2020年05月10日

放射線量もコロナウィルスも数字で計る (科学は数字でも社会はすべて数字で計れない)


放射線量もコロナウィルスも数字で計る

(科学は数字でも社会はすべて数字で計れない)

原発事故で常に放射線量を計った、その計ることが機械があれば素人でもできた
だから浪江町から双葉町に入る時に0.5マイクロシーベルとか7マイクロに変わったとき驚いた、このようにはっきりと数字ででる
それは素人でもわかったのである、屋根にたまった放射性物質は樋から流れる
すると樋の下は7マイクロとかあった、これもわかりやすい、まわりは0.2マイクロだったからである

このように他でも明確に放射線量はわかる
それで飯館村でモニタリングポストの下を掘って放射性物質の土をとりのぞいて置いた
でもその周りは倍くらい高かったのである
つまりこの時大成建設では不正をして低くみせていたのである
それを飯館村の人が指摘したのである
それができたのは放射線量は素人でも計れるということだったからである

コロナウィルスはまず素人では計りえようがない、検査しようもない
すると専門家の言うままになる、何が本当なのかどうかもわからない
実際は検査していないから感染者の数は百倍もあるとされている
でも素人では何か機械をあてて検査できない、放射線量は体でもできたからだ

ただ放射線量で数字で計る、コロナウィルスでも感染者の数を常に見ている
数に左右されるのは同じだった
感染者が今日は何人とか毎日報告したからである
でもその数に一気一哀するのはおかしいという科学者もいた
そこに数字のトリックがありだまされるとしている
何か数字信仰のようになる、数字がすべてになる

不思議なのは地方では感染者が少ないから安全なのかと思う
それなのにこの辺でも毎日連休が過ぎてもスピーカーで危険を言っている
そして今日蔦屋に入ったら書店でも多人数で入るなとか長くいるなとか呼びかけている
どこでもマスクしているから常磐高速の鹿島のSAでは掃除している人がマスクをしなかったらマスクしない人は入れないと昨日は言われた
でも遠くから来た人はマスクしないで入っていたのである
これもおかしい、過剰防衛になっている

何かこのコロナウィルスは正体不明で怖いことはわかる、でも数字から計算するとそんなに怖くない、インフレインザより死者数も少ないとか過剰防衛になっている
その原因が正確な感染者とか政府でも調べて発表しないとかあるからだ
それで国民も疑心暗鬼になり過剰防衛になっている

放射線量でもモニタリングボストで低く見せたと同じことをしていると感じている
外国では隠蔽しない、というより死者数が多いから隠蔽できない

だから日本でぱなぜ感染者や死者数がこんなに少ないのか?

それが外国から見ると不思議だとなる、原因は何なのか?

●日本人特有のものBCGとか体質とか食生活が関係している

●政府が感染者と死者数を隠蔽している、正確に検査しない

このどちらかである、ただ死者数は隠せないとしている

ただ本当の感染者数がわかれば国民がパニックになる
それで数を極力おさえている、まず検査数が少ないのだからすでに百万単位で感染しているという学者もいる

でもそれでも死者数とか重症数が少ないのなら抗体がすでにできたためだとなり安心である
感染者数が増えてもかえって抗体を持つ人が増えるのだから安全だとしている
そういう政策をとったのはスエーデンである

ともかく科学とはつくづくこのように数字の問題になる、現代は何かとあらゆることで数字が問題になる、経済も統計であり数字で計る、だから株でも常に数字とかグラフを見ている
だから何かそこに血の通った人間を見ないのである
官僚とかでも常に国民を数字で計っている、すると血の通った個々人は見えなくなる
なぜなら相手しているのは国民であってもそれは数字としての国民なのである
そこに何か非人間的なものとなり政府でも首相でも国民はただ数字だとしか見ないということがある
だから個々人の苦しみでも感じないのである
それが現代文明社会だといえばそうなる

何かこんなに数字だけに左右されるのがいいのだろうか?

数字だけで社会のすべてが見えるのだろうか?正確な数字を出してもらうことが安心になる、それは必要である
変なのは感染者数は昨日は百人であり今日は50人だと報告されると安心する

数が少ないから安心だ!

これも何か数にだまされているともなる、一種の数の洗脳である
感染者の数ではなく重傷者と死者の数が重要だとしているからだ
感染者がいくら増えても重傷者と死者の数がふえなければかえって抗体が作られて安心だとしているからだ

結局放射線量でも常に数で計りそれで安心したり不安になったりしていたのである
見えないものだから数で計るほかないしそれしか感じる方法がないからそうなった
今回でもそうである
この辺だと10数人感染者が出たとしても東京と比べて少ないから安全かと思ってしまう現実はもっと多いのかもしれない、でも放射線量のように計れないから発表された数字で計るほかないのである

要するに検査を増やして感染者の正確な数を計れ!

これが正論になる、別に増えたとしても重傷者数と死者数が増えないなら安全なのであるそうなると日本がでは何かすでに抗体があり死者数が増えないとかなり安心になる
なぜそれを最初からしなかったのか?それがわからなかった

いづれにしろ人間社会は科学時代でも科学の基本が数学に数字にあるとしてそれだけで計れない、そこには血の通った人間がいてその声も聞くべきだとなる
すべてを数字で計ると血の通った政治もできない、何かここに科学の基礎が数学であり
社会を見るのが人間を見るのが文系だともなる
理系と文系の分化がコロナウィルスでも現象化したとなる
それで専門家会議に経済の専門家を入れろとういのはすでに自殺した人もいるし
経済の影響が大きくなると自殺者が増えるとか深刻になるからである
ただ感染者数を減らす数字だけを見ていては肝心の血の通った人間をないがしろにする
数字だけをみて判断するのも危険なのである

とにかく過剰防衛になっている、それは日本人の同調圧力となり告発して村八分のようになる、何か戦時中のようになっているのかもしれない
「勝つまではほしがりません」とかみんなマスクをしている
戦時中は鉢巻をして鬼畜米英と戦ったとにている
日本人は同調圧力が強くそうなりやすいのである
マスクをしない者は非国民だとか自粛をしないで店を開けるのは非国民だとかなる
それが何か一斉にそうなり強制的になりファシズムのようになりやすいのである
東京はある程度数が多いからしかたないとしても地方だと少ないのである
10数人でそんなに厳しい措置が必要なのか?
それは実際の感染者の数が地方でもわからないからなのか?
過剰防衛になっていることは間違えない、そうしてこの辺のようにゴーストタウンのようになり困窮して自殺者が増えたり犯罪が増える方が怖いのである
posted by 天華 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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