2020年03月03日

コロナウィルスでも危機管理が備えができない (郷倉の意味の再考)


コロナウィルスでも危機管理が備えができない

(郷倉の意味の再考)

各地方の郷倉が相続いて解消したにも拘らず東北地方にのみ現存することは、同地方は天恵に薄く全く備荒貯蓄が必要に迫られている事を物語って余りある、即ち東北地方の農村の歴史を繙く時は殆んど凶作と農業恐慌の文字によって綴られ、涙ぐましい祖先受難の跡が余りにも痛々しく目に立つ


郷倉と現代社会 (緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)

ここがなぜ昭和になってから作られていたのか?
それは東北では明治になってからも昭和になっても依然として恐慌とか不作の恐怖がつづいていたのである
東北地方では不作になり東京に娘が売られたとかもあった、それは戦前のことである
東北は明治になっても貧窮地帯だったとなる
東北の兵隊が太平洋戦争で勇敢に戦ったが西の方は大坂などはそうではなかったとか言われる、もしかしたら東北の兵隊は日ごろか貧しい、それで戦争のような極限状態でも耐えられたとなるのか?
アメリカ軍でもイラク戦争の様なとき、国らか認められるために若い移民が志願したりまた黒人が多いということもある
そういう人たちは戦争という場だったら活躍できたともなる

ともかく郷倉というのを今見直すかと言うと東日本大震災でもそうだった
物が入らなくなる、その物流が途絶えることが現代では一番怖いのである
食料でもなんでも外から入るもので買うものに頼っているといざ入らなくなったら万事休すになる
二週間は外から物資が入ってこなかった
車があってもガソリンがなく使えなかった、二週間後に隣の相馬市に物資が入って自転車で買い物ができた
その時たまたまあった米をたいてしのいだ、二週間なら米があればあとは味噌汁くらいあれば耐えられる、でもそういうとき郷倉があり古米でもいいから供給されると助かると思った

こういう危機管理は安全のための備蓄などは自治体ですべきである
でも郷倉というとき小さな村単位なのである、これが町とか市になると範囲が広くなり備蓄するにもそのための倉庫まで必要になる
一万人分の米を備蓄すること自体できないのである

今回のコロナウィルス騒動でもそうである、トイレットペーパーが全国の店からなくなった、実際はあるといっても交通の問題がある
遠くから運ぶからその人員とかが足りないとかすぐには配達されないのである
特にトイレットペーパーはがさばるから在庫として置くのに限度がある
それで店に在庫として置くの限られている
ただトイレットペーパーがなくても死ぬことはない、食料がなくなったら死に直結する
スーパーから食品がなくなったら恐怖である
でも別に弁当も惣菜を売っていたから安心したのである

現代は物は豊富である、でもその物が実際は遠くから入ってくる、外国からも入ってくるそれでその交通が途絶えると物流が途絶えるからパニックになる
原発事故の時ガソリンを運ぶのに鉄道で遠回りしてやっと運んだとかあった
二週間ほど完全に物流が途絶えた津波で被害を受けた村とかもあった
その人たちは裏山の清水を利用して木材を燃やして米をたいてしのいだのである
そういうときはいくら金があっても何の用もたさない、紙切れになってしまうのである
トイレットペーパーを転売して馬鹿高い値段をしして買うということも起きるがそれより交通が途絶えると運ぶことすらできなくなる
つまり現代のグロ−バル経済とか広域社会は交通がライフラインでありこれが途絶えると何もできなくなるのだ

普通は便利な生活を享受しているのだが一旦交通が途絶えるともう何もできなくなる
そこに脆弱性がある、かえって危機に対応できないのである
危機という時、国単位とか市でも大きな単位になるとその量が多くなるから備蓄でも限度がありできないとなる
トイレットペーパーは工場にある、でも配ることができなくなるのだ
それがグロ−バル社会とか広域社会の弱点になる
利点なものがまた弱点になるのが人間社会である
でも現代はそうしたグロ−バル社会に広域社会に生きていてもそれが自覚できないのである、それが一旦途絶えたときしか自覚しないのである

だからコロナウィルスはそうういことを自覚させられたのである
それは全国に世界に及んだからである、他でも食品がなくなっているというのもそうである、それは世界で共通している
そういう危機に備えられないのである
ただ江戸時代辺りだともし現代のように交通が発達していれば飢饉にならずにすんだ
全国のどこかで米があったら流通できたともなるからだ
江戸時代だと藩単位の国で関所もありできないから被害が大きくなった

ともかく現代の文明社会は意外と危機に弱いのである
もし二週間でも電気がなくなり水道が使えなくなり道路が遮断されてしまったら何もできない、死を待つばかりだとなる
東京とか大都会ではそういうことになりやすい、それが恐怖なのである
だから東京をいち早く脱出することだとなるがそれも簡単にはできない
車は渋滞になるし建物でも倒れたりするから道路も使えない
外からの援助も二週間とか来ないとかなるとそれまでもたないとなる

そしてトイレットペーパーならまだ死にはしないが食料だとなる奪い合いになったら争って死ぬようにもなる、地獄になる
大都会というのは一番便利な場所なのだが一番危険なものと一瞬にして変貌するのであるそれが武漢の都市封鎖で起きた、そこでは食料はどうしているのか?
何か真実はわからない、そこは食料もなく死ぬ人も出るとかなる
だからいち早く富裕層は脱出したというのもわかる
そういう都会に残された人は恐怖である、この辺では原発事故で一瞬にしてゴーストタウンになったからである

大都会はそれ以上に危機に弱い、外から何も入らなかったら本当に万事休すになる
その備えにも限度がある、だから東京のような一局集中は危険なのである
それがわかっていても手を打てない、そのうちに大地震が来て地獄と化している
人間は危機意識をもてない、今なにもなければこのまま何もないと思ってしまうのである
阿部首相も頭にあったのはオリッピックの成功であり習近平の国賓としての招待であり
また中国人のインバウンドの収入だった
それがコロナウィルスの突然の発生で危機感をもてなかった
頭を切り替えることができなかった、中国人の観光客の入国禁止を即座にできなかった
インパウンドの収入ばかり計算していたからである

そういうことは個々人にもある、何かに固執してとらわれる
つまり人間は緊急事態に危機に弱いのである
何か危機かもわからないのである、津波とか地震とか原発事故でもそうだった
突然襲いかかってくるから理解できない、対処できないのである
コロナウィルスも正体不明のものとして襲いかかってきたからである
だから最初何なのかわからず甘くみていて初動で中国人の入国拒否ができなかった
そしてそれが手遅れとなって致命的にもなる
これが一国の首相ともなると責任が問われる結果となったのである

posted by 天華 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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