2020年05月16日

マスコミとテレビの報道支配の終わり (ネットで多様化、相対化、常に批判の対象に)


マスコミとテレビの報道支配の終わり

(ネットで多様化、相対化、常に批判の対象に)

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「利益や保身のために自分たちの主張を通す。特定集団を守り、そこに対抗する人々を攻める」

テレビに「結論ありき」が跋扈する悲しい事情 なぜ都合の良いコメントだけを切り取るのか

msn ニュースpowered by Microsoft News(2020−5−15)


原発事故で避難した人が飯舘村の人が相馬市のトマト農家に雇われたことを断られた、相馬市の津波の被害者を優先的に雇ったからだ
そのことを飯館村の人に言わせた、するとその時見ている人は相馬市の農家はこんなに苦しんでいる時冷たいなと見た
自分自身もそう見たのである、でも実際はそれが冷たいことでもなんでもなかった
相馬市の津波の被害者には補償金が出ていないからだ

まずこの辺では補償金の額が多い、小高より浪江が多いとうらやましがったり浪江よりおそらく飯館村も多い、億の金が標準的にもらった人がいるだろう
最近近くの復興住宅に入った浪江の人は5000万近くもらったと言っていた
この額は土地をもっているとか家とか財産をもっていると多くなる
それが少ないか多いかは判断はできない、被害者に見れば当然であり少ないとしている人も相当いるからだ
ただ補償金をもらえない人ともらえた人の差がまた大きかったのである 

NHKの社員が取材に来ていたので直接聞いた
そしたらこのMSNの記事と同じことを言っていたのである
下の者にわかりません、上の命令通りに動くだけです

何か編集会議が行われそこで指針を上の人たちよって決める、この場合は原発避難者側につくということで編集して放送することにしたという
つまり上の人たちで決めた方針に従って決める
だからその方針に沿ったように編集するのである
だから専門家を呼ぶ場合でもその方針に沿ったヒトを学者でも呼びコメンとさせる
それで専門家が自分の趣旨とは反するとして文句言ったのである
つまり専門家の発言をそのまま採用されるわけではないのである
またテレビでは時間がないためにもそうなるとしていた
短い時間で放送しなければならないから長い発言はさせないのである

つまりテレビというメデアにはそれなりの特性がある、それはテレビ局が一方的に上の人たちによって方針が決められそれにそって取材して編集して放送されるのである
それで武田邦彦氏は常にテレビをNHKをも批判しているのはそのためである
武田邦彦氏は科学者であり専門家である
すると強固が科学者としての自負があり軸をもっているのだ
それをyoutubeだと一貫して話しているしそれもテレビ局のように切り取ったような発言ではなくその人自身の科学者として専門家としてしている
だから科学に弱くても素人でもなんとなく理解するようになった
何かそこにはぶれない軸があり一貫したものがあるからである
人間はそもそも科学でなくても右でも左でも一生をぶれないことなのである
その人なんであれ信用できるとなる
でもテレビ局はテレビ局の意向がありそれにそって科学者でも専門家でも呼びテレビ局の意向にそったものとして編集される

結局テレビとかマスコミとは中立でもなんでもない、テレビ局のマスコミの方針があり科学的なものとしてそれが真実でもそういうことを追及していない
何か国民受けすることを放送する、原発事故だったら避難した人が眼に見えて苦しんでいるということがありそれで原発避難者側についたのである
でも仮設住宅には原発避難者と津波被害者が住んでいたのである
その差が大きかったから一緒に住んでも話もしなかったというのは理解できる
一方は億の金をもらい、津波の被害者はもらっていないからその差が大きかったのである
ただNHKで報道するとそれが科学的に正しいとしても歪められる、武田邦彦氏は温暖化はないとしている、その科学的な真実を追及することは素人にはむずかしい
でもNHKがそういうことでそれが真実となり国民の世論になることが怖いのである
NHKはそれだけの放送する力をもっているからだ
ただNHKでもその後は津波被害者のことを考慮するようになった
いわき市の住宅でも原発避難者と津波の被害者がいた、その時も原発避難者側について
仲間に入れてくれないとか津浪の被害者を批判するようにしむけていた

なぜなら

津波の被害者にはしゃべらせなかったからだ!

つまりNHKでは双方の意見を言わせない、原発避難者しか言わせなかったのである
だから一見公平に見えてもそうではない、NHKの方針が咲にりその方針に沿ったように編集されているのである
するとなぜ津波の被害者は原発避難者を受け入れないのかとなり国民は津波の被害者を良くも思わないようになる
ただこういうことに気づいたのは自分自身が地元に住んでいたからすぐにそのことに気づいた、外部になるとこういうことが気づきにくくなるのだ
その土地の事情などわからないから結局短絡的に短い報道でテレビ局の方針に報道にのせられることが多いのである、外国とかなると余計にそうである
そこに報道の問題が常に生じることになる

原発事故では補償金でもめた、飯館村でもそのために二分化した、それはNHKで放送していたがそこは公平だったように見える、双方の言い分を言わせていたからである
とにかくテレビとかマスコミの報道はネットで相対化される時代になった 
youtubeは何かわかりやすいのと学習できることにある
一貫してその人の立場でその人の主張が言えるのである
そして対話的なことも違っている
だからネットのニュースでもこうして自分は対話してのせている
新聞記事でもテレビ報道でもなかなか自分の批判をのせることはないからだ
第一例えは新聞社でもその新聞社を批判したりマスコミを批判したりしたら誰もその意見を言わせたりしないからだ
だからこれまでは報道の自由はない、マスコミとテレビ局の方針に沿ったものが報道され編集されて国民に伝えられていたのである
特にテレビは一方的洗脳メデアだったのである

とにかくメデアが報道が問題になるようになったのはナチスはラジオから生まれたというときそうである、ラジオは国民を洗脳するものとして力をもった
ラジオがそんなに力があるのかとなるとそれでもあった
今はテレビであり映像の時代だから映像が力をもつようになった
それでイラク戦争の時、油まみれの海鳥がテレビで放送されたとき世界の人が

イラクはひどい国だ!

こう瞬間的に思った、ところがその海鳥一羽が油まみれになっていたのはその部分を見ていたそうなった、回りはそうなっていなかったのである
それはアメリカによって作られた映像だったのである、その影響は世界を動かしたからいかに映像の力が大きいかである
テレビの映像の問題は一部分をきりとったものであり全体は見えないのである
コロナウィルスでもスーパーにトイレットペーパーがなくなっている棚を見せる
すると

全国的にもトイレットペーパーがなくなる!

こういう恐怖心をうえつける、それて買いだめとかなりパニックにされるのである
別に他のスーパーの棚にはあったりするが全国でトイレットペーパーがなくなるという恐怖心になる、つまりそれだけの力がテレビ局にマスコミにあったことが問題だったのである
だからインタ−ネットでマスコミやテレビ局の報道が相対化させることがいいことであるそれで最近テレビをあまり見なくなったのである、新聞を見ていないのである
どうしてもそんなにいろいろ見れないし読めないからである
ただヤホーのニュースの編集とかmsnのニュースの解説とかは良くできている
今話題の旬なものをあらゆる週刊誌とかからも抜粋しているからいい記事が多いのであるだから習慣的に読むようになったのである

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静岡経済新聞



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