2020年04月23日

コロナウィルスで政府が判断不能に (津浪、原発事故でも判断不能になった!)


コロナウィルスで政府が判断不能に

(津浪、原発事故でも判断不能になった!)

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浪江町長は自らの判断で山側の津島に避難させた

東電社員は海側の街に引き返すように指示した

こうして誰に従うかで生死を分ける場合もある


津浪とか原発事故の経験で危機に人間がどう対処するかを経験した
津浪原発事故だけではない、人間は危機にどう対処するつのか?

家族が認知症になったときも危機だった
自分にとっては最大の危機であり恐怖だった
身近な人が狂気になったと思ったからだ

それがなぜ恐怖だったのか?

認知症の正体が全くわからなかったからだ

それで対処する方法がわからずにただ狼狽して混乱するだけだった

その後認知症について勉強してある程度対処方法がわかってきて対処できるようになった

つまり得体のしれないもの、その正体がわからないからこそ混乱する
どう対処していいかわからなくなる

放射線とは何なのか?

それ自体もう素人には理解することは不可能だった、学者でも低放射線は体にいいという人もいたし御用学者もいた、そうなるとそうなのかと素人は思ってしまう

要するに判断不能になった!

コロナウィルスでもその正体がわからない
これはインフレインザでありその死者数を比べるととるにたらないと言う学者もいる
それが武田邦彦氏である、そうするとあれだけの実力ある科学者なのだからそうなのかと思う
でも不思議なのは原発事故では執拗に一年一ミリシーベルトをゆずらない科学者として有名になった、それはもう厳しい条件でありみんな住めなくなるものであった

だからなぜ今度は普通に仕事している人がコロナウィルスで自粛とか厳しくすると生活できなくなりその方が被害が大きくする、だからコロナウィルスはインフレインザより怖くないとしてむしろ普通に働かせる方をすすめている
でも原発事故のときは逆だった、一ミリシーベルトを守ったらもう30キロ内でも外でも誰も住めなくなった、だからこれはおかしいともみる

ただ危機は同じようには来ない!

だからまた対処が違ってくる

これは言えるのである、津波の危機でも原発事故の危機でも今回のコロナウィルスの危機も違ったものである、だから対処方法が違ってくるからだ
数学の数式のように社会の人間の危機には対処できないのである

でも今回も頼るのは科学者である、専門家である
つまりコロナウィルスの正体がわからないからそうなる
そして放射線と同じように大きく危険を言う学者と普通に生活してもいい、インフレインザよりコロナウィルスは怖くないとしている
むしろ自粛を強制したりする経済的被害の方が怖い、それでも人間は死ぬからである

結局人間はバベルの塔の崩壊のようにある時、危機には意思疎通ができくなるように思うバベルとは乱れという意味でありその乱れが来たとき対処できない、右往左往するだけであり遂にはばらばらになってゆく
原発事故でこの辺は家族までばらばらになったし今でもそうである

そして政府自体が判断不能になる、阿部首相はそうなった、おそらく何をしていいのかもわからなくなった、いろいろ言われてもどうしていいかわからないからのんびりと自宅にくつろいでいる姿を国民に放送して顰蹙をかった

阿部首相とか政府自体が判断不能に陥っている!

それは原発事故でもそうである、原発が爆発した時、政府では東電でも判断不能に陥ったスピーディで放射線量を適格に計ったとしてもそれを最初に連絡したのアメリカだった
アメリカに頼むのが先だったのである
アメリカに事故の処理の方法を教えてくれと頼んだのである

そうなると原発周辺の住民はどうしていいかわからない、判断不能になり浪江町長は自ら判断して山の奥の津島に避難した

そこは一番放射線が高い場所だった!

ところが避難した人たちの中に東電の社員がいて海側の街の方が安全だと引き返した人たちがいたのである、東電の社員がそういうからそれに住民も従った
それが正しい判断だった
なぜなら放射線は風に影響されたからである、風の方向を知れば山の方に逃げることはありえなかったのである
だから東電の一人の社員が放射線のことを知っていたからそれに従ったのが正しい判断だったのである

だから今回も何を信じていいのか?

誰を信じていいのか?

これが問題になる、科学者でも必ず意見が分かれるからである
つまり誰を指標にすればいいのかである
東電の社員のような人は誰なのかとなる?
その判断もまたむずかしいのである

武田邦彦氏を指標とするべきなのか?

確かにそうなのだろう・・・でもなぜこんなに自粛とか被害を誇大化しているのか?
マスコミでは危険を毎日あおる、だからテレビは見ない方がいいとしている
それもそうだとも思うが、では危険を全く無視できるのかとなるとできない

結局人間は危機にどうして対処していいのかわからない⇒判断不能になる

それは戦争でも起きたし危機では起きて来る、それが歴史をふりかえれば聖書の記述からすれば預言者が現れてイスラエル民族が危機から脱したとなる
つまりその時神の助けがあって危機から脱したのであり科学者とか専門家とか政治家とか様々な人ではない、第一危機の時民主主義など役に立たない
有識者を集めて話し合っても結論などでない、そのうち津波があっというまに来て飲み込んでしまったのである
大川小学校では前例で肯定に集めて協議して最も危険な川の側に避難した
生徒はすぐ裏山の山に逃げた方がいいとして逃げて助かった人もいた 

またテレビで放送していたが砂漠を旅した日本人の集団が水がなくなり水を求めて移動したのはそこに指導者がいた、経験者がいてその人に従い水のある場所に行って助かった
それは聖書の預言者が導いたのとにている
それは神に導かれたともなっていたからだ
ただ今回はその導いた人が経験して知っていたからである
ただここに運があったかもしれない、もし間違ったら水がなかった全員死ぬということもあったからだ          

つまり誰を信じて従うか?

それは集団でもなく、合議でもなく、一人の人間に従って助かる、また助からない

この時の判断は集団ではできない、また話し合っても時間がないからできない
すると誰かの判断に従い、それで助かる場合もあるがない場合もある
一つの賭けになる、でもどっちかを選ばねばならない
その責任はだれにあるのか、

導く人のなのか?選んだ人なのか?

結局双方にあるともなる

南相馬市の鹿島区の海老村では海に面した崖の上が高いからと避難場所に指定されていたそこに逃げて30人が死んだ、そこは海に面して危険な場所だったからだ
でも10メートル歩けば助かる所がいくらでもあったのだからそんな所に逃げる必要もなかったのである
そういうことは他でもいろいろあった、例え行政で安全だと指定しても危険な場所があった、だから行政すら危機には頼りにならないとなる

だからどう判断するのか?

ペストではヨ−ロッパで三分の一が死んだ、そこでカトリックとか神に祈っても効果なかったとしてキリスト教信仰からルネサンスとか科学とか現世欲望を肯定する社会に変化したとしている、今回もイタリアなどでは牧師が感染して死んでいるからだ


結局人間は危機にバベルの塔のようになり散り散りばらばらになり収支がつかなくなり茫然としているだけのなかとなる
それが人間の宿命でどうにもならないとなるのか?
そうしてボッシュの絵のように混乱の中に入り乱れそこに死神が君臨するようになる
いくら科学や文明が発達して人間の行く着く先はバベルの塔だとなってしまう
ただ最後は神を仰ぎ見る、神の助けなくしてなにも成せなくなる
世の終わりが来るともなるのだ

バベル(混乱)→収束不可⇒give up⇒神の来臨⇒選ばれた信者の救出

結局こんなふうになる、人間の文明の行き着く先はこれなのである
いくら人間の知恵を働かせても収支つかなくなり文明はバベルの塔のように崩壊する
神が神の知恵で治めない限り永遠の平和はない
人間の社会は(バベル)に終わる



posted by 老鶯 at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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