2006年11月29日

仙台の冬の銀杏並木

ichoumachiss.jpg


若者に初老のまじり街時雨

街歩み人ごみのなか初時雨

盲人に車椅子通る冬ぬくし

冬の街乳母車入る喫茶店

金色に銀杏輝き街に来る

仙台の裏の通りや冬柳

書店一つ銀杏並木や灯のともる

郊外の家にともる灯冬菜かな

仙台や道行く人に銀杏散る外人も交じる並木道かな

日に映えて銀杏輝きつ散りにける並木つづきぬ仙台の街


仙台くらいになると街の情緒があるのかもしれない、銀杏の並木はきれいである。銀杏の葉は舗装の道に散るから土に帰らない、掃いてすてるのも大変である。普通土に帰るのが自然だがコンクリ−トの都会では土に帰らないのだ。でも銀杏の木は自然なのである。都会というとそこにいろいろな人間模様がある。今どきどこでも外人が多いのも特徴である。どこでも国際化しているしグロ−バル化している。仙台の裏の通りを歩けばそこには大きな街なりの古いものがあるかもしれない。古い店があるかもしれない、ただよくわからないが冬柳がたれて古い老舗のようなものがあっている。

自分の家で障害者をかかえるようになってから障害者を見る目が変わってしまった。より身近になってしまったのだ。普通無関心なのだが家で障害者をかかると他人事でなくなるのだ。車椅子を押す人がいたが家族なのだろう、大変だろうなとか盲人の女性が歩いてくる、どんな感じで歩いているのだろうかとか考えてしまう。障害というのは家族とか自ら障害者にならないと実感しえない世界なのである。同情するにも他人事になってしまうのだ。

今年は暖冬なのだろうか、冬の感じが今日はしなかった、そして街中で初時雨だった。村時雨とかあるから街時雨もあって不思議ではないので街時雨にした。明日は寒くなるというから本格的な冬はこれからだろう。それでも暖冬気味だということは障害者とか介護者には気分的に楽にする。寒いのはやはり弱者には辛いとなる。やはり仙台くらいになると街としての魅力、面白さがでてくる。5万くらいでは街とはいえないのかもしれない、つまり5万とか10万の街でも今は商店街もさびれているから街の魅力が喪失している。50万くらいでやっと街の魅力がでてくる。街の魅力はやはり歩いてみて気分よくなる刺激を受けることなのだ。そこに並木道とか公園とか自然があると街にきても楽しいとなる。
この記事へのコメント
白石の方では虹がたった、プログにでていた
確かに虹がたつような空模様だった

時雨は時雨でないものと勘違いする
晴れていてぱらぱらとふるのが時雨なのだ
しとしととふる雨ではない、晴れていてぱらぱらとふり顔や頭をちょっとだけぬらしやんでしまうのである
Posted by 老鶯 at 2006年11月29日 22:47
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