未来は予測できない
(この世は人間は無常、無常ではない永遠の命を知るべき)
未来は予測できない、ミネルバのフクロウは夜に飛ぶというとき科学者がこう言っている地震は予測できない、科学的にわかっていないからだ、一日が終わった時その真相を知る、過去になった時その真相を知りえる
科学も万能ではないからだ、わからないことが多くあるのだ
東南海地震が津波が1年以内に起こるとか、5年以内に起こるとか十年以内に起こるとか
20年以内に起こるとか30年以内に起こるとか言うことができる
つまり30年以内といえばその内に起こったとすれば当たったとなるのである
結局地震とか津浪は予測しても無駄だからそうなたっときに備えをしている方が大事だとなる
津波対策としては高台を作り防波堤にして逃げる算段をしておくことである
それは東日本震災の津波で経験しているからである
予測をあてにしても当たらないからである
そんならそんなことに力を予算を使うより実際に津波が来たときの備えに使えばいいとなる
要するに人間は万能ではないという自覚が必要になる
でも科学者とか技術者は万能を望まれている、神のような力をもつことを期待されているのである
人間は運命を未来を予測できないから突然運命が変わる
ベ―トベンの運命のように突然運命に左右され翻弄されるのである
自分に起きたことも回りで起きたこともそうである
家族が認知症に突然なったのである
それは何なのか訳わからなかったから恐怖だった
次に地震があり津浪があり原発事故があり自分が病気になりと次々に恐怖が襲ってきたのである、その間に犯罪にもあった
家に来たのは悪鬼のような人たちだった、こうして自分の家は悪鬼につかれたようになったのである
一転して自分の生活はまるっきり変わってしまったのである
運命は予測されずにこのように突然来るのである
第一津波でもそうである、これほど突然なことはない、逃げられないほど突然だから被害があれほど大きかった
もし事前にわかっていれば一日前でも避難するからあんな大被害にはならなったのである逃げる間もなく津波が襲って来たからである
これほどの恐怖はなかったのである
予測できないから運命だとまでなる、もうあきらめるほかないとまでなる
人間が未来を予測することが不可能だというとき未来は神の手中にあるというのもそうである
神のみが人間の未来を決めることができるのであり人間にはできないからそうなっている未来を予測できないがそれに備えることは津波でもできる
ただいつ起きるかは予測不可能なのである
ただ自然災害と人間に起きることはまた違っている
株がどうなるのか、景気がどうなるのか、預金封鎖があるのかないのかという今の心配は自然災害とは違ってある程度は予測できる
預金封鎖でもそれは神がするのではなく人間がする
それは政府で決めればできる、でも秘密裡にするから突然に来るとなる
政府の上層部はそういうことを知っている、もしそれが誰かが知れば事前に対策する
でもその前に対策をする、でも有効な対策が預金封鎖だとないのである
原発事故だってある程度は予測できた
なぜなら東電では10数メートルの津波が来ることを予測していたからである
ただコストを考え対策をしなかっただけなのである
とにかく人間は無力だとなり運まかせだとなる、成功も運不運だとなる
まず時代が変わると価値観が変わるのもそうである
戦前と戦後では価値観が黒から白に変わった、それは何だったのだろうとなる
今の時代もそうである
なぜ高度成長時代は団塊の世代が企業戦士として猛烈社員になって働いていたのに今は
働かないのが勝ちだとか働かない人がこんなに多いのか?
そうしてAI社会になり人間は働かなくても暮らしていける
そして人間は何をするのか?
人間はみんなアーティストになるとか言ってみたりベーシックインカムが今や公然と言われる
こういう価値観の世界は猛烈社員として働いた企業戦士から見れば容認できないのであるそれは戦前の戦争でも一眼となってアメリカと戦った世代が戦争に負けてから全く変わってしまった社会とにているのだ
そこで価値観がまるで変ってしまうのである
自分などは団塊の世代で会社員にもならなかった、働いていない
旅ばかりしていたとか遊びだった、でも学問が好きであり独学したり芸術の分野で勉強して訓練はしていた、でもそういうことを認められたことはないのである
それは一銭も金にはならなかったからである
つまり自分はアリではなくキリギリスだったのである
何かこれはアリとキリギリスに例えると
アリは働いてるばかりいて馬鹿、アリはもういらない、機械とロボットとAIが働いてくれるからいらない
キリギリスは歌っているばかりだけど価値があった、今の時代に必要なのはキリギリスだ
アリのように働く人はいらない、キリギリスのようにアーティストになり歌っている人こそ価値あるとされる
それで歌謡でも素人でも玄人並みになる人もいれば芸術家になればいいとしている
これも猛烈企業戦士の高度成長時代からすると信じられない価値観なのである
だから人間の未来は予測できない、時代時代でまるで価値観が変わるからである
こういうことでも未来は意外なものとなっているのだ
つまり予測できないものとして常に未来がある
70年くらいすぎると時代が必ず代わり価値観も変わるからである
銀行は安定したエリートだったのにもう銀行は不必要だとかなるのも予測できなかった
時代が変わると評価も価値観も変わるからそうなる
そして過去と同じことは起きないのである、似たことは起きる
例えば飢饉で相馬藩で三分の一の人口が減ったその穴埋めに越中などからの移民が働いて回復した、そして同じように原発事故で人口がやはり流出して減った
このように同じようでも違った形でまた同じことを繰り返すことはある
でもそれは違ったものだから予測できなかったのである
現代では飢饉は起こらないとみるが違った形で何かまた起きてくるのである
ともかく今年一年何が起きるから予測できない、運命はまた突然非情にして襲い苦しめるかもしれない、それがどうなるのかなってみなければわからないとなるのだ
第一預金封鎖なるとしたら備えようがないのである
結局あきらめるほかないのかとはなってしまうのである
人間はただ運命に翻弄されるだけなのか?
そうならないためには信仰が必要だとなる
人間社会のことは人間は変わらないしただ世間に翻弄されるだけだとなる
常に社会は時代は変化する、価値観も変わる
そうなると人間はただ時代に翻弄されるだけだとなる
人間社会は無常であり人間も無常である、だから無常でないものは何か追求すべきだとなる、変わらぬもの、永遠なるものは何か追求すべきだとなる
永遠の命を知るべきだとなるのである
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