2020年06月30日

南相馬市鹿島区の花幸園芸店が閉店 (残した一つの正月の作品)


南相馬市鹿島区の花幸園芸店が閉店 

(残した一つの正月の作品)

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正月の寿春

円は満願、調和、円満
紫菖蒲は清楚な妻
チューリップの大きな蕾
未来へ開く瑞々しい若さ
葉牡丹は田舎的素朴質実
若松は初々しい命の緑
黄色の蘭は無垢なる幼児の色
正月に床の間に映えて
この家を言祝がむ




鹿島区の花幸花屋が閉店した、何か人が入っているのを見たこともないからやっていけるのかなと見ていた、花の種類も少ない、花屋の商売は結構むずかしい
花屋というのは実は相当な知識とセンスが必要である
まず花を育てる土とか肥料の知識が必要である
それは農業で畑で野菜を作るのと同じである、この知識は簡単に身につかないのである
だから農家だとその家のものが跡を継ぐのが有利なのである
親から実地で教えられるからである

それから花屋とかは何か芸術的センスが必要である、だからこの店では生け花の免許をとっていたことでもわかる、生け花の素養が必要なのである
それと美の感覚、芸術的センスが必要なのである
ただ花を売るということではない、花に対してのセンスが必要になる
私自身は花に興味があり高山植物でもずいぶん見て歩いた
それでフラワーアレンジメントに興味をもって最近はじめたのである

ただ花屋というのは結構金もかかるし金持ちの人したできないと思った
だから鹿島区ではあとは「森の花屋」しか残っていない、ここは小高の人がはじめた
ここは大きいけど花が少なくなっている、仙台まで買いにいかないと花は買えない
相馬市の駅前の花屋では仙台まで花を買いに行っていた
そこで病院に行って花を買ったりしていた、そこで写真をとりフラワーアレンジメントに興味をもってはじめた

ただ鹿島区では小さいから花屋でも商売が成り立たなくなる、それで仙台ですら今回のコロナウィルス騒ぎで花屋で花が売れくなくなったとかなっている
国分町で水商売の人が買わなくなったからだという、あういうところには花をふんだんに使って飾りつけをするからである
それからまたコロナウィルスで結婚式とか葬儀でも人が集まるのが嫌われたことで花を買わないということもあり苦境にたたされた
花屋はそうしたイベントとか集まりとかに花を使ってもらえないと成り立たない
だからお盆にはみんな花がを買うがそれだけではやっていけないとなり閉店になった
もう一軒の花屋だって成り立つかどうかわからないのである

この正月の花飾りが記念として残したものともなった
これは自分がいいとして評価したが本人はあまり関心がなかった
他人が評価して本人が評価しないのは変だった
これは和洋折衷で私が評価したのである

何かどうしても通りの店がシャッター通りになる、それは前のように大規模でないとスーパーに人が一局集中したように
小さい店はやれなくなる、それでせっかく鹿島区で真野川沿いに新しい通りができても歩道ができても
一軒も店ができていないともなる、それがもったいないのである
でも花だけが咲いているが人が歩いているのを見るのはほとんどないのである
店とはもともと見せるだったのである、その見せる店がないからどこの通りも死んだとなる

花でも簡単なものはスーパーで買ったりするからである
だから花の専門店となると相当な技量と芸術的センスとかがあって商売しないと成り立たない
それから都会でないとそういう客がいないから成り立たないとなる
自分自身は花が好きだから花屋に興味があった、花とかお茶とか短歌と俳句とか深く関連していたからである
それは日本の伝統であり日本文化だからである、だから花屋はそうした専門性がありスーパーとかにないもので
商売する、それは小さな店でも成り立つとなるがそうした客は都会でないといないから田舎では無理だったとなる
でも田舎でも花の苗とかみんな買っている、原町には相馬でもそうした需要がある
こうしてまた一見店が消失することは通りが淋しなるのである

これも郷土史であり郷土史とは記録として残すことである
これは5年前のことであった
そして「相馬新報」とは地域の新しい報道なのである、古いものと新しいものを知らせるということになる
古いものでも常に発掘したり調べないとわからないのである
それで400年前に700人生波で津波で七百人溺死と相馬藩政史に記録されたのが津波の後に発見された
これがいかに貴重な重大な記録だったかを知ったのである
それから東電では科学者が十数メートルの津波が来ると報告して警告していたのである

でもそれを大々的に知らせることがなくこの辺では津波が来ないとして大被害になったのである
だから知らせるということが報道の使命である
それは地元に密着しないとできない、その土地と深くかかわって報道しないとできないのである
福島県となると広くてそうした土着的密着した報道はできないのである
そこに「相馬新報」の意義がある
そうしたことができたのもインタ−ネットが生れてできたとなる、それは無料で誰でもできるからである
ただ手間だけは省けない、毎日書くことは相当に手間になるからだ
そのことで自分自身が費やされていることでもわかる、本当は一人ではできない、狭い地域でも実際は報告することは多様だからである






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