原発事故で問われたもの-取り残された老人が語るもの
(補償金だけでは償われない生の意味が失われた)
原発事故ではいろいろなテーマが広範囲に生まれた、それを追及して来た
コロナウィルスでもそうである、何か大きな事件が起きると様々な面から追及される
テーマが生れる
第一一つの町や村が消失すること、ゴーストタウンのようになることは歴史上でもなかなかありえないだろう
戦争中であれほどの被害、300百万人死んで市町村が消滅するようなことがなかった
これも不思議なことである
かえって人口が焼け野原からうなぎ上りに増えて高度成長時代になった
戦争の引揚者がわずかの土地を求めて開墾に入った
飯館村の木戸木のような四方山に閉ざされたところでどうして生活していたのかとなる
その時車もないし七曲りの峠道があり村の中心部の草野に出るのも容易ではない
大倉に出たとしてもそこも街から遠く離れているのだ
ただ林業が盛んでありそれで生活していた面はあった
それで大倉であったばあちゃんが私は相馬の女学校出たんだよと自慢していた
つまりその当時林業が盛んであり山持ちに裕福な人がいたのである
その木材は原町機関区から東京に運ばれたのである
日本全国で森林鉄道が網の目のように張り巡らされていた
だから山には山の暮らしが成り立っていたともなる
そういう時代からここでも東京となのつながりが深かったのである
でもその時東京までは蒸気機関車で8時間くらいかかっていただろう
だから今の距離感覚とは相当に違っている
原発事故が起きて町や村が消滅するような事態は大事件である、なぜなら戦争でもそういうことなかった、爆撃を受けても消滅しなかった
つまり市町村でも原発避難区域でも江戸時代からその前から人は住み続けていたのであるそれが途絶えることは信じられないことだとなる
それがどうしてそうなったのか?その意味することは何なのか?
もちろん放射線被害のためだとなればそうである、ただ私が追求してきたようにそれだけではない、社会と時代の変化でそうなった
高度成長時代を経て社会が大きく変貌してししまったのである
社会の変化をみるとき江戸時代と比べるよりわかりやすくなる
原発避難民が資本家になったと考察したが江戸時代だったらそんなことありえないからだ
●藩より外に自由に移動できない
●金が万能ではないー貨幣経済ではない
この2つの制約が大きかった、何か藩内であっても藩の外に自由に出れないのである
ただ天明の飢饉のときはやむなく藩の外に流出した、それで荒地が増えて越中などの移民を呼び込んだのである、農業社会だったから土地を与えるとなるとそれでも来た
でも藩の外にでることは命がけだったのである
第一飢饉で人が流出したような所に住む人はいない、でも当時は農業社会だから土地が一番価値がありそうなった
明治以降は鉄道が発達して関所もなくなったから自由にヒトでもモノでも出入りできるようになった、そこから金が大きな力を持つ貨幣経済となり資本主義が普及したとなる
その時村の共同地である入会の山なども各自に私有権が与えられて無数に分割されたのである、それで共同地を所有するということがなくなり各自が私有する山となった
今でも山は所有している人がいるが山が荒れて管理する人がいない
それは共同して所有しているわけでもないからである、その所有者すらわからなくなってその所有者の許可がないと自由にできないということで困るとなる
江戸時代は社会主義的共有の共同体だった、村ごとに自給自足の社会が基本だった
そういう社会から私有を私権を拡大する社会と明治の時から変貌したのである
でも一応村としての共同体は継続されていた、それは農業社会が基本にあったからである養蚕が盛んでもそれは農業なのである、だから今でもいたるところに兜屋根の養蚕をした家が残っている、どれだけ養蚕が盛んであったか今でもわかる
私の母親は原町紡績で糸取りしていた、農家では養蚕をしてその材料の糸を提供していたのである
その時代はやはりまだ村の共同体が維持されていたのである
それから農業社会から工業社会に変貌したのが高度成長時代でありその時からグロ−バル経済へ社会がまた大きく変化したのである
なぜなら電機製品を外国に売ることで日本が豊かになったからである
つまり農業中心だったらグロ−バル経済にならない、工業社会になったときグロ−バル経済になる、交通が発達してまたITとか発達ててもなる、つまり世界の流通が盛んになるにはそうしたインフラが発達しないとできない、グロ−バル社会はそうしてインフラが整備された結果として生まれた
日本の国内の広域社会でもそうである
グロ−バル資本主義社会というときそれは何なのか?
それが原発事故の避難者が多額の補償金で資本家になった、事業家のようにもなったというときそうである、1億円とか入れば銀行にもなる、それで投資家にもなる
山元町の津波の被害にあった土地を安く買って農業をはじめる
仙台市でアパート経営をはじめるとかで成功したとかなる
つまり原発事故になりその補償金であっというまに外に流出したのである
それができたのはグロ−バルなまた国内でも広域社会でありどこに住んでもいい、金さえあればどこに住んでもいい、むしろ金があればどこに住んでもいい暮らしができる
そうなれば別に荒廃した市町村を立て直そうとかもしない
なぜなら多額の金をもらって便利な所で生活すればいいとなるからである
それで飯館村では福島市に家を建てたり仙台市に住んだりしたとなる
東京に出て東京で生活するようになった人もいる
そこで失われたもの、取り残されたものは何なのか?
それで象徴されていてのは老人が取り残されたのである
最近あった人でもそうである、津波で被害にあった家を直した、でも息子夫婦は仙台市に移り住みその妻も仙台市に行って一人残されたのが老人の親なのである
ただその人は60代で元気だから仕事もしているからまた違っている
でもこのことは何を意味しているのか?
それは老人とは何なのか?そのことを知らないとわからない
老人とは自分の親でもそうだが自分のこれまでしたことを自慢する
それで認知症になっても常に自慢していた、この家は俺が建てたんだよと常に言って自慢していた、俺はこうこうしたんだよと認知症になっても過去のことを覚えているからしつこく100回でも言うのである
それはなせかというとそれが親の人生でありその苦労を語ることで自分の存在感を示すからである
そういうことは自分でもわかるから親を大事にするとなる
それは実は親をその土地の先祖になるとするときもそうである、別に血縁でなくても
そうしてその土地を切り開いて苦労して作ってきたのが先祖だからである
それは越中のような移民は特に苦労して相馬藩の土地に根付いた歴史があるからそうなるまた苦労して浪江町の津島で開墾したとかもそうである、だから団結しているというのもそうである
でもその土地から離れたら便利な都市に福島市でも仙台市でも移り住んだらそうした親の歴史でも先祖の歴史でも失われてしまうのではないか?
ただ補償金をもらった、金はもらった、でもそこで問われるのが意味なのである
老人はこの土地に生きて何かを残したということで存在感をもつ
ただ近くに住んでる人も若い時苦労して家を建てた、そして立派な庭を作った
ただ今そこに住んでいるのは一人なのである、ただ娘は相馬市に住んでいるから近いとはなる、でも親が苦労して建てた家には住んでいないのである
だからその家のことを自慢しても一緒に住んでいないから感じることがなくなる
私の場合は親が建てた家にずっと60年も住んでいてそのことを語るから感じるものがある
この柱は橲原(じさばら)の木を切って作ったとか常に言っていたからである
ということはその土地とも深く関係してこの家があったとなる
ここに親とかその土地と深く結びつくものがあり生きる意味があるともなる
それは先祖とも結びつくものがあるとなる
ただグロ−バル広域社会というのはただ金さえあればいい、金が万能の社会である
資本主義でも資本というとき金のことなのである
でも金があっても生きる意味が失われた
これは言えるのかもしれない、そこまで深く考えることはない、単純に金があればいいとなっている社会である
だから毎月電気代もガス代でも水道でも止められる貧窮者はそんなことより金だとなっている、一般的にはそうである
ただそこにも失われたものがあった
それが象徴しているのは故郷に取り残された老親である,跡を継ぐものもいないのである
自分が苦労して築いてきたことも原発事故でも無益化されたともなる
そして市町村でも死者とともに生き続けるということがある
生者と死者は切り離されていない、一体化しているのが村であり町でもそうだった
ただ何か失うものがあり得るものがあるのが人間である
だから今失ったものを一番感じているのは故郷に取り残された老親だともなる
もしかしたらその祖父母でも先祖でも悲しんでいるともなる
ただそういうことは経済的利益にならない、だからどうしても今を生きる人は経済的利益を追求する、今食べるものが欲しい、金が欲しいとなる方が切実だからである
ただそこにまた失われるものが生まれる
それを痛感するのは個々人でもある、常に人生は老人になって後悔するからである
あくことなく金を求めたとしても何かむなしいものとなる
そこに意味がないとそうなる「パンののみに生きるにあらず」を感じるのである
この人は何か浪江町に住んで生きていればこうはならなかったかもしれない
復興団地に閉ざされて孤独したというのも共同体から土地から切り離されてこうなったのかもしれない、確かに金には困っていなかったとしてもこういうことはありえる
孤独死ということはそういうことになるのかもしれない、ただ別に孤独死は増えている
だからそれが特別なものともならない
ただ人間はパンのみで生きる存在ではない、そういうことは原発事故でも問われたしあらゆる所で問われるのである
とにかく人間は得るものがあれば失うものがある
常にこうなっていることは確かである
復興住宅で60歳代男性が孤独死…コロナで見守り訪問中止、棟の管理人決められず
5/17(日) 8:52配信