2020年06月23日

トンネルの話 (トンネルは国境ともなり闇をぬけることで人生の象徴にもなる)


トンネルの話

(トンネルは国境ともなり闇をぬけることで人生の象徴にもなる)

旅の思い出として残るのが境として意識するのが山国の日本だと峠になりそれは国字である、峠を上るきるとそこに視界が開け別世界になる
もう一つ境とか意識するのは山国ではトンネルなのである
日本は山国だから本当にトンネルが多い、トンネルは電車の旅で意識する

仙台市から山形県へ向かう面白山のトンネルが宮城県と山形県の境界である
それは地理的にも意識しやすい、また季節的にもその境界辺りは寒く雪が春でも残っている、つまり面白山を境に気候も違っているのである
そして福島市に向かう電車が峠駅でとまる、そこは無人駅だけどそこから盆地の福島市に向かう境界なのである、だから峠駅なのである

トンネルの不思議は真っ暗な闇の中をゆく、そして闇をぬけたときほっとする
やはりトンネルをぬけると新しい視界が開ける、別世界に来たような感覚になる
自転車でトンネルをぬけるのは怖い、とても長くなると車道を走れない、それで脇の歩道を行くにしても怖いし長いと早く出たいというだけになる
そしてトンネルをぬけたときほっとするのである

とにかく日本にはいたるところにトンネルがある、それは山が多いからそうなる
それで日本がではトンネル技術が進歩したというのもわかる
技術も風土によってその土地に見合ったものが開発されるからだ
砂漠地帯だと中東から風車が生れたというのは絶えず風が吹く場所だから適していたとなる

トンネルは何か神秘的である、それは暗いからである、その暗い所をぬけると解放された気分になるのである、だからトンネルは国と国の境になる
そして村と村でも道がないときトンネルをほって道を作る、そこで村と村が道で結ばれる何らか日本では山とかでさえぎられどうしてもトンネルをほって道を作ることになりやすいからである
日本ではやまのあなたに幸いありという地形なのである 

人間の一生でも暗いトンネルに入ることがある、それは抜け出せないという恐怖に通じている、でもトンネルには出口がありそこに光りがさして新しい世界に向かっている
ただ苦しい時はどうしてしもその暗いトンネルから抜け出せないような感覚になり重苦しいものになる、病気とかになったりするとそうである
介護ではそういう苦労を自分はしてきた、介護はいつ終わるかわからない暗い長いトンネルだったのである、そういうことをみんな人生で経験する   

不思議なのはトンネルでも電車でぬけるトンネルと歩いたり自転車で行くトンネルは違った感覚になる、自転車を引っ張り歩いたりしてぬけるトンネルは電車とは違う
電車はあくまでもレールの上を走るから必ず抜け出られるという前提があり安心である
歩いたりしてぬけるトンネルはぬけだせるにしても遠く感じるのである
そしてかなたに出口があり一筋の光明がみある、光りがさしてかなた明るくなっているからだ、

その感覚は電車にはない、つまりなんでも機械に頼ると人間的感覚が失われるのである、だから本当に旅したいなら歩くほかないのである
そこに人間の感覚でとらえられるものが生れるからである
でも自分自身がこれほど旅しても歩いた旅はしたことがない
例えば陸前浜街道にしても10キロの道も歩いたことがないのである
それだけ今は歩くということをしない時代なのである
それで車であれバイクであれ自転車でさえ何か人間的感覚を感性を失ったのである

人間はこれだけ電気社会になると暗いという場所がめずらしくなる、暗さを体験しない
時代をさかのぼれのぼるほど人間は暗い世界に住んでいた
それでかえって人間の感覚が鋭敏になり感性が磨かれた、それで谷崎潤一郎の 「陰窮 礼讃」などが生れた
人間は今や本当に暗い世界を体験しない、都会だと不夜城になり暗さを追放している

ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く 山部赤人

これも闇が深くまた騒音もない古代の景色がありその清涼感がでている
ここには久木とあるがこれは何かわからないにしろ植物としてありその他に人気もない
原子のままの状態をイメージさせる、つまり人間がいない原初の自然の清涼さがある
その河原には人の足跡はなくただ千鳥の足跡だけがある世界である
それは闇が深いとういことでもそういう手つかず自然の中で歌われたのである

トンネルというときこの闇と深く関係している、闇の世界がトンネルである
そこを抜け出すということでトンネルがある
いづれにしろ日本にはトンネルが多い、トンネルで村と村も結ばれたということがある
そのトンネルほるために大変な労力をはらったことが伝説ともなっている
それは中国でもあった、その時機械もないから人力だからトンネルをほることは大事業になったのである

九州の大分県の耶馬渓(やばけい)にある“青の洞門”でしょう。
 今からおよそ250年ばかり前のこと、耶馬渓をおとずれた一人の僧がいました。
 名を禅海(ぜんかい)といい、 耶馬渓は山国川にそう険しい台地で、そそり立つ岩の間を何本も川が流れています。
 昔から交通の難所として知られていましたが、中でも険しい崖をつたう鎖渡しとよばれる桟道は、命がけで渡らなければならない難所でした。
 この難所で多くの命がうばわれることを聞いた禅海は、ここにトンネルを掘ろうと決心しました。
 洞門を切り開くことに手をつけたのは、1720(享保5)年で、禅海は50歳くらいでした。
 ツチとノミを使ってただ一人で、禅海はトンネルを掘り進めました。
  こうして30年、1750(寛延3)年に、トンネルはついに完成しました。

 トンネルの歴史

トンネルを作ることは大事業だった、30年かかって完成した粘り強さには驚く、つまり今は機械でするけど人力の時代になるとこれだけの労力と歳月が必要だったとなる 
ヨ−ロッパだと運河のトンネルがあるのも川が道になっていたからである
だから運河のトンネルというのもやはりトンネルでありそこをぬけると別世界に出るという感覚になる





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posted by 老鶯 at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅の記録
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