右田の松原の写真を一枚加える
上の写真とにているようで違っている
この写真をみると奥深くまで松がある
それだけここは松が多かったのである
でも一本もなくなった、思い出すのは写真だけである
あの松原は故郷の心にしみこんだ光景となっていたのである
でもあれは自然のものではなかった、作られた森だったのである
なぜなら松だけの森はないからである
森にはいろいろな木があって森になっているからだ
だから杉の森も木材にするために人工林にした森である
もともとはブナとかがあったが木材に適していないので切ったのである
もし自然の森だったらもしかしたら残る木があったかもしれない、松だったら根こそぎなくなった
写真を整理していた、前に出した写真とも思ったが見てみたら違うようである
ただアップしてとったもので同じものなのか?
厚ぼったい菊であり野路菊のようでありこういうのはめずらしい
野菊は咲くけどこれは浜に咲いていたのだろう
野路菊や松の幹太く根付くかな
右田の松原が全部消えた、今はソーラーパネルになったし風力発電の風車となった
だから何か右田の松原を偲ぶものがない、一本松も消えた
とにかくあそこに松原があったということも時間がたてばもう津波から十年すぎている
すると十歳くらいの子供だった人は覚えているからもしれない
でもだんだん覚えている人も少なくなってゆく
それは津波のきおくでもそうである、家族が死んだりした人はなかなか忘れられない
ただ人間の記憶は本当に消えてゆく
そんなところにいたのかということすら定かでもなくなる
それで外国旅行の写真は貴重だった、なぜなら外国旅行は10年くらい過ぎる思い出すことがむずかしくなる
すると確かに自分の行った場所だったと写真で思い出すのである
ただその時デジカメがなかったから写真の数が少なすぎるのである
だから貴重だともなる、それでも映りが悪いなとみる
今のデジカメの方が格段に映りがいい、なにかボケたようにしか映っていないのである
これからは写真で膨大な記録が残される時代である、だからどうしてもいい写真をとりたいと思うようなった、でもカメラもいろいろありレンズもいろいろでありめんどうだし金もかかる、それで将来に未来に残すものとして写真に記録しておく
それが郷土史にもなる
私の撮った写真はやはり貴重な記録だったとなる
でも数が少なすぎたし写真の記録としては物足りないものだった