夏の日の花の通りー南相馬市鹿島区の花の写真
ここのシシドスーパーの復興団地の通りの花はきれいである
これだけの花が咲いているのは見ものである
鹿島駅の花壇
クリック拡大で鮮明に見える
道広くクローバー一面に匂うかな
白菖蒲咲きしもあわれこの道を行く人なしに我が通りゆく
日のさして葉陰に咲きぬ夏蝋梅我が家にあり籠り暮らしぬ
鹿島区では一時仮設がそちこちに建った、今は全部なくなった、その後が空地となり道路の脇が一面のクローバーの野になった
これもまた変化である、何かこれも夏らしく気持いいともなる
これは北海道の景色である
それで北海道の札幌の通りが広いということで
しんとして 幅広き街の秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ 啄木
これを思い出した、でも明治でも札幌は都会である、だから一万の町とは違っている
でもそれと似た光景が広がっている
そしてこの通りにはいろいろな花が咲いている、ここは新しくできた通りでありまっすぐである、その通りにそって夏でありいろいろな花が咲いている
まさに花の通である、でもその通りを歩いたのを見たの一人だった
あとは車しか通らないのである
また店もほとんどない、だから新しい通りを作っても店とかがないから淋しいとなる
でもこの場所はいい場所である、真野川が流れて土手があり散歩にはいい場所である
鹿島区というと旧陸前浜街道がある、この道は狭いのである、でも古い道である
だからその道に沿って町ができた
でも何かこの新しい道の方が広々として景色がいいし花も植えてあり気持いいなと見た
でも店はないのである、だからもったいないとも見た
街の通だとしたらそれにふさわしいものがあってもいいと見た
ただ店を出せないのはやはりそれだけの客が来ないからである
それでほとんど人も歩いていないのである
今はただ人は歩かない、みんな車だから歩かない、それで通りでも人が歩かないのであるそれはやはり車社会の弊害なのかもしれない、車だと通りを歩いてちょっと寄るということがない、イオンのような所に遠くても行ってしまう
それで街の通りは廃れたとなる、本当は旧街道の町を一部この新しい通りに移せばいいのだがそれが簡単にできない、それだけの店を維持できないからである
いづれにしろただ花を見て通るだけの通りである、ただ花は映えている、裏の道はさらに人は通らない、歩いていない、歩いているのはめずらしいのである、そこに白菖蒲だけが咲いていた、花だけが静かに咲いて映えていたのである
それで花だけが映えている不思議がある、人で混雑したら花も映えない
ただ矛盾は花だけが映えて人がいないというか店とかないのも淋しいのである、だからその兼ね合いが大事になる
そこに白菖蒲だけが咲いていた、花だけが静かに咲いて映えていたのである
花の写真は光りに影響される、日がささないといい写真がとれない、だから梅雨になると曇っているから写真をとるのには向かなくなる、ただこつは近づいて撮ることだけだった、だからこれは比較的に誰でも撮れるものかもしれない
問題は広い景色がとるのがむずかしいのである
それはレンズとカメラに影響されるから簡単には撮れないのである