2019年12月31日

人間と金の問題 (金は万能ではない、時間の方が大事だった)


人間と金の問題

(金は万能ではない、時間の方が大事だった)

今年も終わりだけどどうしても現代は金の問題が一番話題になる
たいがいyoutubeでも経済の問題が一番見られている
日本の貧困化も深刻だし金ももっていれもっているで銀行がなくなるとか預金封鎖があるとか心配になる
貧困化と同時に一億以上ある人は300万人も日本にいることの驚きである
これも格差社会になったからだともなる
株をもってれば株価が気になる
私は株とかしたけど何もしないでもっていたら上がっていた
それはリーマンショックのとき持っていた株だったのである
それを銀行員が来た別な投資信託に回したから損しないまでももうかることもなかった

というのは株とか投資というのはそれで自分自身だけでもうけるとすると
そこに時間をかけないとできない、デイトレだ―などはいつもパソコンを見ていなければならない、そうすると他のことはできなくなる
それで一億円もらったとして何か実りがあるのか?
金に換算するとあってもではその人を豊かにしただろうか?
何か銀行員とか証券会社で辞めた人はそうして金ばかり追ってそれが何か実際は実りがないということで新しく店を現物を扱う仕事をはじめたとかいうのもわかる
農業は苦しいにしろ収穫する時の喜びは格別だろう
それを金に換算するだけのものだったら喜びがないだろう

金があたかも万能のようになった社会がグロ−バル経済社会である
でも金が万能とはならない、例えば今どこでも耕作放棄地が増えている
その土地は一年数千円で借りられるとしてもそこで農業することは労働が必要なのであるその労働についてプログで書いた
小さな畑で毎日草刈りであり害虫から鳥からネズミとかに野菜が食われる
天候の影響が常にあり実りを得るのが容易ではない、するとその話を聞いただけでもう苦労が並大抵でないとなるかしたくなくなる

一億円やるから耕作放棄地を実りある畑にしてくれといってもそこにそうした苦しい労働がないとできないのである、もし機械とかで楽にできればいいが機械を使ってもまたそれも労働が必要なのである
それで一億円もらったらどうするのか?みんなそれで家を建てたり車を買ったりして農業という労働はしない、そのことは原発事故で誰も田畑での労働をしない、放置されて補償金をもらった若い世代は帰ってこないことでもわかる
もともと農業でも漁業でも跡継ぎがないのはその労働がきついからである
金にならないことがあるとしても労働自体が楽ではないからである

金でなんでもできるというのは消費はできる、でも生産するとなるとなんらかの労働が必要になるのだ
それで武田邦彦氏のような科学技術者の研究者が政府から官僚から研究して成果を出せ、その成果は金を出した方が得るのは理であるというのに反発したのもわかる
研究の成果にも労働が智慧や知識や実験とかが必要になりそうして苦労して出すのが研究者なのである
ただ金を出す人が何かを作り出すのではないのである
なぜ今地銀とか銀行がだめなっているのか?
それは金が余っていても銀行自体では何も作りだせないからである、金を貸すから何か利益を出してくれと頼むだけである
でも今はそうして金を貸してもうける人がいないから株とか投資信託とか外貨の保険とか何かアメリカの国際金融資本家にだまされて金を奪われる
それはゆうちょ銀行でも農林中金でも同じである
今は金が金を産みだしているが何か本当の実りを生み出していないのである
それは金融資本主義では金が金を産みだしても本当の価値は産みだしていない
それでアメリカも衰退してドルの価値はなくなるという人がいるのもわかる

人生でもすべて金で計られるとしたら間違いである
この人は一億円残したから一億円の価値があり金がない人は価値がないとはならない
価値は多様でありその人の価値は金があることだけにない
価値は金だけでは作りだせない、確かに金は必要なのである
それよりも老人になればわかる、いかに時間の方が貴重だったかわかる
だから老人はみんなあの時何かをししていれば良かった、旅行していればよかったとか
勉強していれば良かったとか何かしらみんな後悔しているのは金がないからではない
時間がなくなった、その時すべきことをしないで後悔しているのである
そういう時は時間が消えてしまうからである
そしてその時には青春時代などあっという間に過ぎて老人になっているのである

自分の人生をふりかえると何かお前の人生は遊びだったとかなる、でも電車であれ自転車であれ旅行したことが貯えとなっていた、学問であれ芸術であれ知識であれまずその場を踏まない限りわからない、実感できないからである
まず芭蕉でも「奥の細道」は旅しない限り空想では書けないものだった
外国でもそうである、いくらテレビを見ても本を読んでも外国のことはその地を踏んだ人と踏まない人の差が大きい、百聞一見にしかずになる        
だから外国で暮らした人は日本を外国と対照して見れるからかえって日本のことをわかるのである
それで50歳からバックパッカーで外国旅行したのが本当に大失敗したにしろ良かったとなる、なぜならその後介護とか体力の衰えでできなくなったからである

そうした経験が貯えとなって後で何か書くにしても活きてくる
人間はとにかく何かしら日々貯えているのである
花の名前を覚えるのにも一日ではできない、花を知るには相当な時間が必要である
なぜなら種類も多いし季節で違っているから花に通じることは時間がかかる
それは何でもそうである、この世にある無数の事に詳しくなれないのはそのためである
だから雑学でも後で役にたつのである
ただくだらないことに時間を費やしていると後で何も残らない、知識でも経験でも金を貯金すると同じように蓄えることである
人間は何かを日々貯えている、それは金だけでないのである

もちろん金は必要である、でも時間がそれ以上に大事なのである
旅するにしても自分は金がなかった、だからいつも安い宿を探すのに苦労していた
食事は最低限でおさえてグルメなどしなかった
でもありあまる時間があったからできたのである、会社勤めだったらできないからである外国旅行でも金を使わなかった、それは意外だった、外国は安い宿が多いのである
だからヨ−ロッパなど金がかかるようで基本的に宿代が安いから旅行しやすいのである
ゲストハウスなどが多いのである、日本はホテルでもビジネスホテルでも5000円となると高いと思うからだ
外国旅行はしたとしてもやはり自分は一年くらい外国に住むべきだったと後悔する
自分の時代はあまり外国旅行をしない、また留学もしない時代だった
今はそういう点では留学も安くできる時代である、だからそういう経験が後で活きるのである

とにかく人生で一番後悔するのはその時々に成すべきことをしないことであり時間を無駄にしたことなのである
才能があるなしにしろその一人が成せることはわずかである
楽器でも一つはできてもいくつもはできない、いくら天才でもできない
天才を見ても意外と業績を残していないのはやはりあらゆることに通じることができないのである

いづれにしろ人間は最後はみんな時間切れで終わる
今日は大晦日だけで何かもう時間かない、もう人生も終わりだとなる
今日は生きていたけど明日という時間がないとなる
いかに時間が貴重だったかを最後に知らしめられるのである
青春などあっというまに過ぎる、そして40くらいになってみんなおっさんだよとか白髪でてきたとか語っているのである
それだけ時間が過ぎるのが早いのである
(少年老い易く学成りがたし)である
一つの学を成り立たせるには相当な時間が必要である、雑学でさえそうである
何か一つのことに詳しくなるにはそれだけの時間が必要なのである
でも結局学問でも何か無駄が多い、それは勉強の仕方が悪いとかなる
それでもともとあった才能でも活かせないのである

今年も終わったけどももう人生も終わるとなる、老人になったら先がない
それは生きる時間がなくなることなのである

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