2006年11月30日

夕張市のおばあさんの訴えに同情した

北海道夕張市の財政破たんの大きな要因となった第3セクター「石炭の歴史村観光」
 (社長・後藤健二夕張市長)が29日、札幌地裁に自己破産を申請し、地裁は即日、  手続き開始を決定した。負債総額は約75億円。
 1980年、石炭博物館や遊園地の運営母体として設立。炭鉱から観光へ産業政策の 転換を図る中心的役割を期待されたが、利益を確保できない状態が続いていた。
 近年は市による赤字補てんが続き、財政破たんを招いた。
 従業員38人は全員解雇する方針。
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1164771486/l50

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テレビに出ていたおばあさんが働いていた石炭博物館つぶれたのか
夏場の働き場失ったらどうするの?
屯田兵の子孫で炭鉱一すじの家族だった
石炭が日本を支えた時もあった、自分たちは日本のために働いた
戦争に行った人も命懸けで日本のために働いたというのはわかるな

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石炭から石油へのエネルギー転換後の政策が観光しか無かったというのが全てだと思う過去を遡ると国にも重大な責任があるのではないかな。
今残って住んでるほとんどの年寄り達は炭坑時代からの人々も多いからね、今がどん底だね
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石炭博物館だけは入場料安くして存続して欲しい
でも遊園地は常に閑古鳥状態で無駄でしかない
夕張なんだから石炭を中心に細く長く伝える博物館だけで十分
手を広げすぎて墓穴を掘ったんだな

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テレビに出たおばあさんが74でも金がないということで石炭博物館で働いていた。それで年金7万に水増してなんとか暮らしていたんだよ、あのおばあさんの屯田兵の子孫だったんだよ、屯田兵とは何か調べたら

琴似神社に仙台藩亘理の藩祖伊達成実公と会津藩の藩祖保科正之公が神霊として祭られてるのは屯田兵と無関係ではありません。この神社こそ、故郷を離れ、見知らぬ寒冷地で厳しい訓練や開拓にとりくんだ琴似屯田兵達の心のよりどころであったのです
さて、琴似屯田兵を出身地別にみると、一番多いのが仙台藩亘理の人々です

http://www.bekkoame.ne.jp/~hera/kotoni/tondenhei6.html

これは近くだったんだよ、最近なぜ戊辰戦争に興味もったかというと浪江辺りで相馬藩士が死んでいた。それが福岡出身の人が自分の故郷の人が死んで葬られた墓をたずねていたのだ。それを読んでええ、・・の人が浜通りで戦い死んでいたのかとはじめて知ったのだ。歴史は誰かが関心をもち掘り起こせば連鎖して誰かが興味をもつということがある。はるばるみちのくまできて死んだ薩摩長州の人もいたのだ。この戦いにはいろいろあったがここでは詳しくは書かない、でも浜通りまで戦いがあり双方に死んだ人までいたことを知らなかったのだ。歴史は知らないことが無数にある。有名な人だけ関心をもちこうして無名に死んだ人は誰も関心をもたず忘れられて路傍に埋もれているんだよ

私がここで言いたいのは人間は歴史的動物であり歴史的にものを考える、歴史的に自分のアイディンティテイを求める。だからこのおばあさんが祖先が屯田兵でありその出身者が近くの会津とか仙台の亘理藩であり西南戦争に参加して薩摩藩への恨みに燃えて戦ったというのも納得した。自分も東北人だから歴史的に共感するところがあった。だからあのおばあさんには同情したよ、人間誰だって自分の生きた価値を認めてもらいたいんだよ、戦争だって命懸けで御国のために働いたと言うの人間として当たり前なんだよ、その是非は別として人間はそういうもんだよ、老人になったら、認知症になっても自分は過去にこういうことしたとかしきりにいう、自分の人生の価値を認めてもらいたいんだよ、それを認めてやると満足するんだな、石炭は日本を一時支えていたんだからおばあさんの言うことは一理あるよ、だから同情したんだよ・・・
posted by 天華 at 00:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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