ヨ−ロッパや中国の精神形成の歴史
(城壁の内と外)
城壁の上をふみしめ歩みつつ城市に住む心知るべし
大陸というとき、まずその地形を知るべきである、そこはどこまでも平坦な地形がつづくさえぎるものがない、そういう地形に生きることは日本の様な山国に生きるのとは根本的に違ってくる
その感覚を知ることはやはりその土地とその場所と城壁を知ることである
それで長安の城壁の上を歩いた、その幅広いし重厚の城壁である
そこに門があり門の外と内とがあり外に住めば無防備になるから危険である
外的がどこまでも平坦な土地からモンゴルの様に大挙攻めてくる
その地勢は前を遮るものがないからだ
だから城の内に逃げ込めば命が助かる、命が守られるとなる
それはヨ−ロッパの都市でも同じである、都市を城壁で囲む、その内に入れば敵が攻めてきても命が守られる、そうでないと命は守れない
するとその城壁内で城と一心同体になる
日本だったら城と町とは町民とは農民でも分離して生活している
敵が攻めてきても城の中に逃げる町民とか農民はいないのである
ここが大陸と日本の歴史を知る大きな相違である
それはなかなか頭の中で理解しにくい、それで旅でもいいからその土地を踏むことにより歴史を知ることができる
つまり血肉となった歴史を知ることができる、それでなんとか50代で世界旅行をしたから十分とはならなかったが知ったことは大きいことだった
中国とヨ−ロッパはやはり大陸であり似ているのだ、城壁があり塔があるというときそれは敵から守るためのものであり塔は敵の侵入から守るための見張りの塔である
だから中国でも塔が多いのである、それも堅固な塔でありそれが仏塔にも発展したのである、日本の塔は五重塔でも見張りの塔ではない、優雅な塔なのである
どこまでも平坦な大陸に住めば何かそうした高い塔が目印にもなる
つまり遠くから塔が見えればそこが目印となりその塔を目指して来る
ともかく大陸ではそうして城壁に囲まれていればそこで安全が保証されたとなる
それが国全体を城壁で囲むとなり万里の長城が生れた
ただ万里の長城はなぜ急峻な山の尾根のような所にあるのか?
そのような山を遊牧民が上って攻めてきたというのも理解しにくい所はあった
やはり山が防壁となりその上に城壁を作ったという歴史があったとなる
civilizationというときcivilは市民である、その市民というものが日本人にはないのである、それは城壁内で作られた共同意識のことである
その城壁内で命を守るための義務と責任のことだった
日本の共同意識は小さな4、5百人の村のことだった、非常に狭い地域の村が村意識が作られてそれが日本人の共同性を作ったとなる
日本の地形がとにかく山が多くて山でさえぎられている、山が障壁となる
山に閉ざされてしまうのである、国のまほろばとなると奈良の盆地のように山に囲まれた地域なのである
また日本の城が要害となる山に作られたのも地形を利用して敵から守るということに自然となったのである
人間の精神の形成もこうして地形が影響して地理が影響して作られてきたのである
何度も言うけど福島県は地形的に一体になれない、ハマ、ナカ、アイヅと別れていてそこで天候も地形も違っている
阿武隈山脈が高原があり中通りと浜通りはさえぎられて見えないのである
福島県はその地形のために不自然な県となっている
それは日本がの国土自体が山にさえぎられてそうなっているのだ
だからこういう国が一つの国となることはむずかしいことである
八百万の神がいたということは隣の村でさえ山でさえぎられて別な世界になりそこに別な神がいたともなる
だから大和王権が海から船で支配した統一したというのもわかる
とても陸地からだと山にさえぎられて道もないときその全体を統一することはむずかしかったからである
ともかく歴史でもその国土と密接に結びついて形成される、その地形とか地勢とか地理は変わらないからだ、阿武隈山脈が高原がなくなり向こう側は見えるようにはならないからだ、もちろん日本を囲む海は依然としてなくならないからである
中国でもヨ−ロッパでも川が大きな役割を果たした、ドイツのライン河は父なる河となっていることも理解しにくいのである
中国の文明でも黄河と長江が作ったというときもそうである
エジプト文明がナイルの賜物というときもそうである
川は水が流れているというだけではない、道ともなっていて結べものだったからである
エジプトの神殿が河岸に作られたのは港の機能があったともなるからだ
日本人が大局的なものの見方ができないというのも地形からそうなる
常に山にさえぎられて遠くが見えないのである、大陸だったらどこまでも平坦な大地があり遠くが見える、ということは当然大局的な見方ができるとなる
大局的に見て戦略をたてる、日本だと戦術になる、その場その場での臨機応変な対応となる、大陸だと時間的にも空間的にも長期的であり空間でも広い範囲に生きる
だから中国の一帯一路に批判があっても中国自体が大きく一帯一路として見るからそうなる、日本ではそんな遠大な計画ができない、大東亜戦争でもそうした巨大な大陸に攻め入ってもとてもその広大さがわからずに大陸に中国に飲み込まれてしまったのである
ともかくまず世界を知るにはその地理を地形をしることである
でもそれが広すぎて知りえないのである、常にいるのは狭い日本でありそこから世界を見るから理解できない、そこに誤解も生れて来る
中国とかアメリカがどれだけ広い国がとても実感できない、そこで島国根性になり無謀な戦争になったりした、日本は海に囲まれでまた孤立しやすい風土だからである
長安春望<盧綸>
東風雨を吹いて 青山を過ぐ
却って千門を望めば 草色閑なり
家は夢中に在って 何れの日か到らん
春は江上に來りて 幾人か還る
川原繚繞す 浮雲の外
宮闕參差たり 落照の間
誰か念わん儒と爲りて 世難に逢い
獨り衰鬢を將て 秦關に客たらんとは
千門があり河がありそこは外界とつなぐ道でもある
いろいろ人生を経て長安の城壁内に老いたということである
その城壁内が安住の地だったとなる
長安の城壁
これだけ広いのである