年の暮(家の整理に追われる)
年の暮家の整理の月かな
年の暮金の計算に追われけり
冬紅葉雨にぬれけり家の前
我が一人時雨ぼつりと年終えぬ
夕空に鳩十羽ほど年暮れぬ
寒雲や風車はとまり年終えぬ
十数本寒木動かじ風唸る
星増えて星座となるや冬木立
我が庭に今日も数枚の木の葉散る心にとどめ日は暮れにけり
死者なおも家のまわりにいるものや一人守りて今年も暮れぬ
家の整理と掃除とか金の計算とか料理とか生け花とかして疲れた
なにかずっと介護になってから家族が死んでも家との格闘がつづいている
家は何か物というのではない、そこに生きたものがまだ生き続けているという感じになるだから家を生きるとまでなる、自力で家を花を飾るように作った
何か一つの仕事場にした
今日は夕暮れが迫りぼつりと頬(ほほ)を時雨がぬらした
時雨でも雨と間違えやすい、ぽつりとか濡らす時は時雨である
でも雨が少しでも全体にふれば時雨ではない
せいぜいぽつりと頭でも頬(ほほ)でも濡らすくらいのが時雨である
時雨は何か死をにおわすということがある
夕空に鳩が十羽ほど飛んで旋回した、これはただ写生である
写生が俳句の基本である、いちいち説明するのではない
だからこれは今年も十羽ほど鳩が飛んだということで平和に終わったとみたりする
その解釈はいろいろになる
風力発電の風車は四つあるが海岸でとまったままである
これも長いと思った、もし電気でもこうして発電できなかったら大変なことになる
だからあまり風力発電とかソーラーパネルは頼りになるものではないのだ
銀行員が昨日も来たし今日も近くの地銀に行った
何かこの銀行は何なのかわかりにくいのだ
どういう社会的役目があるのかわかりにくい
でもそこには十数人くらい働いている、するとそれなりの人が社会のために働いているとなるのか、でも今の仕事は投資信託とか今度は保険とかすすめる
つまり地銀は今や証券会社の支店のようになっているのだ
だから何か本来の仕事から離れてもう地域に必要なのかとまでなる
そして地銀でも銀行でも半分がつぶれるとかなると不安になる
地域に尽くすものとして地銀の仕事ではなくなっているのだ
でも利益を出さないといけないからわかりにくい外貨だけの保険とかをすすめる
でも投資信託では損しなかったから助かった
本当は株をもっていればもうかっていた
やはり資本主義を批判してもそのシステムでもうけるには資本が元金がものいうのである
どうも銀行を調べるともともと地元に住んでいた人ではない
銀行は転勤が多いのである、その転勤が多いことには事情がある
銀行特有の事情がある、一地域に長くいられない事情がある
つまり寒木が近くの公園に十数本あり根付いている
そういうふうに地域に根ざすものとも違っている
一応福島県だから大銀行とは違っていても転勤が多いか地域に根付かないのである
土建業などは地域に根付いている、でも土建業も遠くに仕事があると移動するのである
移動社会になっているからそうなる、土建業でもいつも地元に仕事があるとは限らないからである
今日は銀行で記帳してもらい、次に布団を丸洗いした、それで失敗した
丸洗いできない羽布団だった、たいがい布団は今は洗えると思った
それは通販で買ったもので軽いからいいものだった
汚くなって洗えないとなると失敗だったのでまた別なものを注文した
その後に食器を拭く付近を近くの100均で買った、蓋の無い醤油瓶を使っていたらそこに
蠅が入っていてその醤油を使ったのは失敗だった
何か台所仕事は必ず何かある、第一冷蔵庫に何が入っているのか忘れるのである
こうして毎日自分は家事に追われるしプログも書いているから追われるのである
ただ介護が終わったのでその点は楽である
ただこんなに家事に追われると思わなかった
家事には何か細かいことに気を使うのである、料理自体いろいろなものを使いすぎるのである
とにかく今年も終わる、やはり今年は自転車が危険だった、車も危険だが自転車も危険なのである