “子ども5人に57億円”の仰天施設に村民の怒り

女性自身  

2016年10月15日 06:00 


 村広報誌に毎年掲載されている一般会計の決算状況によると、2009(平成21)年度歳出は約44億円だったが、2017(平成29)年度歳出は約177億円で、約4倍に膨れ上がっている。2017年度の歳入は約202億円で、そのうち国庫支出金が約72億円、地方交付税が約52億円、県支出金が約16億円。もともと自主財源比率が3割程度の自治体だが、国・県の補助事業増加に伴い、その傾向が強まっている。

 さまざまな事業の中でも特に目立つのは、公共施設整備と教育・子育て環境の充実だ。
スクールバスは児童・生徒や家族への負担を考慮して移動時間30分程度に設定されているが、福島市から飯舘村までは約1時間かかる。しかも、こども園、小学校、中学校でそれぞれ帰宅時間が異なるため、集団下校させるわけにもいかず、帰りも複数の便を出さなければならない。そのため、多くの費用がかかる

【原発】【福島】菅野飯舘村長「帰還政策」の欺瞞 

生業再生後回しでハコモノ整備

月刊 政経東北
2019/08/26

菅野村長の悪行はこれだけではない。2013年1月、蕨平(わらびだいら)地区住民が、帰還困難区域である長泥地区と同じ財物賠償(土地・家屋などに対する賠償)を求めてADR(裁判外紛争解決手続き)に申立てを行った。蕨平は長泥地区に隣接、場所によっては長泥と変わらない高い線量が計測されており、ADRは訴えを認めた。居住制限区域にも帰還困難区域と同様の賠償を認める画期的な内容だった。

 だが、菅野村長はあろうことか、数土文夫・東電会長に対し、この和解案を受け入れないよう求める要求書を村民に隠れて提出していた。「東電がこの要求を受け入れた場合、住民が帰還しなくなる恐れがある」というのだ。

蕨平の人にあったが不満を言っていたのはこのことだったのか・


一般の人の年間被曝(ひばく)限度量は年間1千マイクロシーベルトを超えかね
ないと報じられる。同じ記事で公表された、他の自治体の線量を見ると、福島市10.50μSV、南会津町 0.09μSV、南相馬市 3.33μSV、いわき市 1.01μSV となっており、飯舘村 24.60μSVという数字が異常に高いことが見て取れる。村民が不安に思うのは自然なことである。

「地域があるから人があるの?」「県があるから地域があるの?」「国があるから県がある
の?」違う。逆でしょうって。人がいるから地域が生まれ、地域の仕事がたくさんあるから村になり町になり、そして県や国が成り立っているということなんじゃないの。過疎地だって、結局潰れないのは人がいてふるさとを支えているからでしょう?」

「地域があるから人があるの?」「県があるから地域があるの?」「国があるから県があるの?」違う。逆でしょうって。人がいるから地域が生まれ、地域の仕事がたくさんあるから村になり町になり、そして県や国が成り立っているということなんじゃないの。過疎地だって、結局潰れないのは人がいてふるさとを支えているからでしょう?」27    



菅野村長の飯館村の出身地は中心部の草野ではない、佐須だった、佐須とは焼畑の意味である、飯館村は相当に古い、何か縄文中期の遺物が出て来たとかあった
そこに山津見神社が有名だが綿津見神社も対になしてある
これは相馬地域の歴史で考察した、とにかくこの辺では綿津見神社と山津見神社が多いのである
それはなぜかとなると安曇氏などが最初に広い範囲で開墾した土地だからだとなる
だから佐須とか他にも焼畑地名があるとするとその焼畑の技術はそうした安曇氏とかの海洋民族が技術としてもたらした
その人たちは照葉樹林帯の文化の伝播者だったのである
だから飯館村は縄文時代は今でも山菜を食べていたように山の幸が豊富だった
また狩猟でもイノシシとか鹿をかなりいて食べていた、そういう場所に渡来人系の海洋民族の安曇氏などが入ってきた

私自身が飯館村にかかわったというとき大倉からあの七曲の坂を上って自転車でしょっちゅう行っていたことである、前は本当に七曲がりの道が大倉からありさらに木戸木にでるそこは戦後引揚者が開墾した新しい村である
10数軒の村である、その時私はその村があることに注目していなかった
それより今道に舗装されている所が森になっていて小川が森につつまれるように流れていた、そこは道もないような所であり神秘的な場所だったのである
私はそういう場所が好きだった、今でも近くにそういう場所がありそこに心安らぐのである、自然の中に様々な地形がありその場所は神秘的なのである

人間は意外と近くにそうした神秘的な場所があることに気づかないのである
最近でもそういう場所を私は発見したからである
木戸木は大倉の七曲の坂を越えてまた七曲の坂を越える閉ざされた地形にある
だからこそそこにはもともと人が住んでいないから戦争の引揚者が開墾するために入ってきた、でもそこはわずかの田畑があるだけでありそれだけでは生活できない
林業とかあり何か別の仕事がありそこで生活していた
つまり山には木材とか石材とか資源があり山持ちだとかえって裕福な人がいた
炭を売って生活するとなるとかえって豊かになっていたのである
木材という資源が豊かだったからである

でもそこも舗装されるまっすぐな道ができて神秘的な小川の流れる場所は喪失したのである、ただ飯館村の不思議は高原であり一段と高くなっているからそこは何か別世界に来た感覚になる、森に囲まもているし一軒一軒が森につつまれてあり贅沢だとなと見ていた
そこで大家族で住んでいたとなると確かに貧乏ではあったが空間的には贅沢である
東京の様なごちゃごちゃした場所に大金持ちで豪邸に住んでも環境が良くない場所が悪いのである、それでそうした豪邸でもうらやましいとはならないのである

飯館村は実際広いから地理的に今だにわからないのである
森におおわれた森につつまれた場所である、そこに太い樅の木がありそれが神殿の柱のように見えた、そして若木が生えて春に光を浴びて育とうとしていた
しかしそれを見たとき残念だったのはそこに住んでいるのは老人であり子供は住んでいない、依然として放射線量が高いからである
なぜ放射性物質が減らないかとなるといくら除染しても森に放射性物質は循環しているからである、だから森自体を除染できないからそうなっている
それで子供は50億とかかけた学校に遠くから通っている
他にも箱ものは立派でも肝心の子供とか若い人は住んでいないのである
村のスクールバスで通っている、それにも国から金をもらっているから金をかけている
金をかけていても金があっても金だけでは復興できないものがあった
箱ものは立派でありる、でも肝心の人間が住んでいないとしたらその立派な箱ものを活かせないのである
そういう矛盾は原発避難区域であった、

人がいるから地域が生まれ、地域の仕事がたくさんあるから村になり町になり、そして県や国が成り立っているということなんじゃないの

その肝心の人が住んでいないから村に立派な箱ものを建てても活きていないのである
むしろ貧しい建物でも例えばそこに学びたいという熱い心の人が集まれば活きてくる
その肝心の人がいないのである
ただ佐須で放射線量を計った時、泥が20マイクロシーベルトあったことに驚いた
そこがホットスポットでそうなったと思っていたが実は飯館村は最初の時期にそのくらいあった、全体的にそのくらいあったから驚きである
南相馬市でも二三日20マイクロシーベルとった
樋の下は近くで7マイクロシーベルトとあった、そして南相馬市より福島市の方が放射線量が高かったのである

菅野町長は何かそうして飯館村への帰還を徹底してすすめることで批判された
それで実際は心臓の病気であり交通事故も二回起こしていた
それだけ体に負担がかかっていた、その政策は村民から支持されたとはなっていなかったただ菅野村長派もいるからわからない、外部の人でもフリーのジャ―ナリストが応援している 
菅野村長を批判しているのは政経東北である
私自身も菅野町長は飯館村に住んでいない、孫も住んでいない、飯館村の外から通わせている、それなのに飯館村に住めというのは矛盾していとも思っていた
ただ正直この飯館村の人たちがどう対処するのかわからない面がある 

多額の補償金をもらって喜んでいた人も実際にいたし福島市とかに移り住んでかえって良かったという人もいることは確かなのである
それで新しいこじんまりとした家が古い家の代わりに建っていた
それはどこでも建っているから帰っているのかと見たのである
でもそれは別荘だというのである、確かに大家族で住むのには小さすぎるからだ
時々畑じ野菜つくりして見にきているとか言う
それも不思議なの感覚になる、別荘となればぜいたくだなとも見る
本家は別に福島市にとか建てたとなるからだ

でもそんな別荘地として飯館村がありえるのか?
軽井沢ならわかるがここでそんなことが成り立つのか?
ただ飯館村をどうするのかとなると本当にむずかしい、他の避難区域になったところでもそうである、第一住民自体がどうしたいのかわからない、熱意がない
何かあきらめている感じになる、それを外部からとやかく言うとまためんどうになる
ただ南相馬市では小高は一体なので私は嫌なことでも言った
それで反発された、でも南相馬市なのだから負担にもなるから復興してもらわないと困るから言った

おそらく菅野村長は国よりになり国の方針に従うということで反発されたのかもしれない国としては早く避難区域を解除して補償金を払いたくないからである
それでもう放射性物質の被害はないとしていたのである
ただ放射線量は飯館村ではもともと高かったから減らないのである
それでけモニタリングボスとでも低くなっているがそれは大成建設などがその下の土を掘って低くみせていたことで村民が抗議した
つまり政府では放射線の被害はないから村に住めという方針である
それは菅野町長の態度と一致するのである
私自身は外部であっても土地のつながりで相馬地域として一体だから人が住んでもらいたいのである

フレコンバックの山とか今度はソーラーパネルとか風力発電の風車の風景が嫌なのであるでも人が住まないと何か土地を活かすために金にするために必ずソーラーパネルとか風力発電の風車も景観を乱すから嫌なのである
それらが本当に自然エネルギ―なのかとなると違うということは述べてきた
風車の風は自然の風ではないから植物でも正常には育たなくなる
またソーラーパネルも純粋の自然エネルギーではない、そして税金をとるからかえって高くつくのである、ただこの世に純粋の自然エネルギーは人間には作りだせないとなる
山が荒れたの木材が外材に代わり利益を産まなくなったからである
それと同じように利益を産まないと現実問題としてソーラーパネルでも金になればいいとなるのである、そしてもう飯館村に住んでいないとしたら別に気にするも必要もないとなる、時々昔をなつかしみ別荘に帰ってくるだけの場所になる
軽井沢のようになってしまうのも不思議だとなる

ただコロナウィルス騒ぎで東京のことを書いたけど東京に本当にこれからコロナウィルスだけではない大地震がきて東京に住めなくなる
東京脱出が起こり飯館村とか浪江町とかは空地空家だらけなのだからそこに住めとなる
もしかしたら住ませてください、何でもいいから住ませてくださいとかなるかもしれないそれで東京の人たちは原発事故の罪の償いをする    
それで重いカルマから解放されるとなる、カルマはどこかで苦しみとなって現れるからである、苦しいから嫌だとしてもここで住みここを復興させろともなる
今は復興をあきらめていても時代が代わり意外なことで復興しているかもしれない

とにかくそうしてそんなことに期待するのももう住民は帰らないからである
あきらめているからそんなことでも妄想するとなる
小高でも飯館村でも帰ったのは老人でありやがて介護状態になる
その介護する家族もいないし誰が介護するのか?
結局家族がひきとることになる、そして無人化してゆくともなる
実際に神社でも誰もお参りするものもいない、神様も捨てられたのである
そして人間も捨てられるのである、それは荒寥としたものになる
草ぼうぼうのゴーストタウンならぬゴーストビレッジ、幽霊村になってしまうのである
だから原発事故の無惨さは飯館村に一番被害としてもたらされたのである

何か古い家があった、そこに住んだ人の重さがあった、年輪を重ねた古い木のようにそこにあった、そこはやはり兜屋根であり養蚕をしていた
そして古い碑があり枯れた萱に隠されていた、なんともわびしい風景だった
そのようにわびしいのは人が住んだ所が人がすまなくなるとどこでもそうなる
何かかえって淋しくなるのである
そして幽霊がかつてあった町とか村を本当にさまようようになるのである
幽霊がそうして廃墟と化した町でも村でもさまようようになるのである

いづれにしろ復興といってもそこに住んでいる人たちがもう帰還することをあきらめている、近くでも何するでもなくギャンブルしていたり釣りしていたり何かすることはない
何か仕事をしないということも心が退廃してくる
金があったとしてもその移り住んだ地域でも何もすることがなく役割もない
すると地域から浮いた存在になる、またいつまでも補償金で暮らせない
ではみんなで復興するのかとなるともうばらばらになっている
親も子も祖父母でもばらばらに住んでいる人も多い、家族すらばらばらになっている
そこで復興といっても10年過ぎても明るいものがないのである
未来への芽がないのである

ただ飯館村の森に入った時、樅の木が新たに根付き伸びようとしていた
春の光りをあびて伸びようとしていた、自然は復興している
ただ放射線量は減らない、でもその樅の木が森に根付いて育とうとしていた
そこに未来を感じたのである、飯館村は森の国であり木が豊富だからそうなる
放射線に汚染されても木はと生き続けている、枯れてはいないのである
ただその森も汚染されているから除染もできない、でも森が死ぬことはない、いつか放射線もなくなり元の森に還る、それは相当に長い年月が必要になる
それだけの神話的な深刻な被害として飯館村は記録されるものとなったのである

そして結局復興は先が長いと見なければならない、セシウムが半減するのが30年後と言われた、現実的には10年後でも相当に減った、でも住めるようになるには時間がかかる
おそらく30年後とか50年後とか百年後とかなる、それだけの時間かかかる
つまり時間でしか解決しなくなったのである 
でもまた飯館村に誰かが住んでいるかもしれない、それは元の住民でないかもしれない
何かコロナウィルスのような異変があって都会の人が移り住むかもしれないからだ
そういうことは予測できない、そしてもはや我々老人はその未来を見ることはできない
菅野村長もやはり病気であり引退したのはそのためだった
浪江町長もやはり死んだ、未来を担うものは子供は住んでいないのである
ただ未来は誰もわからない、30年後でも50年後でも百年後でも人が住んでいるかもしれないその時間に期待するほかない、人間ではもう解決できなくなくなったのである

いづれにしろ箱ものだけを立派にしてもそれを活かせない、そもそも住民がそこに住まないからである、そしてなぜそうなったのかというと心が一つになれなくなったのである
それは多額の補償金をもらったことにもあった
それによってみんなで市町村の復興を考えるより個人とか家族単位の復興になったのである
だから現実として子供は別な地域に行きそこの学校に通う、大人も別な地域で仕事をするそれも十年もすぎたらそれが既成事実となりもう飯館村には帰らないのである
それで菅野村長が村に帰り住むということに固執した
実際はそうあるべきであり自分自身もそうあってほしいとなる
でも現実はもうそういうことはなくなった
するとそこに固執することは反発を受けるようになった
いくら村長がそう思っても住民がそう思わないとしたらもう心はばらばらである
すでに心がばらばらでありただ個々人の家族の復興しか考えなくなったのである
それは南相馬市でも同じだったのである
そして家族もばらばらになり老人だけが取り残されたのである

これは奈良の十津川部落とはあまりにも違っていた
心が強固に一つとなり団結して奈良から北海道に移住したのである
国から補償金もらったとしてもあくまでも村全体で使うものためであり個々人家族ではなかった
とにかく村人の心が一つになっていた、だから移住先でも団結して暮らすことができた
補償金は村のために使われただけであり個々人とか家族には使われなかったのである

人間はやはり建物とか物とか金が必要でも心が大事だとなる
第一菅野村長が飯館村に住んでくれといっても本人は福島市のマンションを真っ先に買って住んだと言われる
そして孫がいてもその立派な学校に通わせているのである
つまり本人が住まないのに住めというのは成り立たない
それは浪江町長でも大玉村とかに家を建てた、そして浪江町には住まなくなっていたのである、ただまもなく死んでしまったということである
菅野村長も病気だということになれば強いことは言えない
結局過労になり病気でもあり引退したとなる

こういうことで飯館村は何か建物が立派になってももう住民は帰って住まないのである
そういう規制事実ができあがっているのだから元に戻すことは不可能である
だから森は除染してもできない、すると30年待ってセシウムが半減するとか放射線量が減ることを待つほかないのである
それが50年とか百年にもなるかもしれないがその先は予測できない
意外なことが必ず人間には起こる、コロナウィルスを予測した人は一人もいなかったからである、地震とかはいろいろ言ってもコロナウィルスのことを当てた人は一人もいなかったからである、だから30年後でも50年後でも百年後に何が起きてくるのか予測できないのである、意外と飯館村に東京の人が来て住んでいたとかなるかもしれないのである
そういう変化がコロナウィルスで起きたからである
こうなると立派な建物を50億で建てたということでも無駄になる
第一それを活用する肝心の人が住んでいないからである
また何兆円もかけて除染してもそれが復興になったともいえない
つまり金をそんなにかけても効果的にならなかったのである
だから金があればなんでもできるとなる時代だがここではそうはならなかった

建物があって人があるの、人があって建物が家でも公共の建物でもある
人がいて子供がいて学校という建物がある、それが逆になったともなる

小高でも老人施設があってもそこに働く人、介護士とかがいないから青森に送られている建物が立派でも働く人がいなくなったのである
人が住まないからそうした建物も宝の持ち腐れとなる
5人くらいしかいない学校に50億円も建物に金を費やしても復興していないのである
それは菅野村長のせいというだけではなく住民がそもそも帰らないと決めたのだからどうにもならないとなる、それが現実だったがそれを無視したから反発されたとなる
本当は村長だけが浮いた存在にてっていたのかもしれない、ただ私には複雑な事情はわからない、でも新しいこじんまりした家が建っていたので人が住んでいると思った
それが別荘であり人は住んでいないというのが不思議だったのである


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枯芒に車が埋もれている、ここで時がとまったままなのである
まずいい飯館村では車がないと生活できない
買物もまともにできないからだ

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ここは道に向いて古い碑がある
ここは塩の道だったのか?
ここを上るとこの兜屋根の養蚕農家がある、これは相当に古い
壁は土壁であり古い、こうした廃墟が飯館村にはある
壊された家も多い、その跡地には何も残っていない

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道の駅のまでい館に建った子供館

次々に立派な建物は建った




posted by 老鶯 at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
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